第4話ライリーと裏路地の魔法使い.4


 魔術の解き方を教えて貰ったらすぐに実行すべき。


 それなのに、あれからもう一週間も経ってしまった。


 その間クロードは毎日送り迎えをしてくれて、花をくれ、甘ったるい言葉をこれでもかと浴びせてくれる。


 それが凄く嬉しくて。

 魔術を解かなきゃいけないのに、どうしてもできない。


 明日もこの笑顔を見たい、もう少し。


 明日には魔術を解かなきゃ、……またできなかった。


 そんな明日を幾つも過ごして、私は夜毎罪悪感に苛まれるように。



「今日こそ最後にしよう!」


 クロードの屋敷で開かれるお茶会に行くためにいつもより着飾った私は、鏡の中の自分にそう言い聞かす。 

 大きく頷くのに、その顔は今にも泣きそうな顔をしていた。



 ザクレー伯爵家につくと玄関でクロードが待っていてくれた。


「ようこそ、庭にテーブルを用意したよ」

「ありがとう」


 差し出された手に自分の手を重ねる。柔らかな微笑みに私も精いっぱいの笑顔で答えるのは、今日で最後にしようと決めているから。


 クロードがテーブルを用意してくれたのは薔薇園。


「ガーベラも綺麗だけれど、ライリーは薔薇が好きだからこっちに用意させたんだ。ガーベラは後で見に行こう」

「ありがとう。これ、私が作ったマドレーヌ、クロード好きだったでしょう」

「嬉しいな。ライリーが俺のために作ってくれたものは何でも好きだけれど、その中でもこのマドレーヌは特別なんだ」

「特別?」

「だってライリーが初めて俺に作ってくれたのがマドレーヌだったから」


 ……そうだっだんだ。すっかり忘れていた。


「十歳の時だよ。真っ赤な顔をして『クロードのために作ったの』って言って。可愛かったなぁ」


 クロードが少し遠い目をしてマドレーヌを頬張り、幸せそうに笑う。そんな昔のこと、私が忘れていたことを覚えていてくれていたなんて。


 嬉しい。そして……ごめんなさい。


 そんな風に大事に思ってくれていたマドレーヌに、私はココットが教えてくれた魔術をかけた。


「朝露と蜂蜜と薔薇のオイルを数滴。それらを呪文を唱えながらよく混ぜるの」


 ココットに言われた通りに作ったマドレーヌが、形の良い唇に触れ消えていく。


 これですべてが終わるのだ。

 

 囁かれた愛の言葉、ずっと覚えているよ。


 触れた手のぬくもり、跳ね上がる鼓動、切ない胸の痛み、全部私の宝物。


 私は隣に座るクロードの肩に手を置き、その頬にそっと唇づけをした。


「……ライリー?」


 みるみる赤くなる頬に戸惑う瞳。そのすべてが愛おしくて、だから私はやっと言葉にすることができた。


「クロード、私達の婚約は解消しましょう」


 見開かれた翡翠色の瞳に、泣きそうな顔で笑う私が映っている。


 いいんだ、これで。

 クロードには幸せな結婚をしてもらいたいもの。


「……どうして急にそんなこと言い出すんだ? 俺、何かしたか?」

「何も、クロードは悪くないよ」

「だったらどうして? 他に好きな男ができたのか? そいつは俺より強いのか? 賢いのか? だったら俺、もっと努力するから……」

「違う違う! そうじゃなくて」


 ……あれ? おかしいな。

 もしかして作り方を間違えた?


 クロードの魔術はまだ解けていないように見える。


「それならちゃんと説明してくれ。じゃないととてもではないけれど納得できないだろう!」


 縋るような真剣な瞳に、喉がぎゅっと詰まる。薬はすぐ効くはずなのに。


「……私聞いちゃったの。クロードが『親が決めた婚約者と愛のない結婚なんて最悪だ』って言っているのを。だから、だから……」


 我慢していたのに涙が一滴零れ落ち、スカートに小さな染みを作った。


「クロードには幸せになって欲しいの」


 私は精いっぱいの笑顔を彼に向ける。だって好きな人の瞳に映る最後の姿はやっぱり笑顔でいたいじゃない。


「じゃ、帰るね。ありがとう楽しかった」


 最後の『大好きだったよ』という言葉をのみこんで私はその場を駆け出した。

 慣れ親しんだ庭を走りながらどんどん涙は流れる。小さい時から一緒に過ごした思い出が走馬灯のように頭をよぎって、私はクロードとずっと一緒にいたんだな、いたいんだなって今更ながら自覚する。


 あと一つ角を曲がったら馬車が見えるって場所で突然腕を掴まれ、思わず転びそうに。


「キャ……!」


 足がもつれ身体が不安定になったところを力強く抱き留められ。知っている匂いに包まれて、顔を上げなくても誰の腕の中にいるのか分かってしまう。


「クロード、離して。もう大丈夫だから」

「嫌だ、だって離したら逃げるだろう。頼むから俺の話を聞いてくれ」


 懇願するような声に胸が締め付けられる。

 私だって言いたくて言ったわけじゃないし、こんなことしたくないのに。


「誤解だ。いや、言った言葉は正しいけれどライリーが思うような意味で言ったんじゃないんだよ」


 解毒の魔術はまだ効かないの?

