24 よみがえったもの




 魔動機人まどうきじん。魔人。


 その存在はこの王国では、十年前に未曽有の危機をもたらした者として知られている。



 二人の英雄を葬った、恐るべき過去の遺物。

 新たな英雄が、マアルーン・ペペッシュが、今度こそ粉みじんにしてやると誓った相手だ。



 正式名称は、魔導式機械人形。

 この正式な名を誰も呼ばないように、王国を危機におとしいれた存在として魔人を知ってはいても、それが滅びた帝都のためにあったのだと知る者は多くない。凍てつく地のことを昔話として聞いた者は多いが、遠い過去の話に疑問を持つことが、まずないからだ。


 今は無き帝国の首都が廃墟と化した原因が何であるか。その真実を知る者は、ごくわずかだった。

 どうしてこの王国が魔人に襲われたのか。その疑問に答えられる者も、わずかである。


 未曾有の危機の真相は、それを知り得た者たちの中だけにあった。

 国の誰しもが事件を知ってはいたが、その際に起こったことのすべてが公表されているわけではないのだ。魔人が建国の祖である魔皇帝の手によって作り出されたものだということは、国を守って戦った英雄の死を嘆き哀しむ人々には伏せられたままでいる。



 真実を知らない人々の間では様々な憶測がなされた。

 魔人なるものが不毛の地や、その周辺を今もさまよっている理由は不明だが、無念にも帝都と共に滅びた多くの者たちの亡霊が乗り移ったのだとする説が支持を集め、今ではそれこそが真実であるとささやかれている。


 ささやかれるうわさは新たな言い伝えも産んだ。

『悪い子は魔人にさらわれてしまうぞ』と。


 すぐに効かなくなる親の脅し文句に登場する魔人以上に知られているのは、子どもたちにもお芝居や人形劇でなじみ深い、二人の英雄だ。

 広場に並んで立つ彫像で言えば、向かって左側。剣聖と彼が持っていなければならないはずの聖剣にも、王国の人々には知らない秘密があった。



 実は、王国の至宝である聖剣の制作者として、魔皇帝を挙げられる者も少ない。

 知る人ぞ知る秘密。もちろんそれを、この御方が知らないはずはなかった。



「うぐぐっ! すごいな、完璧だっ! さすが、魔皇帝! 完璧に、完全に、まったくわからない!」



 降参の叫びを極めて明るい声音で吐き、ラウリシュフィット王太子殿下は手製の魔力測定器を机に置いて、天を仰いだ。小鳥の置物がのった懐中時計のようなそれは、小さなさえずりで測定終了を告げ、沈黙する。



「わからないって……倒せないの? 聖剣じゃ、魔人って?」



 リンデシュロット王子は、椅子にお行儀悪くひざ立ちしてのった姿勢から、兄上へと振り返ってたずねた。どっしりとした机を背に、ラウ王太子が弟の質問に答える。



「いや、倒せる。理屈的には、きちんと倒せる。その力が備わっているものとして作られたのが聖剣だからな。だが、わからん。この剣の力の源になっているのは、万物より来たれる魔力と呼ばれし力の他に、何の影響によるものなのかの分析が」



「ラウ、少し休憩を。落ち着いて座れば妙案も浮かぶかもしれませんよ」



 手元から目を離さず、王妃は王太子へ着席をうながした。黒髪や面差しなど、息子たちに見目が受け継がれたその人は、黒い目を真剣にナイフと果物に向けている。


 四つに割り、芯を取った皮付きのりんごが薄切りにされていく。それを綺麗にホワイトチョコレートのムースの上へ、花びらのように並べた母は、有り合わせの材料で出来た新作のお菓子を子どもたちの前で完成させるところだ。


 焼いたパイを半分にした上に、白いチョコレートムース。そこに薄切りのりんご、お昼のパンケーキの残り、さらにふわりと泡立てたクリームをのせて再びりんごを挟み、パイの半分でふたをする。

 粉砂糖をかけた焼き菓子の上には、ハートや星型にと切り抜いておいた、りんごの皮がのせられた。白と赤の見るからに美味しいおやつが出来上がり、母の手さばきを熱心に見つめていたリン王子が歓声を上げる。



「わあ! 兄上が好きなもの、たくさんだあ! いいなあ!」



 兄をうらやましがってでなく完成を喜んで声を上げた弟の皿へと、切り分けられたお菓子が誰よりも先にのせられる。いただきますと言うや否や、リンはりんごのパイをつかんで、かぶりついた。

