第21話カトリーヌと裏路地の魔法使い.8
季節は真夏。卒業式が終わって一ヶ月が経ち、あと半月すれば新学期で新入生達が入学してくる。
ご主人様のいない学園に用務員として通うのは契約期間が理由。新しい用務員さんがくる新学期まで辞めるわけにはいかず、殆ど生徒のいない校内を掃除をするふりをして箒を持って彷徨くこと一時間。
「ココットさん」
暇だと欠伸をしていると、少し低音の落ち着いた声に名前を呼ばれる。
「カトリーヌさんじゃないですか! 今日はどうされたのですか?」
「私物の片付けと、学園長に紹介状を書いて貰っていたの」
「紹介状? ユーリン国での仕事は見つかったとこの前言っていませんでしたか?」
すったもんだのあと、私のファインプレーで恋人になった二人。
カトリーヌさんは双方の家族への挨拶を終え辞表を出すと、ユーリン国に行って仕事を見つけ戻ってきた。なんでもこの国と縁を繋ぎたい侯爵様がいて、第三皇女の護衛の婚約者であるカトリーヌさんを喜んで雇ってくれたらしい。
「ええ。とりあえず家庭教師を。でもいずれは教職に就きたいから」
「頑張りますね〜。でもカトリーヌさんならどこへ行っても大丈夫ですよ」
「ふふ、それならいいけれど。ココットさんも辞められるのですよね」
「はい。来月からは侍女として働きます」
ま、私の場合は今もコンスタイン公爵家の侍女だから特に変わりはないけれど。
「ねぇ、大通りに新しいフルーツパーラーができたのだけれど、仕事はまだかかりそう?」
「フルーツタルトが美味しいと話題のところですね! 行きます!! 箒すぐに片付けてきます」
そこは学園を辞める前に行こうと思っていたお店!
意気込んで返事をするとカトリーヌさんはクスッと笑いながら、「先に行って待っているわ」と言って立ち去っていった。
時刻は三時。休暇中の勤務時間は三時半までだからあと三十分。うん、もう帰っちゃおう!
何を食べようか考えながら、転移魔術で掃除道具入れまで移動し、箒を片付ける。そのあとは更衣室にこれまた転移してパパッと服を着替えた。
「あっ、ライラックの匂い……」
纏めていた髪を解き片手でほぐすように梳かすと、慣れ親しんだ香りが狭い更衣室に充満する。
「ま、いいか」
転移魔術とライラックの香りを結びつけることができるのは限られた人だけ。気にしない気にしない。それより、ケーキを食べなきゃ!
そう意気込んでフルーツパーラーに向かった私は、カトリーヌさんを前にして固まってしまった。
「ココットさん、紹介するわね。こちら、婚約者のエリオット様」
「初めまして。エリオット・ハロウズです」
「……初めまして。ココットと申します」
あの時の騎士がカトリーヌさんの隣にいる。
どうしよう。いや、でもバレるはずがない。
何ごとも堂々としていれば、大抵どうにかなるものだ。
気を取り直して二人の前の席に座る。カトリーヌさんの前には食べかけのタルトタタン、騎士の前にはコーヒーカップ。
「先に注文してしまったの。ごめんなさい」
「いえいえ、気にしないでください」
すっと近づいてきた店員さんにフルーツ山盛りのタルトを頼む。お腹的にはワンホール入るけれど体面的にツーカットにしておく。とは言え、最近ウエスト周りに肉がついてきたので、紅茶はストレートで頂くことに。
「ココットさん、細いのに甘いものが好きなんですね」
「はい、とても。カトリーヌさんの食べているタルトタタンも美味しいそうです」
次に来た時はあれを頼もうかな。
あれ、二人の前にカクテルグラスがあるけれど。
よく見れば他のテーブルにも。
私の視線に気付いたのかエリオット卿がグラスの淵を指で叩く。
「珍しい果実酒が手に入ったとかで、客に配っているようだ」
「ココットさんの分も持ってきてくれるわ。開店祝いのサービスだそうよ」
「昼間から果実酒ですか。その背徳感、いいですね」
エールは苦くて嫌いだけれど、果実酒は好き。
