19 ふたり
森のほこらまで今のマアルーンの足なら、すぐだ。
「ひーひーぴぃ……」
紐で繋がれたまま走ることになった呪われしひよこにとっては、危うくさらわれかけ、ずぶ濡れで雨宿り、薬草炭酸水一気飲みを
ぷひゅぷひゅと息が荒いひよこから首輪と紐を回収し、マアルーンは先に森のほこらへ入った。重い足取りのひよこが、その後に続く。
大きく枝を広げた木々の合間から光が降り注ぐ森の中に、横穴が口を開けた岩がひとつ立っているだけの場所だ。
入ってすぐに行き止まり。中には、マアルーンが雑に作ったスープの中のじゃがいものような形をした、腰かけるにはちょうどいい大きさの石が三つほど転がっている。
誰かが管理しているというわけでもないのに、ほこらの床は常に綺麗だった。周囲の木々が落とした枯葉が入り込むことも、雨水が溜まって濡れていることもない。
それが不思議であるのに気が付いたのは特別な預かり物を持って、ここを訪れたからだと、マアルーンには思えた。
「さてと。これをここで、どうしたらいいんだろ?」
取り出した小箱を片手に、マアルーンは奥の祭壇に近付いた。
いつか幼なじみが腰かけていたそれは紛れもなく、ただの四角い石だ。しかし、穴の一番奥まったところにあるその石は射し込んだ光の加減で、時に祭壇のようにも見えることから、ここが森のほこらと呼ばれる由来になったものであった。
ただの大きな石。
それまで、そんな認識しか与えてこなかったものが、それとよく似た小箱を手にしていると意味のあるものに見える。
マアルーンは辺がすべて丸く、木の小箱と同じに角を取って作られた、石の祭壇の前に立った。祭壇をじっと、澄んだ瞳がながめる。
石の上に今日も、幼なじみが乗っかった。
「ぴゅぴ」
小さく一声、ひよこは祭壇の上の、奥の壁に近い位置にある、浅いくぼみをくちばしで示した。
ほこりひとつないくぼみの中はそこだけが、ざらりとした石の上で、なめらかに輝いて見える。
小箱を置くには大きなくぼみだが、そこ以外にこれといって、ほこらや他の石にも目立った何かは見つからない。マアルーンは白木の小箱をためらうことなく、くぼみに置いた。
「ほい」
何かが起こる予感があるにしては気の抜けた掛け声。しかし、それに神聖なほどの反応があった。
森のほこらの内部を、それがある空間を、その中のふたりを包む、白い光が放たれた。
どうなっているのか分からなかった。
さっきまで二人は、空の下へいたはずだ。
このような、白く淡く、出口も入口もない箱の中に似た空間に閉じ込められてなどいなかった。
「どうなってんだ? 俺らは確か……死にかけてなかったか?」
側に立つカラドの言葉に、白い石の床に片ひざを付いたギンレグンもうなずく。前髪がひと房、額に落ちた。
銀の髪の中で唯一長いのが、後ろへなでつけていた前髪だ。剣はどこへやっただろうかと床に付いた手を見やって、剣聖は気付く。
「傷がない。腕を、刺し抜かれたはずなんじゃが……」
「おう。俺の足もそうだ」
カラド・ペペッシュは己の両足を見つめ、太ももを同時に左右の手で打った。
何ともない。黒い何かが確かに、この両足を一度に刺し貫いた感覚があった。
ギンレグン・レイゼンスターも同じくだ。右腕を貫かれた金属の感触が、何の傷もないそこへ残っている。
友は、互いの顔を見やった。
確か、王国の外れの峠にて、二人は不審な影に襲われた。魔法のようなものだ。襲って来た者に心当たりはなかった。
クロトゲマルムシに似た、黒く艶やかな
黒い外套で覆った姿に見覚えはない。いや、似たようなもののことを長い冒険者暮らしで聞いた覚えもある。
二人は、いつの間にやら考え込んで下に向けていた互いの顔を、見合わせた。思い当ったものを同時に、口にしようとした時だ。
「魔人、
少女のような、老齢の淑女のような、落ち着いた心地良い声が小さな空間に響いた。
二人が見やった先に、いつの間にか若い女性が立っていた。
声からすれば歳が違う。老いてもいて若くもあるが、それこそがその声に相応しくもある姿だ。
面立ちは幼くも見えるが実際の歳も若いのかの判別が付かない。老年の二人のそれまでの知見からしても異国風というには何かが違う様相が、そうさせているようにも思えた。
金と銀の組み紐を随所にあしらった白装束。つむじの中央から左右に、金と銀に色が分かれたまっすぐな髪。光を放つような艶のある髪の毛は肩で切りそろえられている。
