第3話ライリーと裏路地の魔法使い.3


 次の日、いつものように身支度をしてノロノロと食事を摂っていると、先に食べ話終わったアイミーが再び食堂に現れた。


「お姉様! 急いで食べて。クロード様がおいでになったわ」

「クロードが!?」


 そういえば昨日別れ際にそんなことを言っていたような。額へのキスに動転してすっかり忘れていたわ。


 残りのスープを急いでお腹にいれ玄関へ向かえば、ガーベラの花束を持ったクロードが立っていた。

 

「おはよう。朝起きると綺麗に咲いていたから、ライリーに見せたくなってね」

「……ありがとう。素敵な花束ね」


 いままで誕生日以外に花をくれたことなんてないのに。戸惑う私に、蕩けるような微笑みを浮かべながらクロードは花束を渡してくれる。


「次のお茶会は俺の屋敷でしよう。まだ蕾のものもあったからその頃には満開になっていると思うよ」

「それは、楽しみ、ね」


 笑顔がぎこちなくならないように気を付け花を受け取り、それを侍女に渡し部屋に飾る様に頼む。


 整った顔に微笑まれるだけでも刺激が強いのに、クロードにツイと、肘を出され私は固まった。


 これは、エスコートするということかしら。


 夜会以外でのエスコートなんて初めてで、戸惑いながらちょこんと手を載せれば、反対の手で上からぎゅっと握られてしまう。

 壁際に控えた侍女達から「まぁ」というため息とも感嘆とも取れる声が聞こえてきて、頬が赤くなる。


「ク、クロード、行きましょう」

「ああ」


 居た堪れずにその場を後にし、クロードの馬車に一緒に乗る。さすがに今日は膝に乗せられることはなかったけれど、クロードは当たり前のように隣に座って。


「ライリーの髪からはいつもいい匂いがするな」

「侍女が香油を湯にたらしてくれるからかしら」


「男とは常時五メートルは距離を取って欲しい物だ」

「……それは学園生活に支障をきたしてしまうわ」


「片時も離れたくないのに、教室が別なのはどうしてだろう」

「……ごめん。私がBクラスだから……次のテストは頑張るわ」

「無理をすることはない。俺がBクラスになればずっと一緒に居られるのだから」

「Aクラスの最前列を簡単に捨てるのはやめて」


 別にクラスなどどうでもいいと言いながら、クロードは私の腰に手を回し引き寄せる。ピタッとくっつく身体から伝わる熱を感じながら、早く魔術が解けないかと思う一方でこの時がずっと続けばよいのに……と思ってしまった。


 だってこんなクロードは初めて。

 戸惑う気持ちの方が大きいけれど、

 甘い言葉に熱のこもった視線は私がずっと欲しいと思っていたもので。


 例え魔術による偽りのものだとしても、嬉しいと思ってしまう。


 馬車を降りてから始業ベルがなるまで私のクラスでずっと手を繋いでいたクロードが、やっと自分のクラスに向かったのを見て、友人のアメリアとクルルが駆け寄ってきた。


「とうとうクロード様がお熱を上げてきたようね」

「いつものクールなお姿もいいけれど、甘く熱の篭った視線も堪らないわ」

「放課後抱き抱えられて馬車まで歩いていたのを見たって噂になっているけれど本当?」

「朝も同じ馬車で登校してたわよね」


 もうすぐ先生が来るというのに、休み時間まで待てない二人が畳みかけるように聞いてくる。


 しかも、昨日のことがもう噂になっているなんて。


「ふ、二人とも! 先生が来たわよ」

「あら残念」

「詳しく話はランチに聞くわ」


 二人が先に戻ったところで私はやっと一息つく。

 朝から心臓、もたない。

 一日分の体力を使い果たした気分だわ。


 ランチはいつもはアメリア達と食べるのだけれど、今日はクロードが一緒に食べようと誘ってくれた。それを見て二人は、「ごゆっくり」と笑顔で立ち去っていく。

 

 とりあえず、人に見られない場所をと、私は裏庭の大きな木の下にクロードを誘った。


 やたら近い距離はもうおきまりで、せっかく料理人が作ってくれた料理の味が分からない。


「どうしたんだ、なんだか元気がないようだが」

「そんなことないわ。あっ、クロードのお弁当美味しそうね」


 いつ魔術が解けるのかと考えていたのが、落ち込んでいるように見えたようで、適当に話をそらしたのだけれど。


「そういえばこのマリネはライリーの好物だったな」


 クロードはプチトマトをフォークで刺すと、私の口元にもってくる。えっ、これは、もしかして食べろということ?