楽しみに待っていると、店員さんがライトグリーンの液体が入ったカクテルグラスを持ってきてくれた。
「キウイの果実酒ですか」
「とても美味しかったわ。……あっ、私、学園に忘れ物をしてきてしまった!」
はっとした顔で口に手を当てるカトリーヌさん。
生徒から貰った本を同僚に貸して、それを返して貰ったのに机に置いてきてしまったことを今思い出したらしい。
「『裏路地の魔法使い』って本なの。ココットさん、知っている?」
「……はい。ベストセラーになったとか」
「へー、それは興味のあるタイトルだな。ココットさんも読んだのか?」
どうして今このタイミングでその本の話題に……。エリオット卿の目の奥が獲物を捕らえた獅子のように鋭いのは気のせい、だよね。
「読んだことはありませんが、面白いそうですよ」
「そうか、では俺も読んでみようかな」
いや、読まなくていいんじゃないですかねー、と心の中で念じる。
「急ぎじゃなければ、明日私が取ってきて送りますよ?」
「それが明日にはもう出国するの。ちょっと取ってくるので、ココットさんは食べていてね」
ここから学園まで徒歩十分。カトリーヌさんは、残りのタルトタタンを食べると、エリオット卿にも謝り早足でお店を出て行った。
うっ、気まずい。
どっすんの、前の奴。
ドギマギを隠すように果実酒を飲むけれど、鋭い視線がグサグサと突き刺さる。
「お、美味しいですね」
「この国では珍しいキウイの果実酒で、最近入荷したばかりだそうだ。出している店も殆どないが、今まで飲んだことは?」
「いいえ、ありません。綺麗な色ですねー」
飲んだことはあるけれど、どこでかと聞かれると困るのでここは初めて飲む振り。
うん、船で飲んだのと変わらない美味しさ。これが気軽に手に入るようになれば嬉しいな。
と素直に喜べないこの状況。
沈黙が重い、重すぎる!
「ふーん、飲んだことがないのによくキウイの果実酒と分かったな」
「えっ!?」
不穏な空気に記憶を辿れば。
……そういえば、店員さんが持って来てくれた時にキウイって言っちゃったかも!
自分の発言を思い出し、さっと血の気がひく。
どうしよう! この状況、どうやって切り抜ける?
「あんたの身体から甘い匂いがする。カトリーヌは占い師からライラックの香りがしたと言っていた」
「……」
「ケーキ、ツーカットで足りるか?」
「えーと……?」
「船でやたらケーキを食べている男がいたんだが、そいつからもライラックの香りがした」
!! やばい。これは不味すぎる!!
冷や汗で背中がびっしょり。
手汗もすごい。
突き刺さるような視線は獅子そのもの。
もしかして、カトリーヌさんも気づいているの?
「先に言っておくがカトリーヌは知らない。俺もあんたに会ってライラックの香りと果実酒で気づいたばかりだ」
「…………」
「ところで、あの四人の男は拳銃の密売人だったんだが、倉庫にはしっかりと閂を掛けたと言っている。それが俺が入ろうとした時には何故か外れていた。当たり前だが閂は内側から掛かっていた」
「人間にうっかりは付き物ですからね。きっと掛け忘れたんですよ」
「騎士の詰所に駆け込んだ荷夫がいたんだが、老騎士が目を離した隙に煙のように消えたらしい」
「その騎士さんもうっかりさんですね。扉から出て行くのを見逃したんですよ」
「後には季節外れのライラックの香りだけが残っていた」
「ライラックだってうっかり季節を間違えて咲くこともありますよ」
「やけにうっかりが多いな」
「本当ですねー」
うー、どうしよう。
私の存在は内密にとコンスタイン公爵様から言われているし。頭を抱えたい気持ちで果実酒を眺めていると、
「ココット、こんなとこで何している!?」
聞き慣れたご主人様の言葉に私は座ったまま数センチ飛び跳ねた。
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