23 よみがえりしもの
呪われた地。
そこは岩までもが真の芯から冷えた場所だ。荒れ狂う風に乗って雪と氷の粒が吹き付け、何人も寄せ付けないとされた不毛の地だ。
しかしそれも、しばらく前までのことだったらしい。
凍てつく大地に突き出した岩が斜めに互いを支えあう。その間に、赤いテントが張られていた。中に座り込んでいる人影が防水布に映っている。
分厚く防寒具を着込んだ三人は、氷に覆われた大地よりかは、ほんのわずかだけ良いと思える岩の間で暖を取っていた。三人の男の真ん中に置かれた金属製の大きなお茶箱の中で、薪が燃える。
テントの端に積み上げておいた木材をひとつ、一番大柄な男が火の中へ放り込んだ。座り込んだ位置の悪さで火の番をする羽目になった男が言う。
「いつまで、こうしてりゃいいんですか……死んじまいますよ」
端の二人の間に座り込む男の返答は、凍った大地並みに冷たかった。
「死にたきゃ死ね。お前の取り分が弟に行くだけだ」
「じゃあ、おれが億万長者ってことですね! ありがとうございます!」
「何言ってやがる! 出来の悪いお前を、ここまで引っ張って来てやったのは俺だぞ!」
しばし、何の実にもならない兄弟喧嘩が続いた。
他に何の娯楽も無い空間では、こんなものでもあるだけマシなのだろう。言い争う二人を導く存在であるはずの真ん中の男は、何も言わずに黙って見ていた。目だけを左右に、交互に動かす。
「俺が、教えたんだ! 金銀財宝は俺がみちゅけ!」
寒さからなのか、兄が
低温と乾燥で荒れた肌に無精ひげ。三人に共通するのは、それだけではない。報酬を目当てに厳しい寒さを我慢して、男たちはお呼びがかかるのを、ただひたすらに待っている。
ここまでして、この凍てつく大地を離れない彼らの目的は、もうすぐ手に入る財宝と約束された地位だ。
「そうだな。お前は確かに財宝をいくらかってのがいいかもしれん。その
これが弟の言葉であれば即座に口喧嘩の再開となっていたところだが、仏頂面が張り付いた兄は、うなっただけで口を閉じた。
実際、彼は玉座などよりも金に換えられるものの方を欲している。とっとと財宝を手に入れて、暖かい場所へ行きたかった。自分が耳にしたことから始まったとはいえ先行きがどうにもきな臭く、勝算どうこう以上に危ういものに思えたからだ。
吹けば飛ぶような見た目ながら、大それた野心家でもある夢見がちな弟は違った。望むだけ国を分けてやるという口約束を信じている。それを約束した者が人ならざるものであるなど、彼にとってはどうでもいいことだった。
「じゃあ、おれがやっぱり、王様ってことでもいいですよね! あの国の!」
「いいだろう、好きにしろ」と、盗掘の首謀者は答えた。
手下の兄の方が偶然にも仕入れてきた情報を元に、閉ざされた不吉な地の盗掘計画を立てたのは彼だ。そこで思わぬものと行き会って、盗みより遥かに大規模なたくらみに計画は変更された。
落ちくぼんだ目の奥が輝く。その目を手下の兄の方へと、男は向けた。
「お前には、好きなだけ全部とは言わんが、死ぬまで遊んで暮らせる分の金銀財宝は情報料にくれてやる。こっちは帝都を頂くからな」
王様に立候補した弟同様、玉座に縁がありそうな様相をしていないのは、この盗掘者の男もだ。不届き者でないなら、どちらかというと旅の行商人、見目を整えれば店を一軒構えていそうには思われるかもしれない。
しかし、この数日の悪天候と何週間にも及ぶ寒冷地での暮らしが、男をただの無法者へと連れ戻していた。不健康そうな目の下のくまと、どことなく人を見下したような目付きの悪さが一層ひどくなっている。
今の姿でなら、積まれた金銀に目がくらんだ密猟者たちでも、男を信用ならないと依頼を断る判断材料にはなっただろう。
存在しない商人の名を騙った男は、今度は手下の弟へと、不機嫌そうな目を向ける。