「はい、あーん」

「………………あーん」


 キラッキラの笑顔に負けて小さく口を開けると、唇に冷たいものが触れ甘酸っぱい風味が口に広がる。


「どう?」

「…………美味しい」

「そう、良かった」


 心臓が飛び跳ねる距離にある笑顔に堪らず顔を逸らすと、少し先からこちらを伺っているフルオリーニ様と目があったしまう。


 どうやら話しかけるタイミングを見計らっていたようで。ちょっと気まずそうにこちらに近づいてくる。


「あの……クロード」

「なんだ。どうしたんだ?」


 おずおずと声をかけてきた友人にクロードは冷たい視線を向ける。仮にも相手は三大公爵家の方なのだけれども。


「いや、お楽しみのところ悪いんだけれど、先生が探してたぞ」


 クロードの眉間に皺が入り明らかに不機嫌な表情に。そして、はぁ、とため息をつくと私の手を掬いあげ、切なそうに翡翠の瞳を潤ませる。


「ごめん、ライリーちょっと行ってくるよ」

「う、うん。分かった。私なら大丈夫だから早く行った方がいいわ」


 今生の別れのような雰囲気を醸し出され、当惑する私。

 一部始終を見せつけられて、顔を引き攣らせるフルオリーニ様。


 昨日、婚約破棄を匂わせるようなことを言っておいてこれだものね。戸惑うのも無理はない。


 クロードは私の指先に唇を落とし、放課後は一緒に帰ろうと言ってフルオリーニ様と一緒に去って行った。


 その後ろ姿を見送りながら、心底思う。


「魔術って凄い」


 あの甘ったるいまなざしも。突如として囁かれた愛の言葉も。


 すべて魔術のせい。


 戸惑いと、嬉しさ。

 それから朝には感じなかった喪失感が胸にこみ上げてくる。


 だってあれはクロードの本心ではなくて、すべては魔術が起こしたことだもの。

 クロードが望んでしているわけではない。


 それなのに、分かっているのに。

 胸は高鳴り、切なく苦しくなる。


「……馬鹿みたい」


 何を一人でオロオロしているのだろう。すべてまやかしだと知っているのに。

 一人になって現実と向き合った途端、虚しさが込み上げてきた。確かにクロードに愛して欲しいと願ったけれど、こういうことじゃない。

 

「……あの、大丈夫ですか?」


 突然声を掛けられて顔を上げれば、黒い服に白いエプロンを付けた女性が目の前に。


 学園で雇われた事務員兼雑用係の彼女は、大きな黒縁眼鏡の奥の紫色の瞳を少し彷徨わせたあと、ポケットからハンカチを取り出すと私の目の前に差し出す。


 どうしてハンカチ、と首を傾げると、女性は困ったように眉を下げながら、「涙を拭いてください」と言った。そこで私は自分が泣いていることに初めて気づいたのだ。


「ありがとう。いつもお花の手入れをしてくれている方よね」


 人前で涙を流していたことが恥ずかしくって、誤魔化すように話を振ってみると。


「はい。以前、薔薇の棘で手を怪我した時ハンカチを貸して頂きました。いつかお返ししようと思って持ち歩いておりました」


 そういうとポケットから綺麗に洗われ畳まれたハンカチを渡してくれた。

 そのハンカチは確かに見覚えのあるもので。

 私はその女性をまじまじと見あげる。


「いいわ、それはあなたにあげる」

「そんな訳にはいきません。これ、絹ですよね。こんな高価な物は頂けません」

「そう? だったら今お借りしたハンカチと交換してくれないかしら。涙で汚してしまったし」

「でも、それは綿で。しかも品質もよくありません」

「あら、可愛い小鳥の刺繍がしているじゃない。私とても気に入ったわ」


 にこりと微笑み、私は強引かな? と思いながら涙にぬれたハンカチをポケットに入れた。彼女も少し戸惑ったあと、では、とハンカチをポケットにしまう。


「……あの、差し出がましいのですが、どうしてこんなところで泣かれているのですか?」


 優しい言葉にまた涙が滲んでくる。私が何も言わないでいると、彼女はそっと隣に腰を下ろし、その小さな手で背中を優しく撫でてくれた。

 

「宜しければお話しください。何かお役に立てるかも知れません」

 

 覗き込む紫色の瞳はあの占い師の老婆と同じ。だから、というわけではないのだけれど、優しい声に促されるように、気づけば私は今までの事すべてを話ていた。


「……そう。まさかそんなことになっているなんて」


 一通り話を聞いた彼女は、眉間に皺を寄せながらポツリと呟く。


「そんなこと、って?」

「あ、いいえ。こちらの話です。それでどうされるのですか、まさか婚約解消なんて……」

「ええ。それが一番いいかと。でもまずはクロードにかけられた魔術を解かないと」


 クロードには幸せな結婚をして欲しい。その為には私が身を引くのが一番だと分かっている。


「あの、その占い師の噂でしたら私も聞いたことがあります」


 おずおずと切り出す彼女を見ながら、まだ名前すら聞いていないことを思い出す。


「あの、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

「はい、ココット、と申します」


 そう言ってココットは改めて頭を下げると、思いもよらないことを口にした。


「私、その魔術の解き方、知っています」

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