21 おもてなし
道具や武器をたやすく扱える力は、この国の民の多くが持っています。
では、剣をいつどんな時にも即座に振るえる剣聖の力が、多くの方のものと何が違うのかは、お分かりですか?
「聖剣が扱える」
そう、聖剣はこの国にひとつ。ゆえに扱える剣聖は、ひとりいれば良いのです。
では、おたずねします。聖剣の力とは、どんなものかご存知ですか?
「剣が、すべてを払う。魔とか悪とか、何か色々と」
答えたマアルーンは不意に、大きなため息をついた。盛大な嘆息に側のひよこが椅子の上で、わずかに跳び上がる。
「もう! 全部あたしが答えなきゃなんないんだけど! あんたも答えたらいいでしょ。跳ぶなり、つつくなり、鳴くなりしろよ!」
柄の悪い幼なじみに怒鳴られて、ひよこは反論した。
「ぴゅぴぴぴいぴっぴ、ぴぎーーーーー!」
「うるさい! 何言ってんだか、分からん!」
「ぷきゅきゅっ! ぴっきゅきゅう! ペペーーッシュ!」
「黙れ! 答えを叫べって言っただろうが!」
翼を羽ばたかせて抗議するひよこと、険しい表情を浮かべているはずなのに多少ふてくされているようにしか見えないマアルーン。隣り合った椅子に腰かけて言い争うふたりは、腹の底から怒鳴り合っているようには見えなかった。
王都のお針子たちなら可愛らしいと声を上げて喜ぶだろう光景に、サクインも笑みを絶やさない。聖剣とは何かの講義を一旦休止し、魔皇帝の魔術機構の象徴は、お茶の席を用意した。
サクインの右手が、何もない宙をなでる。
少し前まで大型の魔鏡があった場所に、白い木の机と、今ふたりが腰かけている簡素なものとはひと味違う趣向の長椅子が現れた。
長椅子に合わせた低い机の上には、お茶の支度が整っている。
カップに注がれた湯気の立ったお茶に、見るからにふんわりとしたパン。パンの間にはクリームが挟まれていた。マアルーンと、ひよこになっても幼なじみが好きな、白ブドウの香りが漂った。
「こちらへどうぞ。少し先を急ぎ過ぎましたでしょうか? ここと外も時の流れは変わらぬものですので。暗くなる前に、お帰りいただかなくてはと考えたものですから」
サクインが勧めてくれた席へとマアルーンが向かうと、ひよこも慌てて後に続いた。きゅると、鳴き声に似たお腹の音がサクインに聞こえ、彼女はさらに笑みを大きくする。
艶のある青い布張りの長椅子へ先に腰かけたマアルーンの横に、ひよこも跳んでのっかる。少々慌て気味なのは、魔皇帝陛下の魔術機構に腹の音を聞かれてしまったからかもしれない。
机の上のパンをひよこは見つめ、次は飼い主に、そのつぶらな黒の瞳を向ける。
「わかった、わかった。はい、はい、ちぎりますよ」
心底めんどくさそうな口調のマアルーンが、ふんわりとしたパンをつかみ、それを二つに分けてやる。もう一方を口にくわえると残りをさらに二つに割って、それを取り皿に載せ、ひよこの前へと置いてやった。
マアルーンはパンを噛みちぎりつつ、ひよこが夢中でつついたせいで皿の外へと押し出されそうになっているエサを、元へと押し戻してやる。
飼い主の手慣れた様子と、久々に虫入りでないパンをがっつくひよこをながめて、サクインは誠に嬉しそうな顔を久しぶりのお客様へと向けていた。
「外と時間が変わらないんだよね? サクインさんは、ずっとここでひとりなの?」
パンの半分を早くも食べ終えたマアルーンが、お茶に手を伸ばしつつ、たずねた。
「ええ。わたくしはずっと、ひとりでおります。ただし、いつもここに、こうしているというわけでもありません。普段の業務は、この実体がなくとも務まりますので」
普段と実体という言葉に、マアルーンとひよこが目を上げて、魔術機構の象徴を見つめた。サクインは笑みを絶やさず、さらに説明する。
「この体はこの場に、みなさまを迎えるためのものとでも言いましょうか。常に起動させているものでもないのです。国中の情報を集める際は、目で見て聞こえるすべてのことの流れの中にいた方が理解しやすいもので、その時は、この体を休めておくのですよ」
この世のありとあらゆる魔法を作り変えることさえ叶うとうたわれた魔皇帝陛下の、高度な魔術機構の象徴が説明する内容を、きちんと理解出来たのかは分からないが、ふたりは同時にうなずいた。
お茶をひとくち飲んだマアルーンは、次のパンに手を伸ばしながら話す。
「じゃあ、サクインさんはいつも外を、王国中を見回ってて。いつも一緒にいるってことなんだね、国のみんなと。だからなんとなく、この国の中ならどこまで行っても安心な気がするのかな?」
「はい、そうですね……そう、とらえることも出来るのですね。そんな風に思っていただけると、わたくしも幸いです」
常に口元へ笑みを絶やさないサクインが、初めて目を細めて笑った。彼女の金と銀の瞳が、再び部屋の光景を映す。
最後のパンを丸々ひとつ手に持ち、ひとくちかじったマアルーンと、一足遅く机の上にのったひよこが、にらみ合っているところだった。
