第19話カトリーヌと裏路地の魔法使い.6


 大通りに出て声のした方へと走ると、脱ぎ散らかされたパンプスがあった。全身の血がブワッと沸騰するが、すぐに脳が冷静にと命令をくだす。


「灯りはあるか?」

「燐寸なら直ぐに」


 老婆が袖口に手を入れ燐寸を取りだし、シャッと小さな音をさせると数センチの範囲だけオレンジ色に灯される。


 落ちていたパンプスのヒール部分を僅かな灯りで見れば、擦れたり欠けたりしていない。


「無理矢理連れ去られたというより、逃げるために自ら脱いだか」

「逃げ切れたのかしら?」

「分からない」


 方向から考えて騎士の詰所に向かった可能性が高い。斜め向こうに微かに見える詰所の灯りを目指し再び走り出すと……


「待って! 向こうに落ちているのはカトリーヌさんが羽織っていたショールでは?」


 少し後ろにいた老婆が暗闇に向かって走り出し、次いでしゃがみ込む。俺も駆け寄ると「これ」と言って手渡されたのは間違いなく彼女がしていた黄色いショール。


 靴を拾った場所と騎士の詰所を直線で結んだ線から十メートルほど倉庫街に逸れた場所にそれは落ちていた。

 

 倉庫街は暗がりに包まれていて何も見えないし、声も聞こえない。


「どうしますか?」

「倉庫街につれて行かれた可能性が高い。俺はこのまま調べに行くからお前はもう立ち去れ。身のこなしから行って乱闘に参加できるとも思えない」

「……いえ、一緒に行きます。大丈夫、私逃げ足は早いので」


 否定しないのを潔しとするか。まあ、よい。邪魔をする気は無さそうだし、俺が老婆を助ける気がないのも理解しているだろう。


「勝手にしろ」

「はい」


 言い捨て走り出した俺の後ろからはっきりとした返事が聞こえる。足は遅いし腕力はない、それでもカトリーヌを助けようという気持ちはあるということか。


 倉庫街はその名の通り幾つもの倉庫とそれを縫うように走る細い路地でできている。路地に連れ込んだか、空き倉庫に連れ込んだか。


 早く見つけなければと気ばかりが急いてくる。


 チラリと隣を見れば、やっと追いついた老婆が息を切らしている。体力も人並みか。全く役に立ちそうにない。しかし、気のせいか先ほどよりライラックの香りが強くなっている。


「手分けをしよう。見つけたら大声を出せ、それぐらいできるな」

「分かりました。あなたも見つけたら声を出してください」

「出してどうする? お前に助けられるのか?」

「言ったでしょう、逃げるのは得意なんです」


 逃げるしかできない奴を呼んでどうなる。

 それでもこいつしか頼る奴はいないので、とりあえず左右に別れよう、そう口にしようとした時


 ガターン!!


 金属音が静寂な倉庫街に響き渡る。

 ドラム缶が倒れた音に似ていて、次いで人が倒れる鈍い音と罵倒する声、その合間に小さな悲鳴が混じる。


「あそこ!」


 老婆が指差すのは右端の倉庫、その小さな窓に灯りが揺れている。


 反射的に俺は走り出した。ガタガタと音は鳴り響き、灯りは揺れ続けている。


「間に合ってくれ」


 どうして俺はあの時あんなことを言ったのだろう。

 せめて、きちんと送り届けてから伝えるべきだった。いや、本当に伝えるべき言葉はあれで良かったのだろうか。


 倉庫の扉は左右に開く引き戸で、金属製のしっかりしたもの。さっきまでいた老婆の姿が見えないが、追いつけずに息を切らし蹲っているのかも知らない。


 右側の扉に両手をかけ力を込めれば鈍い軋み音を上げながら扉はゆっくりと開く。弱い月灯りが倉庫内に差し込むと、左奥にいた人影が一斉にこちらを振り向いた。


「ここで何をしている」

「エリオット様!!」


 人影の中心に座り込んでいる他より小柄な影が俺の名前を呼ぶ。


「誰だお前! 閂がかかっていたはずだぞ」

「閂? そんな物……」


 一歩踏み出した爪先が木の太い棒を蹴り飛ばし鈍い痛みが走る。足元を見ればおそらく閂として使われていた腕ほどの太さの木が転がっている。

 

「おい、お前戸締まりはしたと」

「あぁ、しっかりと閂をしたはずなのにどうして?」


 狼狽える男の隙を突くようにカトリーヌが立ち上がり、俺の元へと走り寄ってきた。片足を引きずっていて、倒れ込むように腕に飛び込んでくる。


「エリオット様! 助けてください」

「もう大丈夫だ。俺の後ろに!!」


 サッと彼女のドレスに目線を走らせる。汚れと埃だらけだけれど破れたり乱れたりはしていない。良かった、間に合ったようだ。


 足を挫いているらしいカトリーヌを背に庇い、閂として使われていただろう木棒を拾い上げて両手で構える。握り心地は悪いし、剣より長く太く使い勝手は悪そうだ。しかし、こいつら相手なら問題ない。全くもってこれで充分だ。