「お前は森しかない退屈な王国でいいんだな? そういえば嫌いじゃなかったのか、イモムシは? ああ、森ごと焼き払えばいいのか。どうせ、それに近い目には遭った後になるだろうよ。お前が、あの城へ住む頃には」
それからは、まだ手に入ってもいない報酬をどうやって分けるかの話題で暇をつぶし、三人の盗掘者はその時を待っていた。
しかし、お呼びはまだかからない。テントの外では常に風が、吠え猛る獣のような地響きを伴ったうなりを上げている。はためいて音を立てる天幕を照らす薪の炎の明かりが、そこへ燃え移ったかのごとくに揺れていた。
「そうだ。森を焼き払っちまったらダメだったんだな。薬草が要る。そういや、虫も要るんだったか……火薬を作るには」
帝都に居を構えた暁に何をやるかは決まっているらしい。男は次の儲け話の算段に夢中だ。彼と同じく、早くも王冠を頭に載せた気にでもなっているのか、弟は厚着でいくらか増した薄い胸を張って、帝都の次期皇帝に申し出た。
「では。おれの国からは、そちらへ要りようのものを、どんどん輸出いたしましょうか? それでよろしいですかね? いや、よろしいかな? ううん、よろしいか? ええっと、よろしゅうお願いしますよね?」
語尾をどうしたら王様らしくなるのかと首をひねる弟は、厚着が無駄に思えるほど、中であばらが浮いていた。今は目しか見えない青白い顔も頬がこけ、およそ国王という称号から想うような人相ではない。
それは彼も自覚しているようだ。けたけたと声を上げて、村芝居の王様役すらさせてはもらえない己を笑い、手袋をした右手でひざを叩く。
ひとしきり笑う弟に呆れた目を向ける兄と同じに手下を見やって、未来の皇帝を自称する男は白い息を吐いた。
「お前も玉座って風体じゃないか。そっちの国も帝国領にした方が良さそうだ。お前は、そうだな。帝都の大臣の椅子にでもふんぞり返って、そこら中から集めた美女に
「ああ! 知ってますよ! あの国、可愛い子がいるんだって聞いたな、おれ。会えるかな、その子に」
こんな発言をその耳にしたら最後、地の果てまで蹴っ飛ばされるか、剣聖のひよこに斬り刻まれることになるだろう弟を、兄が鼻で笑う。
「知らねえのかよ。その豪脚ってやつに何十人って、ひと蹴りでぶっ飛ばされてるんだぜ? そんな化け物の蹴りなんか喰らったら、お前なんか一発で、へし折れちまうわ」
小枝のようにへし折れた自分を想像してか、弟はまた笑い出した。
スープに入れた乾燥きのこが悪かったのではないかと、残る二人が不安になるくらいの大笑いだ。だがそれなら自分たちも同じ目に遭っている頃合いだろうと、男と兄は顔を見合わせる。
いつも通りに顔色が悪い。
耳当て付きの帽子に口まで覆った襟巻き。目の周りしか見えていないが、お互いがお互いを、自分より長くはなさそうだと思っていた。
血色が悪い顔を、それぞれがテントの出入り口へと向けた。二人が気にしたものにまだ気付いていなかった弟は、外から聞こえた軋んだ物音を耳にして、ようやく笑うのをやめた。
男たちが見つめる先に、黒い影が映る。
月も見えない曇り空の下で、どこに光源があるのかも定かでないが、濃く、布に穴でも開いたように見えるほどの影がそこにあった。
黒い影とそっくり同じに漆黒の姿をした者は、固く凍り付いた大地に爪痕を残しながら歩んできた。
吹き荒れる風の中を、しもべとしてやった、三人の盗掘者の元へと。
宿敵がよみがえるその日が来ることを待ち遠しく思っていたのは、この緑に囲まれた王国に、ただ一人と言ってもいい。
朝の長距離走特訓を終え、王都の公園にてお昼を済ませたマアルーンは、さっそく午後に向けての準備をしていた。
体をひねったり、伸びをしたり、マアルーンがいつも以上にきびきびと準備運動をしているかたわらで、ひよこはむくれて芝生に座り込んでいる。
気に入らない様子で遠い目をしている割に、サトウアブラムシ入り固焼きフィナンシェを、しっかりと平らげてはいる。お腹も膨れ、羽もふくらまし、ふてくされたひよこの首に繋がれた細い銀の鎖は、飼い主が動くたびに輝いて揺れていた。
