始まり
「ごめんね、あたし数学苦手で」
「いや、全然大丈夫です。僕も暇していたんで」
申し訳なさそうに謝られて、こちらも慌てて返す。
別に何も悪いことではないと思うし、むしろ頼られて嬉しいというか……
「この問題なんだけど、全然わからなくて」
「えっと…………、どこで詰まった感じですか?」
「何がわかんないかも、わかんないです」
ビシッと開き直るように自信を持って言われると、こちらとしても反応に困る。
さて、どう教えればいいか……
「じゃあ、どうするかっていうのを説明すると、まず――」
自分がどう考えたかを順々に話していく。
簡単なイメージや図を書いて、方針を立てるところから式を立てるところまで分かりやすい説明をすることに専念した。
そうしないと、別のことに意識が持っていかれそうになる。
すぐ隣に女子がいること。
机を近づいた時に感じた香り。
緊張で早くなっている鼓動。
臭くないかな?話している言葉が変じゃないかな?といった疑問。
意識しないようにすればするほど、より一層と緊張してくる。
「――で、この形になるから」
「さっき使ったやつだ!」
「そう! だから」
「待って。ちょっとやってみる」
教科書を使ったり、時に質問したりしながら教えていくと思っていたよりもスラスラと問題が解けていく。
八重島さんに自主性もあるし、飲み込みも早いので、加藤に教えていたときよりも楽しい。
……たぶん、理由はそれだけじゃない。
一個、一個の反応が可愛いのだ。
ほとんど教科書やノートしか見ていないのだが、それでも分かるくらいに八重島さんの感情表現が上手なのだ。
問題が解けたときのパッと明るい声や質問があるときの申し訳なさそうな声、説明を聞いているときの相槌などから、ちゃんと話を聞いているのが分かる。
八重島さんが嬉しそうな反応をする度に、教えている僕の方が嬉しくなる。
ふと教室に掛けられている時計を見る。
一時間目の終了まであと五分。
おそらく、次の問題を説明するには時間が足りないだろう。
「たぶん、次の問題始めたら終わらない気がするから、この辺で終わりで」
「はーい♪ まじ分かりやすかった。ありがと♪」
「いや、八重島さんの飲み込みが早いんだよ」
「そうだったら、こんな点数取ってないよー」
実際、そうなんだよな……。
これだけ飲み込みが早いのに、赤点なのは不思議でしかない。
「前川は何点だったの?」
「いや、別に教えるほどでは……」
「あたしの見といてそれはなくない?」
確かにそうだよな〜。
引き出しにしまったテスト用紙を取り出し、素直に八重島さんに渡す。
教えたくない気持ちよりも、八重島さんに嫌われることを避けたい気持ちが勝ったのだ。
「え、すっご。百点じゃん」
「いや、違うから」
「でも、ほぼそうでしょ」
そう言って、八重島さんは僕の答案用紙を見ていると、「あっ」と声を漏らし、自分の答案用紙と見比べる。
そして、自分の答案用紙に指を差して僕に見せる。
「あたしはここ合ってたよ〜」
大問1の問3、僕が間違えた問題だ。
それを指差しながらニマニマと自慢するように見せてくる。
「おー、…………すごい」
「おい、馬鹿にしてんだろー」
「チガウチガウ、そういうつもりじゃなくて」
なんて返せば分からなくて「すごい」と言ったが、確かに煽っているようにも聞こえてしまう。
間違えたか……なんて言うべきだ……
「ははっ、真に受けすぎ。冗談だよ、冗談」
八重島さんは何も気にしていないように笑う。
キーンコーンカーンコーン
ちょうど一時間目の終了を報せるチャイムが鳴る。
「じゃあ、出席番号遅い順で持ってこーい。渡したやつから休み時間でー。号令は無しでいいぞー」
気怠げに益野が立ち上がると、教室に声が溢れ出す。
「何点だったー?」と友達同士で話しているのだろう。
「ほんと助かった。また聞いてもいい?」
「僕で良ければ、全然」
「ありがと、まじ助かる」
八重島さんは嬉しそうに微笑んでいた。
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