第30話ココットとフルオリーニ、それぞれの想い.1
……よく寝た。いや、寝過ぎた。
太陽はもはや真上にある。
昨晩お祖父様と一緒に晩酌をしてそのまま酔い潰れ、起きた時にはベッド上にいた。一人でここまで来たのかな。記憶ないや。
「うっ、頭痛い」
二日酔いだな、これ。
お祖父様、お酒強すぎでしょう。私も弱くないはずなのに。
時間はお昼。二人揃って寝坊したので、朝食兼昼食を食べる。それから、酔い覚ましの薬湯をこれまた二人揃って渋い顔で飲んで、二時過ぎには手を振り別れ馬車に乗る。
数回の吐き気を我慢して公爵邸の扉を開けた私は瞳をパチクリ。
エントランスには着飾った公爵夫妻とクリスティーナ様。夫人はシックな紺色のドレスで公爵様のジャケットとお揃い。細い指を逞しい腕に絡め仲良く寄り添っている。
クリスティーナ様は淡いピンクと紫のオーガンジーを幾枚も重ね合わせたドレスに、大きなダイヤのネックレスが存在感を放っている。
「ココットお帰り」
「奥様、休暇を頂きありがとうございます。あの、これから皆様でお出かけですか?」
奥様の代わりに満面の笑みで答えてくださったのはクリスティーナ様。
「サミエル様が今流行りの劇に誘ってくださったの。私だけじゃなく家族の分のチケットも用意してくれたわ」
「それは宜しいですね。楽しんできてください」
カトリーヌさんが観たのと同じ劇かな。あらすじだけは聞いたけれど、私はあまり興味がない。ただ旦那様達がお出かけならもう少し遅く帰ってきたら良かったと思う。
蹄と車輪の音が近づき扉の前で止まると、護衛騎士の案内でサミエル様とご主人様が入ってこられた。私は頭を下げながら壁際にスッとより気配を消す。
「コンスタイン公爵、急なお誘いにも関わらずお時間を作って頂きありがとうございます」
「いや、こちらこそ。私達の席まで用意してくれてありがとうございます。ちなみにボックス席でしょうか?」
「はい、お二人にはA席をご用意しました」
「それで、サミエル様とクリスティーナは?」
「……反対側のボックス席に」
「そうですか。では休憩時間に会いましょう。感想を是非聞きたいものですな」
「…………はい」
うわっっ、何この緊迫感溢れる観劇。むしろこっちの方が面白いんじゃないの。ボックス席に二人っきりで篭り続けるな、と圧を込める父親とたじろぐ第三皇子。伝説の豪剣と名高い旦那様の迫力はさすがとしか言いようがない。
「では参りましょう」
取り繕うようにクリスティーナ様がサミエル様の腕に指を絡ませて、玄関前に停めた馬車へと向かう。私は深々と頭を下げ「行ってらっしゃいませ」とお見送り。さて、このあとはのんびりしようかな。
「なぁ、父上とサミエル様のやり取りの方が興味深くないか?」
「同じこと考えていました……って!! ご主人様はどうしてここに? 皆様行ってしまわれますよ!!」
一緒に行かれたと思っていたご主人様が私の隣に立ち、同じ感想を述べている。
えっ、どうしているんですか?
「その場合、俺はどちらのボックスに同席するのだ?」
「……それは、どう転んでも気まずいですね」
ではお留守番ですか。とりあえず緊張する方が居なくなってフッと肩から力が抜ける。
「前から思っていたが、お前、俺以外の前では侍女らしくキチンと振る舞っているよな」
「? 私のご主人様はフルオリーニ様ですよ」
「ならどうしてそんなに気の抜けた顔をしている。一番敬意を払うべき俺に対してだけ話し方が砕けていないか?」
「それは昔、ご主人様が気楽に接しろと仰ったからじゃないですか。今更変えろとか言わないでくださいね」
ちょっとムッとして答えると、なぜか柔らかく微笑まれた上にポンと頭に手を置かれた。うん? どうしました?
