25 嵐の前の騒がしさ
白い王城の正面玄関から続く、緩やかに湾曲した坂の下。王都の広場には、マアルーンが見慣れた姿があった。
剣聖と豪脚。ギンおじいさまと、おじいちゃん。マアルーンにとっては赤ん坊の時からの遊び相手である。
英雄二人の石の像は、澄んだまなざしで見上げてくる見た目だけはお姫様な若き冒険者に、在りし日と同じ朗らかな笑みを向けていた。
「おい、ひよこ。何してんだ?」
後はもう怒鳴られることが確実の低い声音に、ひよこは全身の羽毛を逆立てる。ふわふわの薄い紺色と黄色のかたまりが灰色の石像の足元で震え、呪われしひよこは怯えながらも声のした方でなく、そっと飼い主へと振り向いた。
怒られなくてはならないのは、そっちだと言わんばかりの態度。気弱そうな仕草は見せかけであることを見抜いて、マアルーンが自身の声も低くした。
「足にすがり付きたきゃ、ギンおじいさまのにすれば? ってことで、乗っけてみたんだけど?」
台座の側に立ったマアルーンは、ペペッシュと叫ぶ以外には長々としゃべれない呪われしひよこに代わり、ここでたまたま出会った父親に事情を説明した。右の腰に当てた手首からは、台座の上にいる
ひよこになった宰相家の嫡男は懲りずに、幼なじみにして飼い主であるマアルーンの親へと、うるんだ黒い瞳を上げた。その腹から、ひよこのものとはまた別の可愛らしい鳴き声が上がる。キマルツバカケのひなは恥を忍んで、父の配下に駆け寄った。
亡き父親の像の側に立つマゼルは、元からするどい目付きをさらに強くして、今度はひよこでなく、現豪脚の英雄にたずねる。
「おい。ちゃんと飯食わせろって言っただろうが。何で俺の弁当を物欲しそうに見つめてくるんだ、若が」
「知らないよ、朝も昼もムシムシバー食べさせたもん、二本も! 二本ずつだよ? そこで遊んでる子どもたちなら朝に二本って、晩ご飯まで何にも食えなくなるくらい満腹になるはずなんだよ。それを、こいつ!」
マアルーンが父の手の弁当の包みに寄り添う、意地汚いひよこを指差した。
ひとを指で差すなど、そんな無礼は許さんぞ!
とばかりに台座の上でふんぞり返った、自身がひよこであることを忘れた若君は、マアルーンの指先を翼ではたくような仕草をする。
「ぴゅぴゅり、ぴゅいいいい!」
「黙れって!」
「うるせえよ!」
遂に親子の家名を叫ばなくても怒鳴られる時がやってきてしまった。
「ぴ!」と短く悲鳴を上げたひよこを、マゼルが弁当の包みを台座に置いて空けた両手で、両脇から数度、軽く叩く。
ぽふぽふと可愛らしい音を立てたひよこは、マゼルの手から逃れようと暴れた。その頭を上から押さえつけるように、ごつい手がのせられる。
「うん、確かに。痩せちゃいねえな。じゃあ、何だって言うんだ。俺のお手製が
置かれたお弁当の包みからは華やかで甘い、白ぶどうの香りがしていた。
どうやら、虫入りのエサをもらう生活に慣れた以上に毎日の食事に飽きが来て、ひよこは自身の好物を父の配下にねだろうとしたらしい。
人の弁当を狙おうという不逞の輩と化したひよこに飼い主は呆れた。父に似た口調と声音で、飼い鳥を注意する。
「勘当解かれたからって調子に乗んなよ。まだ呪われた最中の、ひよこなんだから。分かってんの? ひよっこ剣聖さんよ?」
「ぷぴゅぴゅぴゅぴゅ!」
頭を押さえられたまま、ひよこは不満げに小さく鳴いた。好きでこんな姿になったのではないとでも言っているのか、呪われしひよこは親子から、そっぽを向く。
そんなに動かせない頭の代わりに大きく広げた翼を半端に折り畳み、ひよこは体に当てた。
どうやら、マアルーンのお決まりの姿を思わず真似してしまったらしい。同じ格好でひよこをにらみつける娘の姿も目に入り、
