26 嵐の只中に
「おい! くそ、何だってんだよ! ちゃんと言っといてくれって!」
王城の正面から、暴風が吹き荒れる広場へと駆ける。マゼルは、葉や小枝を巻き込んで吹き付ける風の中、人っ子ひとりいない広場の状況を、するどいまなざしで見渡して確認した。
さえぎるものなどなかったはずの正面広場。石畳の広場の王城に近い端に、建造物が突き刺さっている。鉄柱のてっぺんを下に城の尖塔が中ほどから折れて、地にめり込んでいた。
散らばった瓦屋根、めくれた石畳。地面に突き刺さる時に曲がった、避雷針でもある鉄柱の残骸。植物の葉や花をかたどった飾りが何者かに握りつぶされたかのごとく、無残な姿に変わっていた。
「嵐で人がいなかったのを良しとするしかねえな」
くちびるを噛んだマゼルの暴風でふさがれた耳に、風音ごときでは負かせない声が届く。名を呼んだなじみの野太い声へと青い瞳を向け、マゼルは返した。
「おう、バンダイク! そっちは大丈夫か?」
「ヴィオレッタンっ! 何度も言わせないで! この非常時に!」
紫の髪に、同じ色の派手なつなぎ。片手には大槌を握って、ヴィオレッタンが駆けてくる。重い足取りに、その手の武器。いつもは針を握っている、新進気鋭の刺繍職人とは思われない風情だ。
この非常時でも邪魔にならないようにと編み上げた髪が、城の舞踏会に駆け付けているような雰囲気を
だがしかし、だぶついて見えるはずのつなぎの上からでも分かる、ビオレッタン=バンダイクの上腕のたくましさが、別の意味でも目を引いている。
「お前、おとりにでもなってくれんのか? 通りの向こうからでも、よく見えるぞ」
「もう、バカにして! これでこそ、避難者の誘導には役立つのよ。っていうか、天使ちゃんは? 大丈夫なの?」
マゼルは眉根を寄せた。
「大丈夫に決まってんだろ。親父とギンレグン様が付いてんだ。そこが一番安心だろうが、今のこの国じゃ」
そここそが、最前線の場所だ。
急襲をかけて来た魔人と直接戦うことは、二人の英雄と、その後継者に任されている。マゼルの言葉は、最前線の最も危険な場所に、愛娘とその幼なじみが今まさにいるのだという意味であった。
まだ十歳なのよ!
冒険者仲間から打ち明け話を聞いた時から何度となく繰り返して来た言葉をまた叫びかけたが、ヴィオレッタンは我慢した。
それを言うと、その時ばかりは父譲りの柄の悪い目付きでにらみつけてくる可愛らしいふくれっ面が、紫の瞳に浮かぶ。
マアルーンのその覚悟を、ヴィオレッタンも信じている。代わりに何か力づけられそうなことをと、最も気をもんでいるだろう、英雄の息子にして未来の英雄の父親に語った。
「天使ちゃんたちには、私のお守り装備が付いてるんだから! そうよね、絶対大丈夫よ!」
「おう」と一声、マゼルが答える。笑みをかわし、仲間はそこで別れ、各々の役目に戻った。
宰相の伝達係として、王都の被害状況の把握に務めるマゼル・ペペッシュと、元冒険者として緊急招集がかかった際には住民の避難や敵の迎撃に動く、バンダイク=ヴィオレッタン。
兵士のみならず、新旧の冒険者たちがギルドマスターの
事態はそれほど深刻だ。だが、希望もあった。
王国には英雄がいる。それも二人。
そして、その特別な力を受け継いだ者がいる。それもまた、二人。
ペペッシュとレイゼンスター。祖父と孫の前に、それは現れた。
魔導式機械人形。建国の祖の作りしもの。
滅亡した帝都の負を一身にまとった最悪の遺物、魔人が。
森を抜けた先、王都の玄関口でもある、もうひとつの広場。下町の通りに続く、いつもは多くの人でにぎわうそこは、硬質な響きと張りつめた空気で満たされていた。
