第2話ライリーと裏路地の魔法使い.2
頬に風が当たり、草木の揺れる音が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、飛び込んできたのは茜色の空。
「ここは……校庭?」
がばっと身体を起こすと、そこは見慣れた校庭の隅にあるベンチの上で。
横を向けば夕陽を受け赤く染まった校舎。帰宅を促す鐘の音が聞こえているので時間は五時だろうか。
「夢?」
私、裏路地にいたはず。
黒いローブを羽織った老婆はどこ?
あれは幻だったの?
事態が飲み込めなくて、ひたすら瞬きを繰り返し周りの景色を見ていると、良く知った声が聞こえてきた。
「ライリーここにいたのか。探したぞ!」
振り向くと、花壇と木立の間の細い道から、クロードの走ってくる姿が。
どうしよう、今は会いたくない。
どんな顔をすればよいのか分からないのに。
でも、私の心の準備なんてお構いなく、クロードは私の目の前にやってきた。
そう、目の前。
……えっ、近くない?
吐息がかかる近さにある整った顔に思わず身体を反らすも、ベンチの背もたれがそれを邪魔する。翡翠色の瞳には、狼狽える私の姿がはっきりと映っていた。
「クロード、その……」
「どこに行っていたんだ。心配したんだぞ」
少し語気は強いけれど、眉を下げ心配そうなその顔は演技に見えない。でもこれはきっと愛情からではなく、婚約者としての責任からなのでしょう。
「ごめんなさい。心配をかけて、ちょっと散歩をしていただけだから」
そう言って立ち上がろうとすると、膝に鈍い痛み。
そうだ、膝、怪我していたんだっけ。
「どうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
「大丈夫。少し転んだだけだから」
大したことはないと胸の前で手をふり、怪我をしていない方の足に体重を乗せながら立ち上がろうとすると、目の前が急に陰り次いで身体がふわりと宙に浮いた。
えっ、何?
何が起きたの?
再び視界に入った夕焼け空を背景に、クロードの尖った顎が見え、爽やかな香水の香りが鼻孔をくすぐる。
いきなり横に抱きかかえられ全身が熱くなっていく。
「ク、クロード? どうしたの」
「足、怪我したんだろ? このまま馬車まで行こう」
えっ、このまま?
でも、ここは校庭。
放課後とはいえ、残っていた生徒が下校の鐘を聞いて校舎から出てきたから、人がそこここに。
そこをこの体勢で横切るつもり?
「待って、皆見てるわ」
「構わないさ」
「明日には噂になるわよ」
「婚約者と仲が良いと噂されても、嬉しいだけで害はない」
そんな、と言葉にならない声をあげ、口をはくはくする私に、クロードはとびっきりの笑顔を向けてくる。
「それにライリーに他の男が寄って来なくなる」
「なっっ……!!」
耳まで熱くなった私に、フッと笑みを溢すとクロードはスタスタと校庭を横切り始めた。
……これは想像したより見られている。
すれ違う人には二度見され。
校舎の窓からこちらを除く人影も。
でもクロードは全く気にすることなく、校庭を通り抜け、私を自分の馬車に乗せると、御者に「ライリーの御者に俺の馬車で帰ると伝えてきてくれ」と頼んでしまう。
「クロード、私、自分の馬車で帰れるわ」
「駄目だ。怪我をしたライリーを一人で帰らせることなんてできない」
そんな、転んだだけなのに……
そんな私の気持ちをよそに、伝言を頼まれた御者はあっという間に帰ってきて馬車を走らせてしまう。
「あの、クロード……」
「なんだい?」
「これはいったい?」
訳が分からないと、戸惑う私をクロードが見つめる。まるで、狼狽える私の方がおかしいかのように。
でも、馬車の中でも膝にのせたままって。そこに違和感を感じるのは当然で。
「もう下ろしてくれて平気よ」
「だめだ、馬車の振動で膝が痛むかもしれないだろう?」
「ではもう少し馬車のスピードを上げない? これでは日が暮れてしまうわ」
「駄目だよ。傷に響くといけない」
そう言うと、にこりと微笑み私の身体をさらに抱き寄せる。
密室で身体を寄せ、感じる体温と煮詰められていく空気に私の鼓動をどんどん早くなる。
いったい、急にどうしたっていうの?
