20 ひとりとふたり





 椅子に腰かけたカラドとギンレグンの前へと、魔皇帝陛下の遺産は歩んだ。


 索引サクインは、右に頭を傾けた。かしげた方の銀の髪と、金の組み紐を蝶々結びにした髪飾りが揺れる。

 その横に半透明の板が宙に現れて浮かんだ。そこには襲撃者の姿が映し出されていた。背を丸めた誰かの影のような、黒くいびつな姿が。



「およ! 魔鏡というものですか! 遠くの景色も映し出すという?」


「おい、映ったもんの方に注目しろよ。お嬢ちゃん、これ、今の光景ってわけじゃないんだな?」



 カラドの指摘にサクインはうなずいた。ただし、順を追って、聞かれたことに答えてくれる。



「はい、皆様は魔鏡と呼ぶものです。主人はモニター、スクリーン、ボードなどと呼んでいました。どれも何かを映し出すか、そこに何かを記しておくもののことを表しています。そのすべてが行えるので、その時の気分で呼び方を変えておられたのでしょう。そしてこの映像は、わたくしが危機を察知し即座に記録した、四十七分前のものですね。今現在、魔動機人は転移魔法で消えたお二人の捜索を終了、本来の根城へ戻ったと推測されます」



「魔人。話には聞いていたが、本物を目にするとはな」



 カラドは無精ひげのあごを指でかきかき、顔をしかめる。

 その隣でギンレグンは両手をひざにのせ、未だ頭をかしげているサクインと同じ方へと首を傾けていた。病身の父の後を継ぎ、宰相になった時に教わったことを思い起こす。



「うむ。この地に魔皇帝陛下が、国を建てる前のことであったか。隣国、この一帯を支配していた帝国の都からの依頼により、魔導師として、帝王に雇われていた陛下が制作したものだと伝わっておったがのう」



「ええ。主人が制作し、帝都の防衛にと残したものでした。しかし、あの最悪の事態が突如として起こり、都共々、魔人は滅んだということになっています。何かの不具合により制御不能となった、一体を除いて」



 サクインの説明に、カラドとギンレグンはうなずいた。



「じゃあ、あのうわさは本当か。帝王が呪術にとりつかれて暴走し、魔人が暴れて、都も氷漬けになっちまった、ってのは」



「ほぼ同じでありますが、多少違います」



 サクインは頭を戻すと、側の魔鏡に右手をかざした。


 映し出されていたものが変わり、そこには在りし日の、高原の帝都の姿があった。今は岩と氷に埋もれて何人も近づけない、不吉にして不毛の地だ。

 その場所に多くの人が、瓦屋根が陽の光にまばゆく輝く立派な都を行き交っている。今は亡き人々と無残にも崩壊した帝都のかつての姿に、剣聖も豪脚も眉をひそめた。


 気遣わしげな二人へと、ゆるりと微笑み、それでもサクインは話を先へと続ける。



「帝王自らが呪術で膨大な魔力を取り込み、不死の力を得ようとしたことで、自身にかけた術の抑制すら出来ずに暴走。魔人たちはその制圧に動きましたが、互いの力が及ぶ間もなく、この世の正常化を図るとされる力、世のことわりによって収められました。都は、王の暴走での岩山の崩落と魔力崩壊の波に呑まれ、多くの民が、その犠牲に。主人は誠になげかわしき事態だと、それから数十年、ずっと怒っておいででした」



 サクインの説明に合わせ、魔鏡に映し出された光景は変わっていった。

 その間、画面の右下には『以後の調査等から推測された事態を想像して制作した映像です』との注意書きが、ずっと表示されていた。



「怒っておった……魔皇帝陛下は、そのような事態が起きるかもと懸念されていたのだろうか?」



 ギンレグンの問いかけへ緩やかにうなずき、サクインはまっすぐに顔を上げた。



「主人の言葉は一言一句、再生出来ます。お聞きになりますか?」



 二人は顔を見合わせた。

 魔皇帝が語ったという言葉や文章は残っているが、それは後世の者が記したものだ。当人が自ら書き残したものはないという。サクインと呼ぶ魔術機構に己のすべてを記録していたのなら、それも当然だ。

 貴重な体験になるだろうと見合わせた互いの顔へひとつうなずいて、二人は案内役に目を上げると、答えを告げた。カラドが簡潔に頼む。


「聞かせてくれ」


 魔術機構の象徴にして、その記録の索引でもあるサクインは客人にうなずき返し、真っ正面の中空へと顔を上げた。



「では。……ほんっと、ふざけてんじゃねえぞっ! だから言っただろうが、あのくそ坊主め! 呪術法は、この世界そのものを蝕むって教えてやったろうが! 見ろ、世のことわりが発動しやがったわ。膨大な力を捻じ曲げようとすると、そこを補填する作用が生まれちまうんだよ! 崩壊に呑まれて呪力が魔力を吸い、大気に波が起こって気温爆下がりで氷漬け……ふざけんなっての! 独りでかき氷でも食ってろよ、そんなに冷えたきゃよう! 何なんだよ、マジで! 命の再生法はないっての! こっちは必死こいて、みんなの暮らせるとこ徹夜で作ってんのに無茶苦茶やってくれやがったな、ど阿呆が! くっそ、救助隊出さなきゃ。こんなことになんないように魔人置いてきたのにいいいいいいーーーーー! あ。なんかあったな、これ? 俺行かなきゃ、誰も近付けねえかも。いや、ちょっと待って、もう少しでこれ完成させられたら……誰か代わりに行けるひとーー? いねえの、いま無理? もうやだ、休み欲しい!」



