22 おもてなしは続く。
生まれ育った我が家に帰る。何の変哲もないその行為に、勘当された子息は不満げな吐息を漏らした。
「ぷひゅううぅ」
それをかき消すように、家人もよく知った声が来訪を告げる。
「おはようございまーーす! お邪魔しまーーーーすっ」
いつものあいさつが玄関の広間に響く。すぐに側の応接間から、屋敷の主が姿を現した。
「おはようございます。ようこそ、マアルーンちゃん」
微笑みで客を迎えてくれたその人の習慣が、応接間で本を読んでから王城へと出かけることだと知っているマアルーンは、朝の一番に屋敷をたずねたのだ。
柄の悪さで知られた配下の令嬢は、ひよこには見せない笑顔をその人へ向ける。
「セレンおじさま、お久しぶりです」
「うん、マアルーンちゃん、久しぶりだね。いつも元気で何よりです」
この上なく優しい口調と笑顔で話すこの人こそ、マアルーンにはいけ好かないことこの上ない幼なじみの、実の父親だ。
セレン・レイゼンスターは栗色の髪を天窓から入る朝日にきらめかせて、一層笑顔になる。
「マアルーンちゃんがたずねて来てくれるなんて、本当にいつぶりかな? ほら、もうすぐ来るよ。足音がしてきたから」
セレンおじさまとマアルーンに呼ばれて慕われている宰相は、階段上へと笑みを向けた。そこへ厚いじゅうたんにも負けない、全速力で走る足音が近付いて来る。
「マアルーンちゃんっ! マアルーンちゃんなの? 空耳じゃない? ああ、幻じゃないわ! お帰りなさい、マアルーンちゃんっ、お帰りなさい!」
ドレスのスカートをつまんでたくし上げ、子どものように階段を駆け降りてきたのはこの屋敷の奥様、ウエインだ。夫とおそろいのふわふわとした髪型を、こちらも朝日で薔薇色に輝かせている。
日中用の軽やかな布地の装いで嬉しさのあまり可憐に回転してみせたウエイン・レイゼンスターこそ、天使と呼ばれても良さそうな容姿をしていた。どこぞの見た目だけお姫さまと違い、中身も無邪気で朗らかだ。
「夢じゃないわよね? 王都にいるなら、もうそろそろ遊びに来てくれるんじゃないかなって、さっき侍女たちと話してたところだったのよ。もう本当に嬉しいっ! マアルーンちゃんが、わたくしを忘れないでくれて!」
マアルーンの両手を取り、涙ぐむウエインに豪脚の英雄は笑う。
「ウエインおばさまって、いつも大げさなんだから」
マアルーンに忘れられそうなことを悲しく思うくらいならば、足元で所在なさげにしている呪われしひよこを、母親くらいは忘れないでやって欲しいところだ。
だが残念ながら母の目は、ペペッシュのお嬢さまに釘付けだった。ウエインは至近距離で目にしたマアルーンの笑顔にやられて頬を染め、嬉し泣きに忙しい。
義父に代わり今や王国で一、二を息子と争うほどの、豪脚の英雄マアルーンの信奉者であるウエインは、涙ぐんだ声でさっそく、いつものお願いをする。
「いつ遊びに来てくれても良いようにって、服を仕立てたところだったの。お父様に新しい絵を供えて上げたいから、着替えてもらっても良いかしら?」
「こら。まだ後でいいじゃないか。こうして朝早く遊びに来てくれたってことは話の後でもう少し、ここに居られる時間があるんでしょう? マアルーンちゃん?」
現宰相セレンの見事な采配で、マアルーンのお着替えはまた後でとなった。
三人は応接間へと向かう。マアルーンの両脇にレイゼンスター夫妻が並び、ひよこは
「先にお話もいいわね」と、すっかり浮かれているウエインは、どこからどう見ても一児の母とは思えない。
それでも彼女こそが宰相家の問題児の産みの母であることは間違いないので、マアルーンも子息の健在ぶりくらいは報告しておくことにした。
「この頃よく食べるようになったから、ちょっとは重たくなったと思うんだけど」
マアルーンが自身の後ろを数歩遅れて付いて来る、ふてくされたひよこを指し示すと、それでようやく両親は、勘当した我が子に目を向けた。