吹き荒れた風は夏の嵐をもしのぐ勢いで、うなりを上げて広場を通り抜ける。暴風のなごりが葉を巻き上げる中、硬い腕が大きく振り回された。
黒い旋風のごとき一撃を、豪脚は跳んで軽々とかわした。その向こうにいた剣聖が諸刃の剣で、魔人の一閃を受け流す。
急角度で曲がり、宙をしなった黒い腕は、自身の胸を目指した。
魔人は反転し、少ない動作で己が腕を避ける。そうしながら上下にひじを振った動きが右手の先へと伝わり、金属とは思われない動きをする長い腕が、大人しく側に垂れた。
「ペペッ、シュ……レイゼン、スター……」
英雄として知られた二人の名を、どこが口であるかも分からない顔を伏せてつぶやき、魔人はしばし動きを止める。
まったくぶれない黒づくめの体が、息をするためにわずかに揺れる人とは違い、その異様さをさらに増していた。
何の動きも見えない。しかし、静止したその状態のままで奴が何を行っているのか、凄腕の冒険者でもある二人には分かっていた。
探っているのだ。残る二人の行方を。
剣聖は、剣を軽く振った。
「何用かのう? 城の塔まで落としおって。何を探しておいでかな?」
のんきな声がたずねることに、魔人は答えない。もちろん、ギンレグン・レイゼンスターも、返答は期待していなかった。答えの代わりに襲い来る魔動機人の腕を即座に、右手で握った剣で下から弾き返す。
そのまま踏み込み、間合いを詰めて剣聖が攻撃して来ることを予測してか、魔人の腕は跳ね上げられた宙から、ギンレグンの右肩へと突っ込んだ。
「ほいよッ」
その魔人の動きこそを予測して、豪脚が宙を蹴る。そこへ落ちて来た鋼鉄の腕の一撃は蹴りを受け、大きく広場の端まで弾き飛ばされた。
カラド・ペペッシュは広場の固い土を軽やかに踏んで着地すると、ブーツのかかとを合わせる。魔人の腕が街灯の柱を貫いた音には負けるが、甲高い音がした。
強度と安全性を高めるために鋼材と防御の魔法を施した長靴の底が、擦れて削られ始めている。数度の蹴りで、魔動機人の腕を弾き返しただけのことで。
「当てが外れてイラついてんのか? お前さんの望みのもんは、ここにいるだろうが。付き合ってやってんだ、ありがたく思えよ」
自慢のブーツの痛み具合にこそ、いら立っているかのような凄みの利いた声音で、豪脚の英雄は魔人に言い捨てた。
街灯から引き抜き、広場の土を削り、引きずって戻した長い腕をその身のどこかに収容する魔動機人は、相も変わらず、身じろきひとつせずにたたずんでいる。しかし、動かぬその身に不用意に近付けば、大きく穴の空いた街灯のように刺し貫かれるのは人の方だった。
「オウ……アカ、ゴ……コドモ。ドコニ、イル?」
「ほう。ようやくちゃんと、ものをたずねる気になったようだな、ガラクタめ」
「こりゃ、カラド。せっかくの会話の機会なんじゃぞ。もうちぃっと和やかにいこうではないか」
などと言いながら、ギンレグンは片手の剣を振るう。
会話が要らないのは敵もだった。襲い来る魔人の腕を剣が跳ね上げ、弾いたそれを剣聖が左手の太刀で叩き斬る。
ただし、いくらと値の付けられない業物の太刀でも表面に薄っすらと傷を付けるだけが精いっぱいらしく、魔動機人の黒い腕は何事もないように、地をひっかいて胴体へと戻っていった。
固く踏みしめられた広場の地面に、巨大な獣の鉤爪のひとかきを思わせる跡が付く。硬くしなやかで、それ自体が蛇や動物の尾のごとくに動く腕は再び、魔人の側に力なく垂れた。
両腕の先の先、人であれば手であるそこだけを魔人は動かす。手首を曲げるように腕の先を動かし、尖った部分を地に突き刺した。
「まずいな」
ぼそりとつぶやかれた友のひと言で、剣聖は悟った。両手の武器の切っ先を水平に、魔人に向ける。