足を羽毛に仕舞い、ふてぶてしく芝生に座り込んだひよこは、きらめく銀の鎖越しに、のどかなお昼の光景をながめる。
冒険者ギルドの白い建物の前の公園では、暖かな昼の陽射しの下で買ってきた軽食や持ち寄ったお弁当を広げたり、草花を見て回ったりと、大勢の人がなごやかに過ごしていた。
のどかで平穏そのものの光景の中には、芝生の上や小道を、枯れ枝や落ち葉を集めて回る仕事中の人たちもいる。そろいのつなぎを着た作業員たちが見回る公園はいつもきれいで、旅や冒険で王都を離れる前に、ここでくつろいでから出掛けていく者も多かった。
「あ、そうだ。薬草採取の依頼、受けとこうと思ってたんだ。手続きしとかなきゃ」
マアルーンがギルドへ振り返り、すぐにも駆け出す。飼い主の腕輪に鎖で繋がった呪われしひよこは芝生からお尻が浮き、悲鳴を上げる間もなく、宙をぶん回された。
「ぷぎゃむ!」
ようやく聞こえた悲鳴にマアルーンが振り返る。大きく枝を広げた木を見上げ、いら立たし気に腰へ手を当てた。
「あのね、あんた、どこまでついてないの? どうやったら、そんなところに引っかかるわけ?」
葉っぱがまばらな木の枝の二股になったところへ、黄色い頭をマアルーンに、薄い紺色の背中を空に向けて、ひよこが挟まっていた。
「ぷぴゅい、ぴゅぴぴ、ペペーーッシュ!」
「叫ぶな!」
マアルーンの軽い蹴りが、木の幹に決まる。木そのものには何の傷も与えず、衝撃だけが全体に広がった。枝が大きく揺れ、揺さぶられたひよこが、その他大勢と、芝生に落ちる。
オウトドイモムシの、まだ人の指ほどの大きさにしか育っていない白くて可愛らしい幼虫たちが、ひよこと共に芝生に跳ねて、ころころと転がった。
「ぷ、きゅきゅきゅきゅきゅーーーーー!」
叱られようが、また大声で叫んでしまったひよこは、今までにない全速力で駆け出した。ギルドの正面玄関に向かって、まっすぐ逃げ出す。鎖がぴんと張り切らない絶妙な一瞬をとらえて、マアルーンも駆けた。
「瞬発力が付いてきたみたいだね」
マアルーンの貴重な誉め言葉も、恐怖に駆られたひよこには届かない。呪われし宰相家の若君は、ひよこ姿の自分よりも遥かに小さなイモムシたちに肝を冷やしてか、凍えたように体を震わせ、追い付いた飼い主の足に飛び付こうとした。
もちろん、飛び付く寸前で、ひよこはボールのように蹴っ飛ばされる。可愛いだけのイモムシごときにぴいぴいと泣き叫ぶ幼鳥を、マアルーンが甘やかしはしない。
冒険者ギルドの受付前で、ふわふわの体は繰り返し宙を舞った。鎖に繋がれているせいで吹っ飛ぶことなく、何度蹴られても呪われしひよこはマアルーンの足元に戻って来てしまうのだ。
「この動き。足にしがみつかれるよりかは、移動や攻撃にすばやく切り替えられて便利かも。練習しとこうかな」
飼い主の非情な提案に、ひよこは小さく羽ばたいて抵抗したが無駄だった。またマアルーンのひざへと戻ってしまい、右左と、交互に蹴り上げられる。
ここまでくると、ついてないどころでなく、正真正銘に不運な星の
冷たい石の床に落ちないだけ良かったと思ってあげるべきなのかしら。
受付嬢のフロンランは頬杖を付き、不満と恐怖から羽を膨らませたひよこが、宙を舞う姿を見守る。
「まるで、初雪を告げるケサランパサランみたいね」
微笑むフロンランを見て胸を高鳴らせる大勢の冒険者にとっては、確かにひよこは、幸運の使者でもあるとされる魔物と同格に値するようだ。ただ、ひどく残念なことに、当のひよこには何の幸いも起きそうにない。
結局、マアルーンの軽い足さばきで受付のカウンターまで一度も床に付くことなく運ばれたひよこは目を回し、ギルドの女神の前に転がって、しばし動けなくなったのだった。
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