「まったく。だから、たまには弁当持ってけって言ったろ。一人前作んのも、二、三匹分作るのも同じなんだよ」
自分も入れて動物扱いをした生き物好きは、弁当の包みを娘に手渡す。
「きちんと分けて食えよ。大体な、ちゃんと行き渡るように作ってあっても、どっちが何食ったかでもめるとか、英雄の称号が泣くぞ」
昨日の夕食での騒ぎを思い出して、父が娘に注意する。注意しながらも笑う父の代わりに表情を微かに険しくして、豪脚の英雄は反論した。
「あれは、こいつが悪いの。キマルツバカケは雑食性で肉も食べるけど、油で揚げたものを何個も食べちゃだめだって、父さんが言ったんじゃん!」
ほんの少々のひき肉のかさましに、その日の余った野菜が細かく刻まれて入れられた、ほくほくのコロッケ。
ひよこが食べやすいようにと小さめに丸めて揚げられたのをいいことに、宰相家の若君の成れの果ては、ひとり三個までの暗黙の掟を破って、さらに二個追加した。
器用にくちばしを使い、大皿から自身のエサ入れへと二個目のおかわりをしようとしたところを飼い主に見つかったのだ。もちろん、マアルーンの方がすでに掟などどこへやら、六つ目のコロッケを頬張るところではあったのだが。
それ以上食べるなよ! そっちだけ多いのは、ずるい! 明日のお弁当に出来るじゃん! 絶対分けてくれないだろう!
いつかの光景が見えてくるようなやり取りを、人とひよことで繰り広げたマアルーンと幼なじみは、どちらも結果、叱られた。
「食事中に席を立たない、騒がない!」と一喝される。
ひよこは、ぬいぐるみと見間違うほど動けなくなり、柄の悪さで知られたマアルーンも背筋を正して、椅子に座り直した。
そうして、夫のお弁当以外ではペペッシュ家のすべてを取り仕切っている母アマンダにより、ひよこが無残に廊下へと蹴り出されることだけは未然に防がれたのだった。
昨晩のことを思い返して青い目を
「キマルツバカケは長いこと、人と一緒に生きてきてるからな。言葉もしゃべるし、理解もしてる。食うものも、その時手に入るもんで上等だ、ってなってるけどな」
ようやく頭から手を放してもらえたひよこはマゼルが語ることの何を理解したのか、何度もうなずいた。
「ものには限度ってもんがあるからよ。甘いものとかは、あんまりな。まあ、しっかり食った分、たっぷり鍛えるってんならいいんだけども?」
マゼルが娘によく似た嫌味な笑みで、居候のひよこに忠告する。羽毛を膨らませたひよこは恐る恐る、飼い主の顔を見上げた。
やはり、口調も態度も似た者親子だ。そしてもちろん、側の豪脚の英雄像とも似ている。がしがしと無遠慮に頭をなでてくる、がさつさもまったく同じだ。
過酷な特訓を思い付いた時と同じ見慣れたマアルーンの笑みに、さらに羽を逆立てたひよこへ非常な宣告があった。
「そう。コロッケとサンドイッチを腹いっぱい食べるなら、特訓厳しめでお願いします、ってことだよね?」
「ぴゅぴいっ!」
思わず逃げ出しかけたひよこだが、銀の細い首輪に似合う丈夫な鎖が繋がっていては、どうしようもない。自身の祖父の石像の足に、呪われしひよこは抱き付いた。
「あら! 天使ちゃんじゃない! やだッ、マゼルも一緒なの? ちょうど良かったわあ」
元気のいい声と勢いのある足音が、広場の向こうから親子へと突進する。マアルーンを唯一、堂々と目の前で天使扱いするのは、この王都において他にはいない。
冒険者と恋愛成就を願う者たちの御用達、守護魔法封入刺繍店の主であり、ひよこの等身大ぬいぐるみを商売繁盛のお礼にと、マアルーンに贈った人物だ。
「おう、バンダイク。今日も派手だな」
「ちょっと! マゼル、やめて! ヴィオレッタンよ! ヴィオレ、ヴィオレたんとお呼び!」