地を踏みしめる音もなく、豪脚は跳ぶ。魔人と対する友の背に向かって。
「おりゃっ!」
掛け声ひとつ、剣聖の腰を抱えるようにして飛び付いたカラドは次に、上へと跳んだ。老練なる豪脚は無駄な力みを必要としない。軽く踏み込めば大の男が二人、軽々と宙を舞った。
二人の英雄を追い、地の底から突き出して来た黒い
宙を蹴り、カラドは空を駆けた。側の建物の屋上へと跳ぶ。そこをさらに駆けながら、豪脚は愚痴った。
「あーーーー、めんどくせえ! いい加減、自分で走ってくれ」
「仕方なかろう。わしの足は特別製じゃないんじゃから。おっと、来るぞ」
豪脚は抱え上げた剣聖の馬のごとくに、広場や建物の屋根を駆けて跳んでと、魔人の腕を巧みに避ける。その姿は馬に乗った騎士というか、伝説の半人半馬の戦士のようだ。
ギンレグンは冒険者仲間としてつちかった連携を活かし、カラドに抱えられた不安定な体勢のまま剣を振るう。地をえぐり、宙を切って振り回される魔人の攻撃を的確に返していった。
下手な者が受ければ簡単に剣を折られていただろうするどい攻撃を、さらにするどい切り返しで受け流す剣聖の前に、魔人の攻撃はついに止まった。長く伸ばされた腕が背を丸めた黒い影の中へと仕舞われる。
魔人は頭を下げた姿勢のまま微動だにせず、言葉を発した。
「余ノ、チカラヲ、スベテ取りモドス……コノ、不死ナル身ニ」
「お前さんのものなど何ひとつ有りはせんよ。この地には」
「おう。こっちこそ、貴様からは取り戻さなきゃならねえものが山ほどあるんでな」
これまで一度も上げていない頭を、魔人は上げた。
房からもぎたてのナミダキョホウの一粒によく似た頭が、今にも首から取れそうな角度で傾く。上げた頭の正面、魔人の顔は、のっぺらぼうだ。目も鼻も口もない。それでどうやって話していたのかが見た目では分からない、何もない顔だ。
ぶどうの粒に似た、真っ黒でつるりとした鏡のような表面に、不意に、丸と四角が現れた。
「取り、モドス……余ノモノ、デアル……チカラのスベテヲ」
白で縁取りされた黒い線で描かれた丸と四角が、声に合わせて動く。上下にずれた丸が目、その間にある、ひし形や六角形へと声に合わせて形を変える四角が口のようだ。
「見ようによっちゃ、ひょうきんだが。声もしゃべりも気味悪りいな、こいつ」
カラドの言葉に憤慨したか、魔人の両腕が真横に振り上げられ、瞬時にしなった。左右から一気に、二人の英雄を襲う。
友を抱えていた腕を解いた豪脚の蹴りが、右から迫る棘のごとき腕を。宙に放たれた剣聖の二刀が、左から来た魔人の腕を打ち払った。
耳をつんざくような音だ。
ここが城の正面広場であったなら、尖塔が落ちた時に立てた轟音を、二人は思い出しただろう。
しかし、平時の王都で起こったならどこへいても跳び上がって驚くような、地に刺さった城の塔が立てたすさまじい音は、吹きすさぶ風が打ち消したのか、こちらの広場までは届かなかった。
その不可思議さに気付いた者は、まだいない。まるでこの最前線を、ここで戦う者たちを周囲から隔離するようにして暴風が王都を包み吹きすさんでいることを、その中にいる者たちは誰も知らなかった。
金属と防御魔法、硬質なものがぶつかり合う音が戦いの激しさを物語る。
しかし同時に、嵐の目の中にいるような、静けさも感じる。
そこをわずかにおかしく思いながら、少年は耳と、その目を働かせた。
今、目の前で繰り広げられているものを、その目に、記憶に焼き付けるために。
ペペッシュ! 呪いのひよこと可憐な柄悪冒険者 sorasoudou @sorasoudou
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