 弟に負けじと急いでお茶の席に着いたラウも、フォークとナイフを手に母上お手製のおやつをいただく。しばらくは二人の少年が、夢中で甘い物を食べるだけの時間が流れた。


 パイの崩れた部分と残ったクリームをまとめた出来損ないのおやつを先に食べ終わり、王妃は静かに、聖剣の解析を任された王太子にたずねた。



「分からないのは何なのです? 力の装填は無事に終わっていると、前に聞きましたが?」



「はい、母上。聖剣は、もういつでも敵を討つ準備が整いました。ただ、その仕組みが、さっぱりなのです。どう見ても、ただの剣なのですよ! 魔力を帯びた剣など、言ってみれば腐るほどこの世にあるんです! なのに、あの剣は、どこからどう見ても正真正銘、聖剣としか言えないのです。それをかもし出してくる、謎のすごみ! それがとにかく、どんな原理をしているのか、俺にもさっぱりなのです、まったくわからないのです! これがどれだけ、すごいことか! これについてを論じろと言われたら、いくらでもやれると自負しております!」



「そう、それは良いことです。ぜひとも詳しく聞きたいですね。そう言えば師匠も、聖剣は聖剣だ、としかおっしゃっていませんでしたが。そういうことでしたか」



 興奮して椅子から立ち上がったラウを、いつも変わらぬ至極真面目なまなざしで見つめ、母はうなずいた。

 名高き剣聖に師事しようと遠い異国からやって来た王妃は、前宰相と初めて会った日を想い、またうなずく。どこの何者であるかを聞くこともせず、剣の修行にと旅立って来たその熱意を買ったと気安く弟子にしてくれた、在りし日のギンレグン・レイゼンスターの姿が脳裏によみがえった。


 淡い緑色のドレスに黒のエプロン姿の母上が、父の護衛まで務めていた剣士でもあることを思い出したリン王子はたずねた。



「母上は聖剣を見たことありましたか? ギンレグン様のところから無くなる前に?」



 王妃のシズメは、静かに首を振る。



「いいえ。マアルーンが見つけて戻るまで、ラウの元へと知らせが来るまでは、一度も目にしたことはありませんでしたね。お話は聞いたことはあったのです。師匠から、いつかの時にと色々と」



 おやつを食べ終わった子どもたちの前から皿やフォークを手早く片付けながら、王妃は話す。リンが片付けの手伝いをし、ラウは席を立って、部屋のもう一方へ置かれた机に向かった。

 手袋をはめたラウリシュフィット王太子が、聖剣を両手にのせて戻ってくる。側のワゴンへ皿などを片付け終えた王妃が、差し出された聖なる剣を見やった。



「剣を扱う者から見て、何か変わったことなどないか、ということですね?」



 質問の前にたずねられ、さすが母上だと、ラウは背を正した。


 護身術も含めて剣の扱いを母から学んだこともあったが、そこはのんびり屋で争いごとが苦手な父に似てしまったのか、ラウにはまったく武術の心得が身に付かなかった。

 弱冠十三歳で、魔皇帝の再来などと呼ばれるくらいである。当然、魔法の才と知識に、それへの理解力はずば抜けていると自身でも思っていた。そのため剣が扱えないくらいで、ラウが悔しく思うこともない。



「はい。これを一度、母上が振るってみてはくれませんか? 剣聖でなくては悪しきものを払う力は出ないとされているのですが、何事も検証が大事です」



 分かりましたと母は返事をし、聖なる剣へとお辞儀をして、それを受け取った。


 かつて、師匠ギンレグン・レイゼンスターの手にあったものを、この手に握る。それへの礼節は忘れてはならない。そして、現剣聖よりも先に、この聖剣を手に取ることへも心配りは必要である。

 至宝を扱う許しとその機会をいただいたことへのありがたさへ心の内で礼を述べて、剣士シズメはその手の聖剣を明かりにかざした。



 聖なる剣は、特別製の魔石を用いた白い明かりに輝きを放つ。

 伸ばした片腕よりも手のひらひとつ分ほど長い、まっすぐな刀身。厚みも幅も可もなく不可もなく、初心者にも扱いやすい、よくあるものと変わりない。板切れを取り付けただけのような何の飾り気もないつばに、少々長めの簡素な柄が付いている。