長い髪と同じ紫を濃淡も様々に染めたレースを、ふんだんにあしらって飾られたドレス。波打つように重なるレースが重そうな、お手製の服の裾を大げさに振って、バンダイクことヴィオレッタンは身もだえた。
大柄でちょっと筋肉質だというだけで、派手好きな貴族の奥様的な見た目のヴィオレッタンを前の名で呼ぶのは、かつての冒険者仲間だけである。
冒険中に破れた服を
ぼんやりとして、凄腕の刺繍職人を見やっていたマアルーンが、意識を取り戻す。
「この間は、ほんとにありがとう。すてきな贈り物感謝します、ヴィオレさん!」
マアルーンは慌てて頭を下げ、礼を言った。ヴィオレッタン当人と豪奢な装いが醸し出す得も言われぬ迫力に気圧されて、ただただ呆然と父の友人を見つめてしまうのが、いつものことなのだ。
ぬいぐるみの礼を直接会って言いそびれていたマアルーンが、顔を上げて笑みを贈ると、ヴィオレッタンは先ほどよりも大きく身もだえた。
「カワイイ!」と悲鳴を上げる店主の後ろで、買い物に付き添って大小の紙袋を提げている店員も頬を染める。叫びかけた口を押えた手の中へ「おこぼれいただきました!」と、メイド服の店員はつぶやいていた。
買い物ざんまいな上に、可愛いの補充が出来て満足げなヴィオレッタンは、冒険者仲間の愛娘に首を振る。
「やだ、何言ってんの、天使ちゃん! ありがとうは、こちらこそよ。あの天啓のおかげで、こっちは息を吹き返したんだから! ぬいぐるみ一個じゃ、お礼が足りないくらいだわ」
ヴィオレッタンは店の窮状を救ってくれた天使から、その後ろへと紫の瞳を向ける。
ひよこは祖父の足に、さらにしがみ付いた。ふわふわなものが微かに震える姿にますます頬を緩ませ、刺繍職人は疑問を口にする。
「あら。やっぱり今日も、ひな鳥ちゃんの方なのね。ぬいぐるみの出番じゃないのかしら? 大きすぎちゃった?」
「確かに。あれは連れて歩くには邪魔だな。両足にひよこって、うちの娘はグランドキングモアじゃねえからよ」
ひなが上手く歩けぬうちは足や背に乗せて移動するという、超大型の
にらみつけているとしか思えない目付きに、ひよこは膨らんだ羽毛を急激に寝かせる。飼い主も水色の瞳で、怯えてしぼんだひよこを見つめた。
「うん。こいつが時々ずるしなきゃ、代わりにあの子を足にくっ付けて連れて歩くんだけど。だって、ぬいぐるみの方が断然可愛いし」
散々な言われように、さすがにひよこもかちんときたとみえて、まなざしをするどくする。ただし、そのまん丸な黒目では何の凄みも出せはしない。
「ぷきゅうううぅ」
誰にも怖がられない
宰相家のわがまま子息という中身を知りつつも、その呪われし外見の可愛らしさを余すところなく、ぬいぐるみに再現してみせた職人は、天使からのお褒めの言葉に頬を染めている。
「もうっ! 嬉しいっ! それじゃあ、小さいのも作ってあげちゃおうかな? いつでも冒険に、一緒に居られるように」
「お店、忙しいんでしょ? 大丈夫だよ、あの子で充分。王都にいる間は一緒にいるし。外に持ってかないのは、ヴィオレさんがせっかく作ってくれたのを汚したくないってだけだから」
マアルーンが首を振って追加の贈り物を断る。寝る間もない繁盛ぶりを天使に気遣われたことへ瞳を潤ませていたヴィオレッタンが、くまを化粧で隠したその目をカッと見開いた。
「そうだったわ! マゼル、あんたに伝達頼みたいのよ。黒猫くんたちに、ぬいぐるみ出してもいいかって聞いてくれない? 王子さまに似せた黒猫のぬいぐるみ。作れないかって、めちゃくちゃ問い合わせきてるんだけどお?」
「ああ? めんどくせえな。直でセレンにでも聞けよ。それか、オウレンだな。あいつ、ちびっこどもと繋がってやがるから」
