授業中はお静かに!

「前川って耳遠いの?」

「そんなことないと思いますけど」


 テストの点数を見せ合った後、八重島さんが尋ねてきた。


 悪意はなさそうだが、それでも耳が遠いと言われると馬鹿にされているように感じてしまう。


「こんな近くで言ってるのにあいさつ返してくれなかったから、そうなのかな〜って」

「それは気づかなかったっていうか、自分じゃないと思って……」

「昨日も?」


 きのう?


 …………やばい、何も心当たりがないぞ。


 昨日のテスト返しのときに何か言われたっけ?


「じゃあね、またあした~♪って言ったけど」

「……僕に?」

「うん」


 まじか……


 全然、覚えていない。


 帰る前のSHR(ショートホームルーム)は終わったらすぐに教室を出ることしか意識していないので、八重島さんの声が聞こえてこなかったのかもしれない。


「それは気づけませんでした。すみません」

「いいよー。すぐ教室出てったから、届いてないかもなぁって思ってたし」


 気にしていないように見えるけど、傷ついてたりするのかな。


 でも、それはそれで自意識過剰か……


「耳遠いかもっすね」

「いやいや、マジじゃないからね。冗談だよ、冗談!」


 僕に説得するように冗談だと言う八重島さんは慌てた様子でおどおどしている。


 冗談だったのかとまた、真に受けてしまったことが恥ずかしくなってくる。


 相変わらず素直なままなんだなと自身に対して少しだけ嫌悪を感じる。


「テストについて何か質問とか、ここ間違ってたーとかある? 大丈夫そう?」 


 先生が大きな声で生徒たちは一瞬で静まり返る。


「……大丈夫そうかな。じゃあ、教科書進めていくぞー。今日は――」


 先生はチョークを持つと、そのまま教科書を片手にすらすらと板書し始める。


 さっきまでのテスト返しの浮かれた空気から切り替わり、生徒たちも板書に合わせてノートを開き、ペンを動かす。


 僕らの担任である日本史の馬場ばば恭文きよふみ、通称ババちゃんは眼鏡をかけたのっぽな印象の先生だ。


 授業は至って普通で、教科書に沿って進めていき、途中で教科書に書いていない小話を挟む。


 その小話から歴史好きというのが滲み出ているが、生徒からはあまり好評ではない。


 それでも、明るく柔らかい物腰で生徒に向き合ってくれる姿勢が人気を博している。


 僕としては小話を部分的にメモしておくことで、後々にノートを見直してみたときに紐づけて授業を思い出せるので、気合が入る授業の一つとして楽しみにしている。


 隣の人にとっては違うみたいだけど……


「……」

「……」


 ババちゃんが小話を始めたタイミングで八重島さんの様子を窺うと目が合う。


 何かを訴えかけてくるような目。


 なんだろ? 僕、なんかやっちゃいました?


 意図がわからないので授業を聞くために前に視線を戻そうとすると、視界の端にイー、アーと口を大きく広げる八重島さんの姿が写る。


 かわいいなぁ……


 八重島さんの謎の行動に気を留めず、ババちゃんの小話のメモをとるために前を向く。


 そうしてシャーペンを動かしていると、ババちゃんの話は本筋の教科書の内容に戻り、授業に集中……したい……んだけど……


 さっきからずっと右隣から視線を感じる。


 もちろん、視線の主は右隣の八重島さん。


「……」

「……」


 また目が合う。


 そして、また口をイーアーと大きく開いて見せてくる。


 なんだろ? イーアーって…………ああ、暇ってことか。


 僕は同意するように頷く。


 僕としては暇だと思っていないのだが、肯定しておいた。


 下手に否定しないほうが関係を良好に保てるはずだ。


 よく気づけたと思うのも束の間、また何かのメッセージを伝えるように八重島さんは口を動かし始める。


 ……まったくわからん。


 口の動きがさっきのより速くて長いので全然読み取れない。


 有り難いことに僕が首を振ると同じように口を動かしてくれたが、最初の一音ですら解読ができない。


 ただ、授業中に声を出すわけにもいかないし、無視するのも気が引ける。


 授業中に音を出して先生に怒られたくないのだ。


 それに、教室の中で怒られて変に目立ちたくはない。


 そこで僕はノートの右端でシャーペンを動かし、トントンと指で書いた文字を叩く。


『なんて言ったの?』


 隣の席から見えるか怪しいが、こうして伝える方法しか思いつかなかった。


 伝わってくれと願っていると、八重島さんも左端でシャーペンを動かして僕と同じように指をトントンと合図してくれる。


『テスト返し後の授業ってやる気でない』


 おー、伝わっている。


 そして、口パクでは絶対に伝わらないだろっていうメッセージ。


 これなら、先生にバレずに意思疎通ができるぞ!!


 授業を聞かないといけないと分かっているが、八重島さんと話したいという思いが勝ち、僕は先生の目を盗んで筆談を続けた。


『たしかにね』

『日本史好きなの?』

『そんなにかな』

『それなのに真面目にノート書いててえらいね』

『そんなことないよ』

『人からの賞賛は素直に受け取った方がいいよ』


 確かにそうだよなぁ……


 今朝、ちょうど吉野たちに僕が煽っていると誤解させてしまったし、素直に受け止めるべきなのかな……


『ありがとう』


「ふっ」


 八重島さんは僕の字を見ると、顔を逸らす。


 手で顔を隠すようにしているが、体が小刻みに震えているのを見ると容易に笑っていることが想像できる。


 やっぱり遊ばれているだけなのかと八重島さんを疑う。


 だが、返ってきたのは想像の斜め上の言葉だった。


『ツンデレかよ』 


 ツンデレ……僕が!?


 書いた八重島さんは音を立てずに口元を抑えて笑っている。


 一つ一つの表情が絵になるせいで表情が緩みそうになるのを防ぐためにしっかりと舌を噛む。 


 ツンデレということが受け入れられないと思う一方で、ツンデレってこういうことなのかと疑問に思い、ノートのやりとりを見直す。


 キーンコーンカーンコーン

 

「んじゃ、授業はここまで。号令!」

「起立! ……礼!」


 気づけば授業は終わり、ノートには授業後半のことは一切なく、八重島さんとの筆談のやりとりしか残っていなかった。

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