 外光が遮られた塔の一部の研究室。王太子のためにしつらえられた円形の部屋の中央で、シズメはもう一度深々と頭を下げる。


 そこからすばやく前へと聖剣を払い、左に右にと斜め下に振る。片手で縦に剣を回し、くうを切る。左手を添え、両手で握り、下から上へと一閃。それを軽く右へと払って、その勢いのまま振り返る。

 ドレスの裾が跳ねるように身を返した動きに合わせて広がる。前に大きく踏み込んで右腕を伸ばし、剣は宙をいた。


 何もない場所を突いた切っ先は、明かりに白く、光を放った。



 聖剣を下ろす。

 残した足を前へと合わせて背筋を伸ばし、剣士はまた深く頭を下げる。今は亡き師匠と、その剣に感謝を。そして、この場にはいない剣聖に礼をする。



「すごおーーーーい!」



 母に賞賛の拍手を贈るリンの側で、一連の様子を見つめていたラウは、またさっきの感想を告げた。



「わからん。さっぱり、わからん。魔法は確かに感じなかった。でも、聖剣だって感じがするんだよな……どういうことなんだろう、これ」



「きらきらしてるからじゃない? 剣がきらきらって、振ると光るよ」



 弟へと兄が顔を向ける。父と同じに兄弟そろって緑の瞳はしていても、くせ毛が猫耳に見えるリン王子の見ているものと、さらりとした黒髪のラウ王太子では目にしているものが違うようだ。

 魔皇帝の再来にして常闇とこやみの君は、新月しんげつの君よりも黒猫君くろねこくんと呼ばれている弟を、まじまじと見つめて聞いた。



「きらきらが見えている。そうなんだな?」



「そう! 兄上は見えない? じゃあ、あれだね。精霊さんだあ」



 そうなってくると、魔力とはまた別の力が込められていることを魔術に長けた己が察知したのも納得出来る。

 自身へうなずいた王太子が考えるに、魔力だけが装填されているのではない聖なる剣は、精霊、自然の力をも味方にしているということだ。


 そんな神がかり的に難しいことを可能にする技術。それを生み出した者へと改めて感嘆しつつも、ラウは解答をひらめいた喜びを全身であらわにした。

 ラウリシュフィット王太子が跳び上がって叫ぶ。



「なるほど! それで、あの場所か! それで今まで、姿をくらましていたのか! だから、今なんだ! わかった、わかった! わかったぞ!」



 母と弟は、よく似た笑顔で見守った。数度跳んで、ようやく我に返った少年は二人へと駆ける。

 王妃の手から、うやうやしく手袋の両手で聖剣を受け取ったラウは、机の上の木箱へそれを横たえると、ふたを閉めた。

 鍵を閉めた箱に向かって、見る者が見れば、ひどい悪だくみをしているのだと思い込むような笑みを浮かべる。王太子殿下に呪われたひよこがこの場にいたら、まっしぐらに扉へ向かって逃げていたところだ。



「ふふふ。こちらの準備は完璧だ! 他の準備もしておかなきゃだな! よし、ついに出番か。後はマアルーンが何とかしてくれるってところまで仕込んでみせようぞ! この魔皇帝の再来に、お任せあれ!」



 何事かの準備に独り言を続けるラウを残して、母はリンと研究室を出た。お茶の道具がのったワゴンを押す王妃様とは思えぬ姿も、この城の者たちには見慣れたものだ。

 通りがかった親子の姿に従者や使用人たちはお辞儀をし、笑みで見送る。気取らず親しみやすい王族たちは、城でも城下でも好かれていた。


 特に、魔皇帝の再来だとして有望視されている次期国王の存在は、この国の人々に発展を、輝ける未来を約束しているようなものだ。魔皇帝が起こしてきた数々の偉業を元に、国の今がある。その再来が生み出すものに注目が集まるのも必然だった。



 ゆえに今この王国で緑の地に再び危機が迫ることを予期していたのは、真実を知る者と同数か、それよりも少ない。

 しかし不思議なことに、再びめぐり来るその危機を知る者のほぼすべてが、己の勝利と希望する未来が約束されているものだと信じていた。



 戦いにのぞむ者たちが敵も味方もなく信じる勝利を確信出来ないのは、どうやら、この国にただひとり。

 呪いでひよこにされた、ひよっこの剣聖。銀嶺ぎんれいの君だけであるらしかった。






 

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