第20話カトリーヌと裏路地の魔法使い.7
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騎士の詰所は二階建ての小さな建物で、机と椅子、古びたソファと棚が壁際にある殺風景な場所だった。留守番をしていた老騎士にエリオット様は身分を名乗り椅子を用意するように頼んでくれる。
「それから温かい飲み物も頼む」
「分かりました。団長、こちらに来る時に荷夫を見かけませんでしたか?」
「ここに騎士を呼びに来たという奴のことだな。誰にもすれ違わなかったがいなくなったのか?」
エリオット様の眉がピクリと上がるのを見て、老騎士は小さく肩をすくめた。お湯をティーポットに入れながら恐る恐る、といった感じで「目を離した隙にいなくなりました」と答えると、エリオット様の眉間の皺がさらに深くなる。
「目を離した、とは?」
「ええ、随分慌てていたようでして。水をくれというので、そこにある水瓶から柄杓で掬って……」
私に紅茶を手渡しながら、老騎士は目線を詰所の角に置いている水瓶に向ける。背を向け振り返ったらもういなかったらしい。
黙って二人の話を聞きながら口にした紅茶はお世辞にも美味しいといえる味ではなかったけれど、お腹からじわりと感じる暖かさに気持ちが落ち着いてくる。
「急に消えた人間が二人か……」
エリオット様は顎に手を当て考えていたけれど、ひとまずそのことは追求しないことにしたようで、部屋の隅からもう一つ椅子を持ってきて私の前に座った。老騎士は気を利かせたのか、失態を怒られるのを避けるためか、そっと詰所を出て行く。
「怖い思いをさせてしまった。申し訳ない」
「いいえ、私が勝手に走り出したのが悪いんです。エリオット様まで危険な目に巻き込んでしまい申し訳ありません」
「俺は騎士。あれぐらいの危険は慣れている。でも、あなたは違う。とにかく……無事でよかった」
少し間があったのは、私の身に何が起こったのか思案されたからかも。衣服は乱れていないけれど、あの状況だからその心配はもっともで。だから、私は意識的に唇の端を上げできるだけ明るい声を出した。
「擦り傷と捻挫だけですみました。ありがとうございます」
しっかりした声で伝えると、眉間は険しいままだけれど口元だけで笑みを作り頷いてくれた。
「それでは怪我の手当てをしましょう。少し待ってください」
壁際にある年季の入った棚から、これまた使い込まれた大きな箱を取り出す。開けられた中には薬や包帯が沢山。さすが騎士の詰所、普段から怪我は絶えないみたいで薬の種類も多い。
手渡された軟膏を肘に塗っている間に、エリオット様は「失礼する」と言って椅子からおり跪くと、私の足首に包帯を巻いてくれた。
お互い黙々と傷の手当をしていることもあるけれど、流れる沈黙が重い。
何を聞いて、何を話せば良いか。
そう考えていると、エリオット様から口火を切ってくれた。
「カトリーヌさん」
片膝をついて足首の手当てをしてくれていたその姿勢のまま、真っ直ぐに私を見上げる。
「あなたが辻馬車で帰ると言ったのは、俺が会うのはこれで最後にしたい、と言ったからだよな」
「…………はい。エリオット様と会えることを喜んでいたのは私だけだったと思うと恥ずかしくて、情けなくって」
エリオット様の瞳を見返すことができなくて、視線を膝の上に落とす。いい歳して子供じみた行動だったと今更ながら反省した。
「あの、自惚れでなければ、カトリーヌさんは俺に特別な感情を持ってくれている、と思っていいか?」
「……はい」
真っ直ぐな問いはエリオット様らしい。ここまできて誤魔化す必要もないしできるとも思わないので私も潔く頷く。
「カトリーヌさん、少し俺の話を聞いてくれないか?」
「はい、何でしょうか」
私は椅子に座ってと目で訴えるも、エリオット様は頑なに膝をついたままで話し始めた。
「第三皇女がユーリン国に嫁ぐことは知っているか?」
「はい。再来月、秋にご婚約されるとか」
「ああ、それで皇女の護衛として数名の騎士がついて行くことなったのだが、その任を拝命した」
エリオット様が異国に行かれる。
それはどのくらいの期間?
国境警備から戻ってきたばかりだから、暫くは王都にいるとばかり思っていたのに。
「それは数ヶ月、とかの話ですか?」
「いや、数年。もしくはもっと長いかも知れない」
「では、もう会えないと仰ったのは私が嫌いになられたわけではないのですね」
「とんでもない! 貴女を嫌うなんて。俺は……」
エリオット様は言葉を切ると、私の手をぎゅっと握ってきた。痛くはないけれど、その強さには意志がこもっているよう感じる。
「カトリーヌさん、貴女を困らせたくなくて一度は呑み込んだ台詞を伝えます。俺と一緒にユーリン国に行ってください」
それは思いもよらない言葉で。
私は目を見開き、碧い瞳を見返すことしかできない。
そんな私にエリオット様はふっと表情を緩め、胸ポケットから小さな箱を取り出した。
「今夜これを手渡そうと思っていました。でも、貴女が仕事に真摯に向き合っている姿を見て、俺のために辞めて欲しいと言えなかった」
困ったように眉を下げるエリオット様に、私は涙を堪えながら首をふる。
「まさか、そんな風に思ってくださっていたなんて」
私が思っていたよりエリオット様は私を大切にしてくれていた。
私なんかよりずっと誠実に未来を考えてくれていた。
それが嬉しくて、とうとう堪えきれない涙が一筋頬を伝う。
「カトリーヌさんから聞く仕事の話はとても楽しそうで。だから、俺はそんな貴女を好きになったんだ」
「ありがとうございます。確かに私、仕事が好きです。でも、エリオット様も好きです」
重ねられていた大きな手を、両手でぎゅっと握る。武骨だけれど温かい手はエリオット様らしい。
「エリオット様、私思うのです。ユーリン国はこの国より女性の社会進出が進んでいますし、言語も同じ。仕事なら異国でも探せますが、エリオット様は一人しかいません」
「それは……ついてきてくれるということか?」
「はい。エリオット様のご迷惑でなければ」
頷くと同時に抱きしめられた。
背に回る逞しい腕に安堵を感じながら、この決断は間違っていないと思う。
「必ず幸せにする」
「はい、二人で幸せになりましょう」
エリオット様の顔が近づき私は目を瞑る。優しい口づけが落とされた瞬間、潮風がライラックの香りを運んできた。
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