「わあ、なんてこと! 可愛いっ! うそでしょ、この子があの子なの? ふわっふわだわ!」
「うんうん、前よりずっと元気そうだ。つやつやしているのが、ひよこでも分かるよ。マアルーンちゃんに預けて正解だね」
「いいや、おじさま。あたしは迷惑なんですけど?」
三者三様の反応に、ひよこはさらにむくれて羽を膨らませた。その様子にひと際目を輝かせたのは母、ウエインだ。
「まあ! そんなに、ふわふわになれるの? すてき!」
無邪気な母は息子に駆け寄る。慌てて逃げ出そうと身をひるがえし、応接間の扉へと走りかけたひよこは数歩も行けず、豪脚に捕まった。あっという間に両脇からつかまれ、そのまま母に手渡される。
「はい、どうぞ」
「ぷきゅううううううう!」
不満を吐き出した鳴き声も母には可愛いものだ。十数年ぶりかに抱き締められた息子は、悲鳴にもならない声を上げた。
「ぴぎゅむぅ!」
「こらこら、首をしめないであげて。感謝祭にはまだ早いですよ」
真面目で温和な口調で、たまに冗談を言うのが、まったく似ていなかった亡き父から受け継いだ部分なのだろう。笑みを崩さぬセレンは、ひよこの抱き心地を堪能している妻を
両親からもおもちゃにされている呪われしひよこは、ふてくされつつも成すがままになっていた。さすがに母親の腕を尖った爪で、蹴って飛び出すわけにはいかないからだ。
そんなことをすれば最後、マアルーンにどんな目に遭わされるか分かったものではない。
色々とやらかしていることを胸の内に五万と忍ばせているひよこは、じっと耐えていた。耐えることこそ己のお尻の平和に繋がるということだけはようやく、しっかりと学習出来ている。
「なんでしょう。こうしていると、この子が赤ちゃんの時を思い出すわね。ほんとに可愛かったの。今の格好良くて可愛いマアルーンちゃんくらいに……小さな時のマアルーンちゃんには、すごく負けちゃうけど」
余計なひと言を息子に浴びせ、母は左右に揺すってあやしていた
「わ。本当に、ふわふわだ! さすが、ラウ殿下。呪いが完璧ですね」
息子を呪った相手を称賛しつつ、父親もひよこを久しぶりに高い高いしてやる。
この両親から、どうしてそんな背丈に育ったのかというほど急激に背が伸びてしまってからは、我が子を高い高いなどしてやれなかった。二度と出来なくなったはずのことを思う存分楽しんでいるセレンの姿に、ウエインも始終笑顔だ。
マアルーンは親子の、主に父母の憩いの時間をながめて満足げにうなずくと、話を切り出した。
「おじさま。勘当の件、このままですか?」
マアルーンが今日ここを訪れた目的を知らなかったのか、父の腕の中で、ひよこは羽毛を逆立てた。そんなひよこの、ふわふわの頭をなでてやりながら、レイゼンスター家の当主は答える。
「そうだね。一生懸命、剣聖の修行を頑張っているみたいだし。そろそろ許してあげてもいいのかな?」
ひよこを床に下ろして自由にしてやる。しかし、呪われしひよこは父親の足元で、じっとしていた。つぶらな黒い瞳を己の尖ったつま先へと、さまよわせる。
「そいつはちゃんと、ここに返します。あたしに何があっても」
マアルーンの言葉に、ひよこはまた羽毛を膨らませる。飼い主の言葉の意味を、その重みを理解したらしい。
ひよこは微かに目でとらえられるか分からないほど小さく、羽を震わせた。まん丸だった瞳が元の姿を思い起こさせるくらいに、するどくなる。
子息との再会を、のんきに喜んでいられない雰囲気でも父母は笑みを絶やさない。にこやかに夫妻は、我が子の飼い主マアルーンの顔を見つめた。
自分では険しくしていたつもりの表情を緩め、口元にちょっとした嘲笑を浮かべて、マアルーンはひよこを見やる。
「無傷で戻って来られるかは、そいつのがんばり次第ですけど。ね? ひよっこ剣聖さんよ?」
「ぷきゅうううううううううう!」
