第32話 天才


――コンコン、と橙子のネームプレートの掛かる扉をノックする。


(......)


居ない、のか?数十秒が経過し、再度扉を叩こうとすると、後ろから母さんが声をかけてくる。


「結人、橙子なら居ないわよ。でかけてる」

「え、ああ......」


「珍しいわね。結人が橙子に用事なんて」


柔らかな微笑みを浮かべる母さん。


「橙子喜ぶわよ。お兄ちゃんに構ってもらえたって」

「......そ、そうかな」


いつもなら俺は「そんな事あるわけないでしょ。あいつ俺の事嫌いだろうし」と否定していただろう。しかし、あの狂気にも似た愛情表現、愛の言葉の羅列を目の当たりにすればもう否定する余地は無かった。


あの録画は俺のベッドに寝たその後も妹は色々と好き勝手やっていた。見ているこっちが恥ずかしすぎて苦しむレベルの......もはや逆に拷問されてる感じで、羞恥心ゲージがMAXだった。


まあ、何が言いたいのかというと、妹は俺が好きだった。それは疑いようの無い事だという事。


「母さん、ちなみに橙子......どこいったとかって知ってる?」

「あー、ちょっとコンビニに買い物って言ってたわよ。そう言えばちょっと遅いわね」


(......話すなら外の方が都合が良い気がする)


家の中じゃタイミングも無さそうだし。


「母さん、俺もちょっと出てくる」

「あら、迎えに行ってくれるの?」


「ああ、うん」

「ありがとう、結人。気をつけてね」


家を出てコンビニへとかけて行く。近場の公園を通り過ぎ、やがて学校の方向へ道が重なる。

日が沈み始める時間帯。街路樹と並ぶ街灯が点きはじめた。


やがてコンビニへとたどり着き、扉を引く。この体になってから重く感じる。筋肉が少なくなったからなのかもしれない。


店内を本のコーナーから飲み物の冷蔵庫、お菓子コーナー、菓子パンカップ麺、食品コーナーと一通り回る。

しかし、どこにも橙子の姿は見当たらなかった。


(......もう家へ帰ったのか?でも、すれ違わなかったし......ホントにコンビニに行ったのか?)


とりあえず入るだけ入って何も買わないのは抵抗があったので、適当になにか買って帰ろう。エナドリとカップ麺と、あとポテチ......。


お会計を済ませ、外へ。


その時、車道を通り過ぎた車の向こう。見覚えのある二人が目に映る。


(......あ、橙子!)


さがしていた妹が誰かと二人で歩いていた。友達といるのであればそのまま見過ごすところだが、一緒にいた人間が陽向ならばその限りではない。


俺は走りだした。あの録画映像で橙子が陽向を良く思っていない事がわかっている。あのまま二人きりにしておくのは危ない気がする。


(追いかけよう。......場違いであっても、何かがあって後悔するよりは良い)


すぐ向こうに歩道がある。そこで向こう側に回って......それで、っ。

走り出して十秒も経たずに息があがる。ぜえぜえ、と肩で呼吸をして膝に手をつく。


「はあ、はあ、......た、体力、無さすぎる......」


引き籠もり生活もあるが、TSした時の影響が大きいのだろう。あの頃からすぐに眠くなる事が多く、お昼寝することも。


体力、つけないとなぁ。前の初ライブも終わった直後は動けなくなったし。


(......つーか、見失った)


のろのろとナメクジのようなスピードでさっきみかけた場所まで辿り着く。そこには当然彼女ら二人の姿は無かった。移動したのだろう。


体力的にもう捜し回ることもでき無さそう。帰ろう。このままうろついてて体力が尽きたら帰れなくなる。


「――あ」


帰路につき、公園を通ると二人の姿があった。俺は思わず反射的に姿を隠す。......なんで隠れちゃったんだろう。


広い公園。左の方にブランコが二つあり、その横に小さな山がある。奥の方に鉄棒、砂場。

右の方にはちょっとした休憩所のようなベンチが二つの並べられていた。

ここは幼稚園や保育所が近く、休日には親子が多く訪れる。


橙子と陽向がベンチに腰掛け、なにやら会話をしていた。


俺は入口の木陰に身を隠しているので、遠くてその会話の内容は聞こえない。しかし、橙子のその険しい表情から話がこじれていることが伺いしれた。


(......もう少し近づくか)


公園の周囲には植木が取り巻くように植えられている。それを利用しオレハ近づいていく。まるでスパイにでもなったような気分だ。言い換えれば不審者。......通報されないよな?


うまく彼女らの側の植木に移動することができた。夕暮れ時であたりが暗いのも手伝って身を隠すことも難しくない。

耳を澄まし二人の会話を聞く。


「それで、結人は......その話を知っているの?」

「まだ、です」


その話?


「なら、まずは結人に言うべき。じゃなきゃ、あたしからはどうとも言えない」

「い、いえ、まずはあなたからです!あなたがおにぃ......兄を陥れたから、引き籠もりになったんじゃないですか!」


......え、どゆこと?


「兄は天才なんです。あなたがいなければ一人で配信者として成功するはずなんですよ......だから、もう兄には近づかないでください」




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