 私はいつも肝心なところでドジをするからきっと今回も間違えたのね。


「確かに『親が決めた婚約者と愛のない結婚なんて最悪だ』って言ったよ。でも、それは、そんな奴が多いっていうただの一般論だよ。それなのに俺は愛する人と一緒になれるなんて幸せだなぁ、ってそのあと話していたのは聞いてない?」

「……聞いてない」


「はぁ……ライリーはそそっかしいからな。そんなところも可愛いのだけれど。それにそもそもこの婚約は俺が両親に頼み込んで実現したことなんだよ」


 えっ!? そうだったの?

 仲良しの親同士が勝手に決めたのじゃなくて?

 目をパチクリする私を見て、クロードは呆れた顔で息を吐く。


「その様子だと知らなかったみたいだな。確かに婚約の話は漠然とあったよ。でも、俺が『絶対にライリーを大切にするから』って、婚約なんてまだ早いと渋る親を頼み倒して実現させたんだ。俺以外の奴がライリーの婚約者になるなんて死んでも嫌だったからな」

「そんな大袈裟な……」


「いや、本当だ。最終的に、ライリーを幸せにするって書類を書いて血判まで押したんだから」


 息巻いて矢継ぎ早に述べられる真実に、私の頭はついていけない。


 婚約はクロードの望みだったの? それに書類って……私達の婚約が決まったのは五歳。そんな幼い子供が書類を作り血判まで押すなんて、両親達はどれほど驚いたことでしょう。


「知らなかった。だって、クロードそんなこと一言も……」

「恥ずかしかったんだよ。それに俺の気持ちを全部表現してライリーに重く感じられたらと思うと怖くて出来なかった。でも、フルオリーニに素直になって本音を伝えろと言われて」


 その台詞、聞き覚えがある。

 あと、俺の気持ちを全部表現したら重く感じる、ってどういう意味かしら。


 じゃ、クロードが変わったのは魔術のせいではなくてフルオリーニ様に言われたから?

 だとしたらあの魔法使いは何だったの? 

 やっぱり物語だけの話で噂は全て嘘だった?


「まだ信じられない?」

「ううん、そうじゃなくて」


「来て、そんなに考えこむなら俺の言葉が本当だって証明するから」

「えっ? いや、私が今考えていたのはそのことじゃ」


 ない、と最後の言葉を口に出す前に、クロードは私の手を引っ張り歩き始めた。


 庭に向かうのかと思えばそうではなく、そのまま玄関の扉を開け階段を登る。辿り着いたのはクロードの自室で、私は言われるがままにソファに腰をおろした。


「ほら、これを見て。恥ずかしいけれど、ライリーに婚約破棄されるなんて耐えられないから」


 手渡されたのは分厚い本が数冊。

 もう誤解していないと伝えたいけれど、クロードからの圧が凄く断りきれなくて。とりあえず一番新しいものを開いて見ると本だと思っていたのは日記だった。


『今日はライリーと夜会に行った。俺が贈ったドレスを着たライリーは輝くばかりに綺麗で。どうしてこの姿を他の男にも見せなくてはいけないのかと腹立たしく思ってしまう』


 ……もしかして夜会で不機嫌だったのはこれが理由?


『観劇に行ったが、ライリーが胸元のあいたドレスを着ていた。似合っているが目線をどこにやればいいんだ。しかもボックス席、密室。薄暗い部屋がライリーの甘い匂いで満たされ、これで触れてしまっては暴走して何をしでかすか。自制できる自信がない』


 ……ずっと目線を逸らしていたのも、手を繋げないほど離れて座っていたのも、もしかして……


 想像したことに、ぼっと、顔が赤くなる。いや、私の想像が正しいのか分からないけれど。


「ずっと不安だったんだ。本音を伝えたら引かれるかもって。でも、最近ライリーはどんどん綺麗になってすれ違う男達の目線が鬱陶しくなってきたからフルオリーニに相談していたんだ」


 世間では愛のない婚約が多いから、俺達もそうだと思われているのではないか、だから隙をつこうとする男が現れるのだと言われ。

 愛する人と結婚できないなんて不幸だとクロードが口にすれば、それなら愛していることをもっと表現して周りに示せとけしかけられたらしい。

 

 そう言われると、あの会話の意味が変わってくる。


「俺、ライリーを手放すつもりはないよ。俺の気持ちが信じられないならこれからは自制せずどんどん伝えるから」


 そう言ってクロードは次の日記を私に手渡してくる。

 笑顔は相変わらず甘いのに、何故か押し切る迫力が加わっている。手に入れた獲物を逃さないという鋭さが垣間見えるのは気のせいであって欲しい。


 日記は読むほどにクロードの愛情が文字から溢れ、恐る恐る隣を見ると蕩けそうな瞳から熱がそそがれる。


「ライリー、ずっと側にいてね」


 そう言って頬に口づけしてきた私の婚約者の愛情は、想像を超えて重いものだった。

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