第31話ココットとフルオリーニ、それぞれの想い.2
ご主人様のリクエストは私が両親と最後に行った湖だった。もちろん、そんなこと話したことがないから偶然なのだけれど。
行ったことがある場所なので寸分違わず湖のほとりに転移した私を褒めてくださったあと、ご主人様は湖の波打ち際に沿って歩き始める。
緑生い茂る森の中をくり抜いたようにポッカリとある湖はほぼ円形。波打ち際は所々に砂とも砂利とも言える場所があり、以前来た時は裸足で水遊びをしたっけ。
秋の涼しい夜、砂の上に残るご主人様の足跡を辿っていると、手が差し伸べられた。うん、手?
「どうしたのですか?」
「歩きにくそうにしている」
侍女として働いている時はペタンコの靴だけれど、今日は休日だったのでパンプスを履いていた。ヒールの高さは数センチ、これが砂に埋まって歩きにくかったのに気づいてくれたみたい。
「私がご主人様の手を借りていいのでしょうか?」
剣だこができた大きな手を見ながら首を傾げると、僅かにご主人様の眉間に皺がよる。
「お前はこういう時だけ侍女面するんだな」
「そんなことありません。私はずっと、ちゃんと侍女をしているじゃないですか」
失礼な、と口を尖らせればそういうところだ、と言われてしまう。
「ココット・アリストン男爵令嬢、どうぞお手を」
「へっ?」
思わず出た間抜けな声に、ご主人様はやれやれと肩をすくめながら私の手を握る。そして私の手を引き寄せると、自分の腕に絡ませた。
「これではまるでエスコートのようではないですか」
「よう、ではない。エスコートだ。お前……ココットだって令嬢なんだから当たり前だろう」
いえいえ、侍女です!
……そう言おうとしたけれど、いつもと違う雰囲気に口を噤んでしまい、そのままエスコートしてもらうことに。
風が起こす小さな波音と、砂を踏む音に加え、時折木々の合間から梟の声が聞こえる。沈黙がやけに心地よく、指先から伝わる体温の暖かさが心に広がっていく。
その包み込むような優しさが、踏み込まれてはいけない胸の奥に向かってくる気がして、私は堪らず前方を指さし声を出した。
「あの桟橋にボートがあるはずですよ!」
「そうなのか……って、ここに来たことがあるのか?」
あっ、しまった。発する言葉を間違えた。
誤魔化そうかと思ったけれど、夜の静寂と透明な夜気にそれを暴かれそうな気がして、正直に話すことにした。
「……昔、両親とここに来たことがあります」
「そうか。ではその時にボートに乗ったのか」
「私は乗っていません。ほら、その向こうにバンガローが見えませんか? あそこに泊まっていたのですが、夜起きると両親がいなくて。侍女に聞けば、テラスに連れて行ってくれて『あそこです』って湖に浮かぶボートを指差し教えてくれたのです」
あの時、お母様は妊娠していたはず。夏だったし、少しぐらいなら大丈夫、と思ったのかな。今日ほど肌寒くは無かっただろうし。
「子供を置いて密会か。仲が良かったんだな」
「ええ、公爵夫妻に負けないぐらい」
「あれはいい歳してやり過ぎではないか?」
「公爵様、外と奥様の前では別人のように表情が違いますよね」
ご主人様の声のトーンがいつもと変わらないことにホッとする。あの事故は不幸がたまたま重なったものだから、気に病んで欲しくない。
「俺達も乗って見るか」
「はい!」
しんみりした空気にしたくなくて出した声が予想以上に明るすぎた。
まるで張り切っているようになってしまいちょっと恥ずかしく思う私に、ご主人様はフッと笑いを零すと先程より足早に歩き始めた。
桟橋にあるボートは三隻。どれも同じ大きさでオールもついている。ご主人様は慣れた手つきで一番端のボートの、桟橋に繋げていた縄を掴み解き始める。
固く縛っていそうだったのに、綱はあっさりと解けた。ご主人様はひょいとボートに飛び乗ると柔らかい笑顔と一緒に手を差し出してくる。どうやらここでも、私は令嬢ココットのよう。
差し出された手を借りボートに足を乗せると予想外にぐらりと揺れ、思わずご主人様の腕にしがみついた。
「どうして私が乗ると揺れるのですか!?」
「重いからだろう」
「いえ! 体重だけでいうなら背が高いご主人様の方がぜっったい重いです」
「じゃ、ケーキの食い過ぎだな」
「最近は控えています」
「止めないところがココットらしい」
ちょっとでも動いたらひっくり返りそうで身動きできないでいると、掴んでいたのと違う方の腕が背中に回される。そのまま抱き抱えるように私をボートに座らせると、ご主人様は反対側に座りオールを手にされた。
「座っていれば大丈夫だろう?」
「はい。もし転覆したら転移します」
「……一応聞くが、その時は俺も連れて行ってくれるよな」
「…………はい。善処します」
「なんだその間は。俺はお前の主人だぞ」
「今は令嬢、ココットですので」
初めはボートの縁をぎゅっと握っていたけれど、確かに座っていれば安定する。これなら大丈夫だと手を膝に戻せば月明かりの下でじっとこちらを見ている銀色の瞳と目が合う。
「その言葉、忘れるなよ」
? どの言葉でしょう。よく分からないけれど、こういう時はとりあえず頷いておけば大抵問題ない。「はぁ」と曖昧な返事と一緒に首を縦に振ると、ご主人様は満足そうな表情を浮かべられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます