第29話ココットとフルオリーニの出会い.7



 戻って来たのは自分の部屋。

 足が床に着くとすぐに隣の部屋へと駆け込む。祖母の手を握ったまま振り返った祖父は、赤い瞳を見開きココットの姿を確かめると駆け寄ってきた。


「ココット! お前!!」

「ごめんなさい。でも、今はそれよりもこれをお祖母様に飲ませて!」


 祖父に押し付けるよう手渡したのは、幾つもの薬包。ココットから流れてくる匂いとその疲れた顔から、この薬包が正当に手に入れたものではないことに祖父は気づいた。しかし、後ろには苦しむ妻がいる。


「盗んだのか?」

「くれるって言ったわ」


 嘘は言っていない。ココットは水差しからコップに水を注ぐと、片腕を祖母の背中に入れ抱き起こす。


「お祖母様、薬よ。飲める」

「コ、ココット……あんた」


 抱き起こす身体から強いライラックの香りがする。祖母が何を言おうとしているのか察しはつくので、構わず祖父に向かって手を差し出す。


「お祖父様、薬を」


 孫娘の強い視線を受けとめ、祖父は苦渋にみちた表情を浮かべながらココットに薬を手渡した。ココットは薬包を解き祖母の乾いた口元に持っていくと、白い粉をさらさらと口に含ませる。次いで、水の入ったコップを唇に当てると、祖母は自力で飲み込んだ。充分に水を飲んだことを確認すると、再びそっと寝かせる。


「まだ熱が高いから、井戸水を汲んでくるわ」

「あぁ、ココット。その、……薬だが」

「朝、話すわ。お祖母様はまだ助かったわけじゃない」


 落ち着いたしっかりとした口調が何かを覚悟しているように聞こえて、祖父は不安が胸に込み上げてくる。パタリ、と閉まった扉を暫く見たあと、再び妻の手を取り長く息を吐き出した。


 祖母の額に当てた布巾を幾度か変え、明け方もう一度薬を飲ませると呼吸は随分楽になったように見える。


「お祖父様、私、一眠りしてきていいかしら」

「あぁ、峠は越したようだ。ゆっくり眠りなさい」

「はい。……お祖父様、お祖母様をお願いね」


 そう言い残すとココットは自分の部屋に向かい、引き出しから便箋とインク、ペンを取り出し、窓際に置いている机にそれらを置いた。椅子に座り、姿勢を正すと柔らかな朝日の下、便箋いっぱいに文字をしたためそっと部屋をあとにした。




 転移する力が残っていないので、始発の辻馬車で王都に向かい、城の近くで降りた。そこからコンスタイン公爵のタウンハウスまで徒歩で二十分ほど。ゆるい下り坂を進むとすぐに大きな白い建物の先端部分が見えてきた。それを目印に進み辿り着いた先には見上げるほど大きな門。


 ココットは不安な気持ちを抑え、門の前にいた護衛の前に進み出る。


「昨晩ご迷惑をおかけした者です。侯爵様にお目通りしたいのですがお取次ぎしていただけませんでしょうか?」

「分かりました。こちらにどうぞ」


 護衛はそれだけ言うと、さっと先に立って歩き始める。歩幅が大きく早足の護衛の後ろを、小柄なココットは半ば小走りに着いていく。その姿勢の良い後ろ姿を見ながらこの護衛はどこまで知っているのだろうと思った。


 しかし、そんなこと考えても仕方ない。

 門から続く長い道は季節の花や木々が傍に植えてあり、足元の石畳さえ欠けた部分がないほど手入れが行き届いている。


 疲れて重い身体では果てしなく感じる小道の先に、立派な屋敷が見えてきた。改めて公爵家の存在の大きさを思い知らされる。


 ドアノッカーをコンコンと鳴らして護衛騎士が中に入るので、ココットも緊張した顔でうしろに続く。護衛騎士は近くにいた侍女に何やら小さく囁いたあとは、扉の前にスッと立った。


 どうすれば良いのか分からず、広すぎるエントランスでただひたすら待っていると、目の前の大きな階段をコンスタイン公爵と夫人が降りてきた。


 階段を降りたタイミングでカーテシーをしたココットに、二人瞠目し目線を交せる。まさか約束通り現れるとは思っていなかったし、令嬢だと考えてもいなかった。


「ココット・アリストンと申します」


 ココットはしっかりと家名も名乗る。ここまで来ては誤魔化し切れない。


「今朝、祖母の容態が回復致しました。ありがとうございます。この度のことは私の独断ですので、どうかアリストン男爵家の処罰については寛容にお願い申し上げます。その代わり、私はどのような罰でも受けます。牢に入る覚悟もできています。重労働を課されても娼館に売られても、従う所存です」