 相手は四人。まず飛びかかってきた二人は木棒で腹と側頭部に一発。一人は呻き声を上げ蹲り、もう一人は失神した。


「早く終わらそう」


 そう言って木棒をブンと振り回せば、二つの人影はその場でぴたりと動きを止めて顔を見合わせる。そして揃って銃を取り出し構えやがった。


 男達はそのまま一歩、一歩と近づいて来て、月明かりでも顔が分かるぐらいの距離に。歳は二人とも三十歳後半、一人は背が高くもう一人は中背ながら鍛えられた二の腕をしている。そして揃って分かりやすいぐらいの悪党面。


 もっともどんな面構えでも、女を倉庫に連れ込み銃を構えた時点で悪党に違いないが。


「おい、お前。その女を置いていけ。そうすれば命は助けてやる」

「断る。お前達こそこんなところで銃をぶっ放してもいいのか? 騒ぎ声ならともかく銃声は騎士の詰所まで届くぞ」

「ふん、そんなのお前をぶち抜いたあと女を連れて逃げればいいだけ」


 確かに詰所からここまで走って五分はかかる。俺を打ってカトリーヌを担いで逃げるのは不可能ではない。


「カトリーヌ、走れるか?」

「……私のことは気にせずにエリオット様だけでもお逃げください」

「そんなことできるわけないだろう! 俺の命に代えてもあなたは守る」


 形勢有利とみたのだろう、男達がにたりと笑う。


「そうかい。本来なら足をぶち抜いてゆっくり痛めつけたいところだけれど、騎士が来ることを考えると打てる銃は一発。遊んでいる暇はないか」


 背の高い男がさらに俺に近づく。銃口はしっかりと俺の心臓に向けられている。もう一人の男の銃口はカトリーヌに向けられていて、余計な動きをすれば彼女が危ない。


 月明かりの下で目を凝らし、引き金に掛けられた指を注視する。指が動いたと同時によければ急所は避けられるかもしれない。そんな僅かな可能性に賭けるしかないか、と腹をくくった時、男の指が動いた。


 指の動きと同時にカトリーヌを庇うように右に跳ねる。うまくいけば左腕に銃弾が当たるはず、そう覚悟したはずなのに……


 左腕に痛みが走らない。それどころか銃弾が床や壁に当たった音すらしない。まるで宙で銃弾が消えてしまったようだ。

 そう思ったのは俺だけでなく、打った男も目を見開いている。

 その時だ、入口付近から数人の足音が響いてきた。


「おい! お前達ここで何をしている!! 銃をおろせ」


 騎士が三人現れ、素早く男達を取り囲む。男達の注意が騎士に向いたその隙を付き、俺は目の前にいる男の顔面に木棒を投げつけた。それを合図の様に三人の騎士も男達にとびかかり、あっという間に縛り上げた。


「大丈夫ですか」

「ああ、俺は第二騎士団長のエリオットだ。怪我はしていないが彼女を休めてやりたい」

「エリオット団長ですか! ご無事でなによりです。あとは我々に任せてください。お連れの方と一緒に詰所にご案内します」

「あぁ、すまない。あいつらの取り調べには俺も立ち会う。それと……どうしてここにお前達がいる?」


 騎士は銃声とほぼ同時に現れた。どう考えてもあのタイミングで現れるはずがない。


「少し前に荷夫が詰め所に駆け込んできたんですよ。男達が女性を連れ去るのを見たって」

「こんな時間にまだ荷夫がいたのか」

「ええ、通常彼らは日が暮れれば仕事が終わりのはずなのですが。詰所で待機させていますのでよかったら詳しい話をお聞きになりますか?」

「ぜひそうしたいものだ」


 騎士とのやり取りをしながら上着を脱いでカトリーヌの肩にかける。細い肩は震えていたし、近くで見れば腕に擦り傷がある。捻挫したという脚も心配だ。


「とりあえず詰め所まで行って傷の手当てをしよう。それから家まで送る」

「はい」


 小さく頷くカトリーヌの身体に腕をまわして彼女を持ち上げる。


「あ、あの。歩けますから……」

「その足で? 無理だろう。心配しなくても、羽毛の様に軽いあなたを落としたりしないよ」


 「申し訳ありません」と小さく呟くカトリーヌを腕に抱き、俺は心底安堵した。

 あの老婆の姿は見えないが、もうそんなことはどうでもよいと思えるほどに。 

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