「もう……そのくらいで良いよ、サクイン殿……」



 確かにすべてを記憶している。悪態や愚痴までもが正確に残された、サクインの声での魔皇帝陛下のお言葉に、さしものギンレグンに柄の悪いカラドも遠い目をした。


「こほん。では、今の再生内容を、さらに詳しくまとめます」


 小さく咳ばらいをしたサクインは、控えめなおじぎをしてから語り出した。



「主人は、大陸各地の古代魔術を修める修道者として知られていた帝王に、かつて魔神が考案したという呪術なる特殊な魔法が、この世界にとってどれほど危険なものかを教えました。しかも、手引きとして残された遺物にはそうとは見えずとも不完全で失われた部分もあると推測し、何が起きるか分からないものは即刻破棄すべきだと進言したのです。しかし、帝王はそれを己の力にしたいがばかりに抹消したとの嘘を。その上、主人がこの地へと旅立った後、これ幸いにと未完成な術を起動させてしまいました。それにより、あふれた呪力が多くの民にも影響を与えたと考えられます。その影響は、この王国にも及びました」



 言葉を切って、客人の顔をそれぞれ見やるサクインに、ギンレグンがうなずきながら答える。


「帝都からかろうじて助け出された者、家や縁者を失った住民……多くの者たちがこの国へと逃れてきた。我らの祖も、その中のひとつ」


 ギンレグン・レイゼンスターは深く息を吸い、それを吐いてまた語る。


「帝王の施した呪術法。それは暴走した者だけでなく、周辺一帯の、その地域に生きていた者たちをも蝕んでおった……ということじゃの」



 英雄と称される二人が、同時にため息を吐く。



「呪い、か。呪いによる被害の埋め合わせは、呪いで。ということか」


 カラド・ペペッシュが、ひどく眉をしかめて話す。


「つまり、未だに俺らは、馬鹿やった帝王の尻拭いをやってるってことか?」



 カラドの言葉に、サクインは左へと頭を少し傾けた。金の髪が揺れ、銀の組み紐の飾りが輝きを落とす。



「その通りです。これからお生まれになる、あなた方のお孫さんも」







 映し出された姿に、ふたりの目は釘付けとなっている。



 ふたりの記憶の中にある祖父は、いまこの目で見ているものよりも少し歳を重ねた姿だ。

 魔鏡というものを通じて見た口調や仕草は、まったく同じ。記憶と大きくは変わらない、けれど初めて見る祖父たちの姿に、孫のふたりは言い表せない何かを感じた。


 目の前のものから視線を外さないマアルーンと呪われしひよこに、サクインは静かな微笑みを向ける。


 サクインは側に浮かぶ大型の魔鏡を真横から見上げて、改めて認識する。指一本分の厚みもない薄っぺらいそこには、何もないことを。

 この場所に遺された、魔皇帝の魔術機構を象徴する者は、その口を開いた。



「おじい様方が、ここへとやって来た時。それは、あなた方の運命を決めた約束がなされた時でもあります」



 白い木の椅子に腰かけたマアルーンと、隣の椅子の座面に立つひよこ。ふたりがサクインへと目を向けると、魔鏡は後ろの空間を透かし、白一色になった。


 思わず、ふたりは魔鏡へと顔を戻す。マアルーン・ペペッシュとレイゼンスターの若君の成れの果てに、優しい笑みをたたえて、映像の姿と寸分たがわぬサクインは続けた。



「ここで起きたことのすべては映像として記録され、永久と呼べるだけの時を保存されます。またいつでも、再生することが出来ますよ」



 マアルーンが首を振り、ひよこはそれをまん丸な瞳で見上げた。



「大丈夫。ちゃんと覚えてる」



 マアルーンが澄んだ青い目をまっすぐに向けて答えたことに、サクインは控えめな笑い声を上げる。



「そうですね。わたくしも覚えております。あなた方に贈り物を届けた時のことを」



 ひよこの羽毛が膨らんだ。


 そのふわっふわの体に宿る剣聖の力は、マアルーンの豪脚は、ふたりの祖父から預かった、最初の贈り物である。


 魔皇帝の魔術機構の象徴であり、王国の歴史と情報を収集、記録、保存し、遺された魔法のすべてを管理する者。サクインの言葉が、すべてを物語っていた。



『能力が失われた件に関しては、お二人の推測の通りかと存じます。お二方はそのお力のすべてを、いずれ手放さなくてはならないでしょう。誠に勝手なことをしてしまいましたが、すでにその二割をこちらへと、お返しいただきました。申し訳ございません、ご報告が遅れてしまいまして』



 流れてくる過去のサクインの声に合わせて、魔鏡にまた映像が映し出される。しかし、そこには何の姿もなかった。


 マアルーンの澄んだ青の瞳と、ひよこの黒い眼に、小さな光が舞っている。


 ふたりが見つめる先、魔鏡の中では誰の姿もない代わりに、ふたつの光が蝶の鱗粉のように粒を撒き、付かず離れず、闇の中に漂っていた。







 

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