 どう見ても十五歳程度の小柄な少女が、顔をこわばらせ手足を震わせながらも、視線だけはそらさない。紫色の瞳は潤んでいるが、涙だけは零すまいと踏ん張っている。


「あなた、この娘の罪とはいったい何なのでしょう。ここに来るまでにどれだけの覚悟と恐怖があったか。それだけでもう充分だと私は思います」

「……しかし」


 前例を作れば、そこからなし崩し的になるのを何度も見てきた。許したい気持ちが無いわけではない。コンスタイン公爵が判断に苦しんでいると、階段を駆け降りる足音がした。小さく身軽な足音を鳴らすのはこの屋敷で一人しかいない。


「お父様、彼女を許してあげて。お父様はいつも権力は正しく使わないといけないと仰っていますよね。だとしたら怒られるのは俺です。公爵家の名を盾に手当てを優先し、薬を独り占めしました。それなのに、今度は公爵家の名のもと彼女を罰するのは間違っています」


 顔が赤いのは走ってきたからか、まだ熱があるからか。しかし、肩で息をしながらフルオリーニは一気に捲し立てた。そして昨晩のようにその小さな背中にココットを庇うように立つ。

 コンスタイン公爵はその姿をじっと見つめる。何が正しく何が間違っているか。法で罪とされるものだけが罪なのか。


「……分かった」


 絞り出すような低音が響いたのはそれから暫くしてからだった。


「お父様!」


 フルオリーニの笑顔と明るい声に被さるようにコンスタイン公爵は言葉を続ける。


「このことは公にはしない。しかし、全く罪を問わないのも法に反する」

「はい。どのような処分でと受けます」

「ではその能力、コンスタイン家のために役立てよ」

「……それは密偵として私を雇うということですか?」

「いや、フルオリーニの侍女として雇う。大きすぎる権力は時に人の判断を狂わせる。お前が傍にいることが、今後公爵家を背負うフルオリーニのいい枷や心構えとなるやも知れん」


 突然自分の名を出され、唖然とした表情でフルオリーニは父親とココットを交互に見る。見られたところでココットも困るのだが。


「ココットの能力をどう使うかは、フルオリーニお前が考えよ。それからココット、祖母の体調が戻ったら祖父も含め話し合いの場を設る」

「それは……」


 アリストン男爵家に何かの処罰があるのかと身構えるココットに、コンスタイン公爵は始めて表情を緩めた。


「アリストン男爵家に対した処罰、賠償は求めない。ただ、ココットを雇う経緯と許可をもらう必要がある、それだけだ。今日はもう良いから帰りなさい」

「ありがとうございます」


 ココットは深く頭を下げる。まだ震える手をフルオリーニが握り「ごめんなさい。これから宜しく」と言うのを公爵夫妻は静かに見守っていた。



 数日後、ココットは正式にコンスタイン公爵邸で雇われることに。数ヶ月後には学園への入学も決まっていたので、働きながら公爵邸から通うことが許された。片道二時間の辻馬車に揺られることを考えれば公爵邸から通えるのは有難いことで、しかもお給料も貰える。

 こうしてココットの新しい生活が始まった。


 ココットの明るい性格はすぐに公爵邸で働く使用人にも受け入れられ、半年した頃には、裏表のないさっぱりとした性格に公爵夫人とフルオリーニはすっかり気を許した。


「ココット、そんな畏まった態度はやめてもっと気楽にしていいよ」


 フルオリーニがそう言ったのはココットともっと仲良くなりたかったから。姉のような存在ができて嬉しかったのと、ココットが抱く罪悪感をどうにか減らそうと思ったから。

 ココットもその可愛らしいお願いに「分かりました」と頷いた。


 その一方でココットは公爵夫人にひとつお願いをした。


「魔法封じの護符ですが、外からの侵入も防げる物に変えて頂けませんか?」


 今公爵邸に貼られたいる護符は、邸内での魔法を封じるもの。だから転移で外から侵入することは可能。


「それはどうして?」

「もし、公爵邸で不審な盗難等があった時に疑われるのは私です。妙な探り合いをして信頼関係を損いたくありません」

「分かったわ」


 公爵夫人は二つ返事で了承したあと、感心するかのように頷いた。


「社交界デビューもしていないのに、あなた素質があるわ」

「素質、ですか?」


「貴族っていうのは親切心を前面に出して笑顔で近づきながら腹では何を考えているか分からないもの。本能的に自分の身を守る術を見つけるのは大事なことよ」

「はぁ……」


 言っている意味がよく分からないと首を傾げココットに公爵夫人にはふふっと笑う。


「あなた、公爵夫人の素質あるわよ」

「ご冗談を」


 眉を顰めたココットの反応が面白いかったのか、夫人は暫く笑いつづけた。

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