派手な色遣いが逆に見事な落ち着きと静けさを醸し出している見知らぬ娘は、微笑みを二人に向けて続けた。
「あの者を倒すため、あなた方には今しばらくお力をお借りしたく、この場に招きました。緊急起動で医療設備を稼働させ、傷の処置と再生を行いましたので、行き届かぬ点も多いかと思います。どこか不具合などはございませんか?」
笑みを崩さず問いかける、この空間の所有者らしい娘には嫌なものを感じない。体の前で両手の指先と手のひらを、ほんの少し合わせて立つ姿と、穏やかで冷静な口調や表情。どこか神秘的なものを感じさせる招待主を見定めて、二人は残しておいた緊張を解いた。
ギンレグン・レイゼンスターとカラド・ペペッシュはもう一度互いの顔を見やり、それから元宰相が娘に答えた。
「どこも具合の悪いところはありはせんよ。むしろそれが、いつもとは違うところかな」
「治癒術後の活性が良く効いておられるのでしょう。お体を動かすには申し分ないかと思われます。能力は今、最盛期の八割方しか出せなくなってらっしゃるので、お気をつけてください」
娘の説明することに、カラドがうなずきながらも、たずねた。
「一番使えていた頃の八割っていや、この最近の二割増しって感じだな。これくらいありゃ、あんなのに不覚は取らなかったんだが。どうなってんだ、お嬢ちゃん?」
お嬢ちゃんと呼ばれたのを否定することもなく、彼女は髪色とは左右反対になっている銀と金の目を細め、さらに笑みを浮かべて応えた。
「それは、加齢により衰えた能力が活性化でよみがえったことをさしているのでしょうか? それとも、二割の能力が完全に失われたことを、ご説明した方がよろしいのでしょうか?」
「能力が失われた方のことを説明してもらえるか? それからまずは、お嬢ちゃんのことも頼むよ」
白き空間の案内役であるらしい娘は笑みを浮かべてうなずく。緊急で招いた客人二人の顔を交互に見上げ、彼女は答えた。
「では、まずは、わたくしのことからでございますね。名乗りもせずにたずねるばかりは失礼でありましたか? 名前はないものですので、ただ単に、索引と呼んでいただければと思います」
ギンレグンとカラドはそろって、人の名前とは思えないものを名乗った彼女を見つめた。
微笑みを絶やさず、彼女は説明する。まずは、と聞かれた自身のことを。
「辞書には膨大な言葉と知識が詰まっていますが、それも探す手がかりがないと見つけることは困難になります。言葉が音の順で並んでいることを知っていれば、いくらか進むことも出来ますが、得たいものにたどり着くには時間がかかるでしょう。わたくしは、この遺産の道しるべとなるもの。ゆえに主人は索引と、わたくしのことを呼んでおりました」
二人の英雄はまた、顔を見合わせる。この案内役を索引と呼ぶ者、彼女の主という人が何者なのかは明らかだった。
「魔皇帝陛下の、魔術機構の象徴であるのが君、サクイン。そうなのか、お嬢ちゃん?」
「さようでございます。カラド・ペペッシュ様。ギンレグン・レイゼンスター様」
サクインが緩やかにお辞儀をし、その顔を上げる。完璧な左右対称の顔の唯一の違い、瞳の金と銀が微かに輝いたように、英雄二人には見えた。
「サクイン殿。あなたがわしらをここに招いたということは、こうなる事態をも魔皇帝陛下が予測されていた、ということで合っておるのだろうか? そうじゃ。失った能力の説明前に、追加でたずねて良かったかの?」
元宰相の的確な疑問に、サクインはすぐに答える。
「ここにお招きしたこと、主人の予測についての説明は、能力の件にも関係してきます。長い話になるかと思いますので、こちらへおかけ下さい」
サクインが指し示した、彼女の背後の空間に、椅子が二脚用意されていた。
ついさっきまで無かった白木の椅子に、カラドとギンレグンの二人はさっさと近付いて腰かける。ここまでくるともう、何が急にこの空間に現れても不思議には思わない。
白い空間は静かだ。四角く囲まれたこの場所以外、外には何もないようにすら思えるほどに。
だがなぜか、そこにいる者たちが耳をすますと、枝葉が風で擦れる音、鳥のさえずり、水面が立てるさざ波が聞こえて来るようだった。
二人の英雄と、ひとりの案内人。
三人は、これから、この王国の未来についてを話さねばならなかった。
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