普段はこんなことしないのに。
そうだ、怪我が大したことないと伝えればいいのよ。
私は少しスカートをあげ、傷をクロードに見せることに。
「見てクロード、怪我をしたっていってもこの程度のことなのよ」
クロードの視線が私の膝に向けられ数秒。
顔が不自然なほど違う方向に向けられた。
それはもう、首が痛くないかというほど。
「ラ、ライリー。駄目だよ、こんな状況で足を見せたりしては」
「だって本当に大したことないのよ? もう血だって止まっているし、そもそもかすり傷なのだから」
降ろして欲しくて必死で説明するのにクロードは全然こっちを向いてくれない。それどころかスカートの裾をつっと引っ張って傷口が見えないようにしてしまった。
「とにかく、今日は帰るまでこのままでいる。それから俺以外の男に足を見せるなんて絶対にしないでくれ」
キッと睨まれ、私はコクコクと何度も頷く。
クロードは少し顔を赤めながらも、結局最後まで私を離してくれなかった。
▲▽▲▽▲▽
馬車が屋敷に着いた頃には空に綺麗な月が浮かんでいた。
抱き抱えたまま屋敷の扉を開けようとするクロードを全力で阻止し、やっと地面に足をつけた私の口から大きなため息が漏れる。
地に足が着くことがこれほど大事だと思わなかったわ。
「クロード、ありがとう。では、また明日」
クロードの幸せのためには一刻も早く婚約解消をした方がいい。でも、私の気持ちの整理もまだ着かないし、今日はこれ以上何も考えられない。
さよならと振る私の手をクロードがすっと絡めとる。あっと言う間もなく引きよせられると、額に口付けが落ちてきた。
「明日からは一緒に登校しよう。迎えにくるよ」
蜂蜜のような甘い声。
蕩けるような眼差し。
初めて見るクロードの姿に私の思考回路は限界を迎えた。
夕食に何を食べたのか。
いや、そもそも食べたのか。
それすらも分からない。
放心状態で自室のソファに身を沈めていたら、ドアがノックされ勝手に妹が入ってきた。
「お姉様、借りていた本を返しにきたけど……って、ぼーってしてどうしたの?」
「う、うん……」
「今日はいつも以上にぼんやりしていたけれど、いったい何があったの?」
隣に座ってきた妹のアイミーに、まさかクロードに愛がない結婚は嫌と言われたなんて言えなくて。
とりあえず、「気分転換に街をふらついていたら占い師の老婆に会った」と言うと、茶色の瞳を大きく見開き詰め寄ってきた。
「何それ、まるでこの小説みたいじゃない!!」
でん! と私の前に突き出された青い表紙の本。流行りだからと買ったものの、読まずにアイミーに貸したものだ。
それを見てもピンとこない私に妹は呆れたようにため息をつく。
「もう! お姉様は本当に何も知らないのだから。あのね、この本『裏路地の魔法使い』は、とある令嬢が人気のない裏路地に迷い込んでしまうことから始まるの。そこで白銀の髪に紫色の瞳の占い師にあって、まるで暗示にかかったかように、胸の奥にしまっていた誰にも言えない不満を話してしまうの」
「えっ!? そ、それでその後どうなるの?」
アイミーは(自分で読みなよ)と言いたげな目を私に向けながら、生意気に腕を組む。
「もう、仕方ないな。教えてあげるわ。老婆は『最後にあなたの望みを叶えてあげよう』っていうのよ」
……望みを叶える。
そうだ、あの時、確かに老婆はそう言った。
「でもその老婆は占い師なのよね? 望みを叶えるなんてできるの?」
私の問いにアイミーはすっと目を細め声を顰める。
「表向きはね、でも実は魔法使いなの。ライリーも昔この国に魔法使いがいたことは知っているでしょう? その子孫らしく魔術で望みを叶えてくれるらしいの」
確かにこの国には大昔、魔術が存在していたらしい。今も、ごく稀にだけれど魔術を使える人がいるらしいけれど、身近にその存在を聞いたことはない。
「……アイミー、確認だけど。それって物語の話、よね?」
「それが、実際にあった話らしいのよ。だから余計に人気が出て今やベストセラー」
……もしそれが本当なのだとしたら。
突然私が校庭にいたのも、
私に対するクロードの態度が変わったのも。
「……すべては魔術のせいだったの?」
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