「足りませんでしたか? 失礼いたしました。もうひとつ用意いたしますね」
サクインが机の、空になった皿に向かって左手をかざすと、そこに大きなパンがひとつ現れた。
こんがりとして見るからに弾力のある茶色のパンは雑に切り開かれ、間にぎっしりと、将来呪われるなどとは思ってもいなかった宰相家の子息がいつか見た具材が挟まれている。
分厚いハムと付け合わせによくある野菜が色々に、揚げ物用に柑橘の果汁を混ぜた、さわやかな香りのジュレ。その奥には、たまごで作ったソースがたっぷりと混ぜられた、マッシュポテトが詰まっていた。
驚きで羽毛をふくらませたひよこをよそに、思い出のサンドイッチは、危なくマアルーンに独り占めされるところだった。
「あんた、こっちね」と、ひとくちかじられた白ブドウのクリームを挟んだ方が、皿のもう一方の端へと載せられる。
ひよこが抗議の鳴き声を上げる寸前で、どこからか取り出したナイフを手に「半分に分けましょう」とサクインが申し出てくれて、おぼっちゃまの思い出の味との再会は事なきを得た。
たっぷりの具が挟まれたパンを先に食べ終えたマアルーンが腕を組み、白しか見えず、高さが分からない天井を見上げた。こちらも半分にしてもらったクリームの方を片手に、具だくさんサンドイッチの感想を語る。
「なんか……どっかで食べたことあるなあ。今度、自分でも作ろうっと」
ほのかに羽を膨らませたひよこは食べかけのサンドイッチから、サクインへと顔を上げた。
小さく笑い声を上げたサクインは、思い出せそうで思い出せないと首をかしげたマアルーンの目を盗んで、左目だけつぶってみせる。
魔皇帝の魔術機構の象徴ともなると、愉快ないたずらも思い付くのだろうか。左の、銀の瞳がきらめいた。
英雄の孫たちを誕生前から見守っていた存在は、呪われしひよこの姿で、なかなか頑張っているひよっこ剣聖に、小さな贈り物をひとつ届けてくれたのだった。
「で? いい感じに腹いっぱいになって帰ってきた、ってわけか?」
オウレンは人差し指であごをかきかき、愛弟子にたずねた。マアルーンの横のひよこはソファーの上で、うとうとしている。遠距離走で疲れた体に、満腹。ひと眠りするには良い頃合いだ。
「聖剣と剣聖が必要。まあ、分かっちゃいたがな。やっぱりそうか」
腕組みするオウレンにつられたか、マアルーンも腕を組む。別方向へ頭を倒し、師匠と弟子は誰に向けてでもなく、うなずいた。
「十年か。早い気もするな……そんなになるんだ、力も付けるか」
オウレンが腕を組んだまま、執務室の中空に向かって言う。夕日が差し込んだ部屋の中は、暖かな色に染められていた。その暖かさに、ひよこは自分の羽の中にくちばしを突っ込んで、本格的に寝息を立てる。
「それどっち? こっちのこと? あっちのこと?」
マアルーンが腕組みを解いてギルドマスターをにらみつけながらたずねたことに、オウレンは微笑んで答えた。
「お前らに決まってんだろ。あっちは、ただ元に戻ったってだけだ。十年前の、あいつにな」
オウレンの言葉に満足げにうなずいたマアルーンが、ソファーにもたれて顔を上げ、天井へと宣告した。相手は、天に昇ることなど出来ない地獄行きの存在だと承知の上でだ。
「よみがえるのは今回だけ。今度こそ、次はない。蹴っ飛ばして、粉みじんにしてやる!」
「ぴぎゅっ」
夢の中にも聞こえたようだ。自分に向かっての発言かと、寝入ったひよこが大きく身を震わせて小さな悲鳴を上げた。
寝苦しそうに、もぞもぞと羽を震わすが、ひよっこ剣聖が目を覚ます気配はない。マアルーンがあきれた目を、のんきな幼なじみにやった。
「ねえ? こいつ、ここに置いて行っていい?」
「だめだ。飼育者はいつ何時でも、ひなから目を離さないこと! かさばらないんだから、ちゃんと連れて帰りなさい。以上!」
「えーーーーっ!」
ぶつぶつ言いながらも、マアルーンが帰り支度を済ませる。
持ち上げられて目が覚めたひよこが、つい何かを期待してやってしまった寝たふりを後悔したのは、その直後だった。
問答無用で鞄に詰められたひよこを救う者はいない。それなら盗まれないだけマシかと、オウレンも黙って見送った。
抱っこを期待したということ以上に、満腹で走りたくないばかりの寝たふりであることがばれては、どんな目に遭うか分からない。
鞄に押し込められたひよこは観念し、荷物の一部となった。くちばしをぎゅっと閉じ、鳴き声も上げられず、今日はもう走らないで済んだ代わりにお荷物として運ばれる。
唯一の救いは、マアルーンの豪脚でなら彼女の父母が待つ家までは、ものの数分と掛からないということだ。
薬草水と炭酸水の瓶に左右から打たれながら、永遠の数分を、呪われしひよこは耐え抜いたのだった。
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