あっさりと、呪いのひよこがマアルーンに押し付けられた経緯をばらしつつ、マゼルは首を振った。
大っぴらに王子たちをちびっこ扱いするのは、彼ぐらいのものである。王子たちが宰相以外で、おじ上と呼んでいるのがマゼルだった。
これでも宰相の伝達係で城勤めをしているマゼルは、面倒だと文句を言いながらも仕事に戻ることにしたようだ。王城の方へと体を向ける。
「なんか食堂で食わせてもらえばいいか」とつぶやき、俊足は歩き出す。坂を歩きながら、元冒険者仲間と娘に、居候へと振り返った。
「一応、聞いておいてはやるよ、バンダイク。どうせお前には、また話聞きに行かなきゃなんねえし。そうだ、お前ら、弁当残すんじゃねえぞ。いや、残すわけねえか。そんなことがあったら大嵐になっちまうわ」
お手製のお弁当を取られて仕事の合間の楽しみがなくなり、多少やる気が落ちた様子で、マゼル・ペペッシュは城へと戻って行った。
マアルーンは、未だに慣れない敬語を使わねばならない職場に気疲れしている父へと、大きく左手を振って見送ってやる。それを見て「かっわいい!」を合唱した店主と店員が、その目を次の獲物に向けた。
呪われしひよこはのんきに、良い香りを漂わせているお弁当の包みを足で押さえ、結び目にくちばしを突っ込んでいる。
食べてもいいとは言われたが、ここですぐに、終わったはずのお昼休憩をもう一度取るとは、まだ決めてもいない。
飼い主の軽蔑のまなざし及び刺繍店の二人の興味津々な視線が自身に集まると、可愛らしい弁当泥棒は何の
罪の意識はないようだ。自分の翼の色と同じお弁当の包みをそろりと、足元に抱え込もうとしている。
「おい! ずるすんなって言ってんだろうが、ひよっこ!」
父親や祖父よりも柄の悪いことで評判の豪脚の英雄は、ひよこの首根っこをつかみ上げ、台座にのった。カラド・ペペッシュが孫と同じに腰に当てた手の隙間、くの字の腕の間にひよこを押し込む。
「ぴぴいぴゅっ!」
「ここに見世物で飾っといてやろうか、ひよっこ剣聖さんよ?」
飾られてから聞く台詞ではない。抗議の鳴き声を上げつつ、足をばたつかせて、すっぽりはまった隙間から逃れようとするひよこのお尻に背を向け、台座に腰かけたマアルーンはお弁当を開いた。
先に父お手製の、白ぶどうのジャムを混ぜたミルククリームが挟まれたサンドイッチをひとついただく。
ちゃんと、つまみ食いを一個だけにしておいたのは注意を受けたからだ。そして自分は弁当を独り占めしようとした意地汚い幼なじみとは違うということを、マアルーンが自覚しているからでもある。
そう、このひよっことは……この、わがまま坊ちゃんとは……この、いけ好かないやつとは……。
心の内で呪いの言葉を吐いているとは思われない、誠に幸福そうな笑みで好物のサンドイッチを平らげたマアルーンは、どうにか彫像の腕から抜け出して側に落っこちてきた飼い鳥を、いつもの笑みで迎えた。
「景色のいいところで残りを食べたいから、今から湖の向こうの山の頂上まで全速力ね。ほら、行くよ!」
「ぷぴゅうううううううぅぅぅぅぅーーーーーー!」
悲痛な叫びを残して、ひよこは弁当の包みを抱えた飼い主と、広場を去って行った。
途中で、翔り鳥のひなが走らずにただ宙を引っ張られていたことが発覚し、どういうことだと飼い主に詰め寄られる惨事も起きたが、どうにかひよこも山の頂きまでは走り通すことが出来た。
それだけ動けば腹が減る。お弁当が残るはずもない。
という訳で、それからしばらくして王都に嵐が巻き起こったのは、食べ物を粗末にした
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