これ以上ないほどに不満げな吐息を漏らし、ひよこは爪をじゅうたんに食い込ませて、その場に踏ん張った。
言われるまでもない。そう宣言する代わりなのか、薄い紺色の背をそらし、黄色い胸を張る。
「ぴ! ぴい、ぴきゅっぴ!」
呪われる前と同じ、ひな鳥にしては落ち着いた声で威勢よく、ひよこは何かを言い捨てた。
誰にも翻訳出来ない捨て台詞を吐き、そっぽを向いて見せたひよこから遂に興味を失くしたか、母の朗らかな声が部屋を明るくする。
「マアルーンちゃん、お話はもう終わり? じゃあ、さっそく上へ! みんなーー! 準備は出来てるかしらーー?」
軽やかに駆けてマアルーンの手を取ったウエインは、亡き義父のお気に入りを応接間から連れ出した。
苦笑いのマアルーンは大人しく、ウエインおばさまの後を付いて行く。階上からは侍女たちの歓声が聞こえた。お着替えを楽しみにしていたのは宰相家の奥様だけではないようだ。
置いてけぼりのひよこは父の足に並んで、飼い主を見送った。毛足の長いじゅうたんを、爪で握ったり開いたりしている。
落ち着かないのは、マアルーンによく似合うものを次から次へと仕立てさせては描くことを生きがいにしている母の成果を、自分も早くその目にしたいからなのだろう。
もうこれで十何回目か。いや、もっとかな。
にぎやかな上階の様子を思い浮かべるセレン・レイゼンスターは、亡き父の同士とも言える妻を今のように、にこやかに見守ってきた。
ウエインにせがまれるまま、マアルーンの活躍をまとめては読んで聞かせている宰相は亡き父で慣れていることもあり、奥様の趣味に寛大だ。仕立て代は馬鹿にはならないが、素敵な絵も増える分はそれを喜んでいた父のためにも良いことだと、自身の楽しみにもしている。
息子が、生粋の冒険者であるカラド・ペペッシュの孫娘の扱いを誤っている理由の一因が、ウエインからはお人形さん扱いをされても怒らないマアルーンを見てきたからだと気付いてはいるのだが、あえてそれは我が子に教えていない。
自分には当てはまらないと自覚しないのだから、自業自得かな。
というのが、観察眼に優れた宰相でもある父の意見だった。獅子のように子を崖から突き落としはしないまでも、甘いに決まっている母の分、少々厳しめにが父の教育方針なのだ。
「こらこら、うろうろしない。仲間外れをいじけるなんて、格好良くないですよ」
問題児の嫡男の扱いは、これでも心得ている。当主の指摘に跳び上がったひよこは歩き回るのをやめ、母が呼びに来るまで、翼をぴたりと閉じた、気を付けの姿勢で大人しくしていた。
上階の家人専用の広間の壁には、亡き剣聖の肖像画を囲むように、ペペッシュのお嬢さまの絵が幾枚も飾られている。
小さな頃のものから冒険者として旅立つまでのマアルーンの成長の度合いは、彼女の生まれ育った家よりも、この屋敷に来た方がよく分かることだろう。
この度、そこに新しい絵が増えた。
白銀の糸で縁取られた花や星の模様や飾りが、結い上げた髪に裾にと、ふんだんに取り入れられた、豪奢だが軽やかな姿の一枚に。
いつもの、しかし宰相夫妻には初見の、片手剣を背負った冒険者姿のもう一枚。
どちらも目立つのは豪脚だ。祖父と同じに仕立てた何十代目かの長靴は、冒険者としての姿にはもちろん、着飾った方にも描かれている。
背面の裾だけが床に付くほど長い、マアルーンが滅多に着ることはない白銀の盛装の方を見上げて、レイゼンスター夫妻は楽しくおしゃべりをしていた。
二枚の絵の端っこには、翔り鳥キマルツバカケのひよこもいる。
「おそろいで、あの子の分も用意してあげた方がいいかしら?」
「どうだろうね? まずは、首輪を作ってあげた方がいいのかもしれないよ」
「そうね!」と、妻が笑顔で夫に答える。どうやら、ひよこは実の親にも、呪いは解けないものと諦められているようだ。
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