4、中田英寿選手 世界基準のパス

 1998年、日本が初めて出場したフランスワールドカップで、中心選手として日本代表を牽引したのが、当時21歳の若き司令塔・中田英寿選手でした。中田選手は当時から、或いはそれ以前から、パススピードが遅い、これでは世界と戦えない、通用しないというような事を言い続け、常に強いパスを意識してプレーしていました。当時の日本代表のレベルは低く、中田選手のパスを満足に受けられない選手も多数いました。それでも中田選手は周囲に合わせてレベルを下げるのではなく、世界の水準に合わせた強いパスを出し続けました。Jリーグ時代、または日本代表の中からも、「味方が取れないパスを出すなんて」というような批判が噴出しましたが、世界で戦うために必要な事でした。結果的に、中田選手がいた時代の日本代表は、世界トップ10に入る高評価も受け、同時に周囲の選手たちのレベルも押し上げられました。それは世界では当たり前のパススピードだったのです。中田選手が海外移籍した最初のクラブ、ペルージャ時代に、それを証明してみせました。中田選手は、ここでも世界レベルのパスを出し続けました。パスの受け手は、ペルージャの点取り屋だったクリスティアン・ブッキ選手やミラン・ラパイッチ選手です。特にラパイッチ選手は、クロアチア代表でも活躍したワールドクラスの選手で、中田選手の「少し長いか?」と思われるようなパスでも、しっかりライン際で追い付いてチャンスに繋げたり、そのままゴールを奪ったりしていました。世界基準のパスに、世界基準の動き出し。これらが噛み合った結果でした。


 当時ペルージャがいたイタリア・セリエAは、世界最高リーグでした。世界のトップ選手が集い、しのぎを削っていたのです。一例として、96年チャンピオンズリーグ優勝+2年連続準優勝のユベントスには、フランス代表のジネディーヌ・ジダン選手、同じくディディエ・デシャン選手、オランダ代表のエドガー・ダヴィッツ選手、同じくエドウィン・ファン・デル・サール選手、ウルグアイ代表のパオロ・モンテーロ選手、クロアチア代表のイゴール・トゥドール選手、それに地元イタリア代表のフィリッポ・インザーギ選手、同じくアレッサンドロ・デル・ピエロ選手、同じくジャンルカ・ザンブロッタ選手等々、錚々たるメンバーが揃っていました。今現在で言うなら、プレミアリーグのマンCに相当します。衝撃的だったのは、当時の世界最強チームであるユベントス相手に、弱冠21歳で初めての海外挑戦、セリエAデビューになった開幕戦という状況で、中田選手が2ゴールを挙げた事です。3対4で試合には敗れましたが、世界トップレベルの選手に交じって全く引けを取らずに堂々と戦い、絶対王者をあと一歩のところまで追い詰める大健闘でした。中田選手が所属していたペルージャというチームは、セリエBから昇格したばかりの、いわばセリエA最弱チームの一つだったにも関わらず、です。これを現代で例えるならば、ブライトンに加入した三笘薫選手が、プレミアリーグ開幕デビュー戦で、マンC相手に2得点するぐらいの衝撃です。

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