裏路地の魔法使い〜恋の仲介人は自分の恋心を封印する〜

琴乃葉

第1話ライリーと裏路地の魔法使い.1

 

 私、ライリー・イエリッチと婚約者のクロード・ザクレーとの仲は悪くない、そう思っていた、この日まで。


「親が決めた婚約者と愛のない結婚なんて最悪だと思わないか」

「確かにな。クロード、お前は俺といるときと同じぐらい婚約者の前でも素直になるべきだと思うぞ。その言葉と一緒に本音を伝えたらどうだ?」


 衝撃的な会話の内容に私は扉にかけていた手をピタリと止める。


 扉の向こうにいるのは私の婚約者のクロードと、この国の三大公爵の一人、フルオリーニ様。


 放課後、クロードを迎えに隣の教室に向かった時はあんなにウキウキとしていた心が、今は鉛を飲み込んだように重い。


 信じられない言葉に、まずは聞き間違いかと我が耳を疑い、

 でも窓からこっそり覗いたその先にいるのは見間違うはずもない顔で。

 ショックで目の前が暗くなっていく。




 私達の婚約が決まったのは五歳の時。

 同じ年齢、同じ伯爵家、領地が隣で母親同士が親友、父親同士は同じ騎士団。

 

 どうやっても切っても切れぬ縁で繋がっていた私達。


 母親達は、大きなお腹を撫でながら、産まれてきたのが男の子と女の子なら結婚させようと約束し。

 父親同士は、いきなり攻め込んできた隣国の敵兵相手にお互いの背を預けながら、産まれていた子供達を結婚させようと謎の誓いをして生き残った。


 だから私達は産まれた時から一緒に育った。

 それはもう兄妹のように。


 友人には「そこまで一緒に育ったら、恋愛感情なんて持てないでしょう?」と言われたこともあるけれど、とんでもない。


 私の夢はクロードのお嫁さんで、嫌いな勉強を頑張るのはいずれ伯爵家を継ぐクロードを支えるため。最も元々の頭のできがよろしくないのか成績は中の中だけれど。


 それなのに。


  ーー愛のない結婚なんて最悪ーー


 そんな風に思われていたなんて。


 確かに夜会ではいつも不機嫌にしているし、観劇をボックス席で見た時も流行りのドレスを着ていたのに目もくれなければ手すら繋いでくれなかった。


 思い出す限り、愛を囁かれたこともない。


 幼いころからよく言えばおっとりしている、

 悪く言えば抜けていると言われてきたけれど、こういうことだったのね。


 遅ればせながらそのことに気づいた私は、窓枠から手を離し数歩後退りしたところで走り出した。


 令嬢が走るなんてはしたないけれど、今はとにかくそこから離れたくて。途中曲がり角で銀色の髪の女性とぶつかりかけながらも足は止めなかった。

 

 走りながら涙が頬を伝い視界を歪ませる。

 誰にも会いたくない一心で御者の待つ正門ではなく、裏門へと向かい、そのまま街中へと走り出た。


 すれ違う人がこちらを見るたび、自惚れていた私を笑われているような気分になって、顔を背けさらに人のいない方へと向かう。


 どうしてこんなことになっちゃったのかな。

 凄く、凄く好きなのに。


 そうやってどんどん進むうちに、灰色の石畳だったのが、角のかけたレンガになって、とうとう土埃の道に。


 歩きながら思い出すのはクロードの濃紺の髪と翡翠のような瞳。すらっと背が高く、切れ長の瞳に時折かかる前髪が影を落とすさまは憂いすら感じさせる。


 どこにでもいる茶色い髪と瞳の私とは不釣り合いなのは明らかで。だから隣に立ってもおかしくないよう努力していたのに。


 

「……あれ? ここどこ?」


 下ばかり見て歩いていた私は、気づけばかなり奥まった路地に迷い込んでいた。上を見上げれば、四角く切り取られた曇天が見えるだけで、閉塞感がより募る。


「……痛い!」


 上を向いて歩いていたら、小さな段差に脚をとられ転んでしまった。少しスカートを上げれば膝からじんわりと血が滲む。


 迷子になって転ぶなんて子供みたい。こんなだから嫌われちゃったのかな。なんだか、違う世界に迷い込んでしまったみたいで、延々とこの路地から抜け出せない気がしてしまう。


 ……それなら、そうでもいいか


 その時、どこからともなくライラックの香りがしたかと思うと、薄暗かった目の前がほんのりと紫色に変わる。


「紫?」


 その色を不思議に思い周りを見渡すと、少し先に紫色の光を放つランプが見えた。


 腰の高さほどに浮かんで見えたそれは、目を凝らしよく見ると真っ黒の布をかけられた机の上にのっているよう。そしてさらにその向こう、薄闇と一体化するかのように黒い外套を着た人影が見えた。


 誰? 

 見るからに怪しげな人影に身を縮こませれば、真っ黒なローブから枯れ枝のようなう手が伸びてきてまるでおいでおいで、とするように指先が動く。


「えっ? 私」

「そうじゃ。他にだれもおらんだろう?」


 しゃがれた老女の声が細い裏路地に響く。明らかに不自然で怪しいその老女は、悠然とこちらに手を振りながらもそこから動こうとはしない。


「あの、私ちょっと迷い込んじゃっただけ……」

「ほっほっ、せっかく来たんじゃ、そんなに急がなくてもいいだろう。ほれ、ちょっと座ってごらん、こんなところで出会ったのも何かの縁だから占ってやるよ。何か悩み事があるんじゃろう?」


 立ち去るために一歩下げた足が踏み留まる。最後の一言に私の身体がピクリと小さく跳ね、心がざわりと揺らめく。


 聞いてもらいたい。

 誰かに、今すぐ、この苦しさを。


 私は戸惑いながら老婆に近づくと、向かい側に置いている背もたれのない丸椅子に浅く腰をかけた。


「ほれ、この水晶に手をかざしてごらん」


 机の上にある水晶に手をかざすと、老婆はその紫色の目を細め水晶をじっと眺める。その奥に何が見えるのかと覗くも、水晶は私の顔を映すだけ。


「あぁ、これは可哀想に。あんた婚約者に愛のない結婚は嫌だと言われたんじゃな」

「!! どうしてそんなことが分かるのですか」

「占い師だからじゃよ。どれどれ話を聞いてやろう、泣きながらでもいいから話してごらん」


 そう言うと、老女の手からティッシュがポンと出てくる。まるで魔法で呼び出したかのように。呆気にとられながらも、気づけば私は今日聞いたことを老女に話していた。


「……それで思うのです。私は身を引くべきだと。だって大好きな人には幸せになって貰いたいじゃないですか」

「そうかい、そうかい、あんたいい子だね。でもそれでいいのかい? もう少しきちんと話し合ってみたら……」

「いいえ、いいんです。でも……」

「でも?」

「一度でいいからクロードに甘やかされ愛を囁かれたかった。私に四六時中べったりで、私がいなきゃ生きていられないってほど溺れて欲しかった」


 自分で言って、苦笑いが込み上げてくる。

 そんなことあり得ない。

 でも、私と同じ分だけクロードにも私を思ってほしかった。


「……その望み叶えてやろうか」

「えっ?」


 私が目を大きく見開くと、老婆が皺の目立つ唇でにやりと笑う。そして、あの枝みたいな手を翳してきた。


「あんたの望みのままに」


 老女のしゃがれた声と同時に目の前が真っ暗になり、次いで身体がぐるんぐるんと回転する感覚が。落下していくような浮遊感に思わず目をつむり、吐き気をこらえていると、数秒後、背中に固い物が当たった。

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