「一人で食事はつまらん。ココットも夕飯はまだだろう」
「はい! ご一緒致します」
二日酔いが治まってちょうど食欲も出てきたし。
三階の自室へと着替えに行く姿をお見送りして、私は食事の準備に取りかかろう。そう思って調理場に向かおうとしたら、執事さんに呼び止められた。
「ココット、お前宛に手紙が来ていたぞ」
「ありがとうございます」
受け取って送り主を見れば、カトリーヌさんがユーリン国から送ってくれたものだった。後でゆっくり読もうとポケットに入れ、今度は少し急いで食事の支度に取り掛かる。
カトラリーと前菜を並べたところでご主人様が来られる。普通、公爵家の方々と使用人の食事内容は違うのに、今宵は同じ物が二つ。不思議に思って料理長に聞けば、奥様の指示で私にもフルオリーニ様と同じものを用意してくれたらしい。
「ご主人様、私にもご主人様と同じ食事も用意されていました」
「そうか。ちょうど良いではないか」
「まあ、そうなんですが」
いいのかな、と思いながらいつものように角を挟んで隣に座る。
チーズとトマト、野菜のマリネの前菜のあとはミネストローネはすでにテーブルに並べてある。
帰省先でのことを聞かれたので、お祖父様が元気だったこと、庭のダリアが見頃だったこと、ついつい深酒してしまったことを話した。私がお墓参りしたことは分かっていると思うけれど、その話題はつい避けてしまう。
話が途切れたところで、タイミングよくメインの牛肉のワイン煮込みとパンが運ばれてきた。同僚に料理を並べて貰うのはちょっと居心地悪い。
「このお肉柔らかいですね。私がこんな料理食べて良いのでしょうか?」
「構わん。せっかくの御膳立てだ、堪能しろ」
「? はぁ……」
はて、と首を傾げる私のグラスにご主人様がワインを注ごうとするので、慌てて止める。
「珍しいな、遠慮するなんて」
「二日酔いが治ったばかりですので」
迎え酒になってしまう、と言えばお前らしい理由だと笑われた。
「そうだ、ご主人様、後で地図帳を貸して頂けませんか?」
「それは構わないがどうしてだ?」
「カトリーヌさんからお手紙が来たのです。住所が書いてあったのでどの辺りかと気になりまして」
ポケットから手紙を取り出し、ご主人様に見せると、ちらりと見た後はぁ、とため息をつかれてしまった。
「そこに転移するつもりか?」
「えっ? そうですね。……あの二人の縁を取り持ったのは私ですし、しっかりと見届ける義務があるかと」
「そんな義務はない。どうせ興味本位だろう、地図は貸してやるが邪魔せずそっとしておけ」
いえいえ、きちんと見届けるのが魔法使いの役目ですから。と言えば、また当初の目的からずれていると怒られるから黙っておこう。
「……そういえば、ココットはその、……結婚とか考えないのか?」
「結婚ですか。考えたことはありませんね」
「うん、そんな気がしていた。喜ぶべきか嘆くべきか微妙なところだがな。それで、将来はどうするつもりだ」
「もちろん、ずっとご主人様の侍女でいますよ」
あの時、小さな身体で私を庇ってくれた貴方にどれほど感謝したことか。ご主人様が説得してくれなければお祖母様は助からなかったし、ご主人様が守ってくれなかったら今頃牢に入っていた。
雇われた後も私を密偵として教育することなく、ただの侍女ととして扱ってくれて。それがどんなに奇跡的なことか分かっている。
私の言葉の刃がご主人様を傷つけ続けていないか、それが気掛かりで幸せになるのを見届けない限り私の将来は考えられない。
そんな気持ちで答えたのに、なぜかご主人様の顔は渋い。
「時間がないので急がないといけないな」
「多発している誘拐の件ですか?」
「それも含めてだ」
私の魔術を決して頼ろうとしなかったご主人様が、唯一頼んできた誘拐事件解決への協力。理由は聞いていないけれど、きっと深いご事情があるのでしょう。
「食事が終わったら行きたい場所があるんだが連れて行ってくれないか?」
「それは転移で、ですか?」
「あぁ」
「珍しいですね、遠くですか?」
「そうだな、馬車でここから二時間ほどの場所だ」
その距離なら全く問題なし。二人で転移しても余裕だ。
「分かりました。でもデザートを食べ終わってからでなきゃ嫌です」
「だろうな」
口角の片側だけを上げながら呆れたように笑うのに、その銀色瞳はやけに優しかった。
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