16 迫る影

 




 滝に飛び込んだマアルーンとひよこが無事に戻り、エレンが捕まえた賊たちが引っ立てられ、キマルツバカケのリーダスと共に、皆が王都へ帰り着いて十と六日後。



 冒険者ギルドは平穏な空気が漂っていた。一か所を除いて。



 ギルドマスターの執務室に、聖剣発見に関わった全員が集まっていた。もちろん部屋の隅には、呪われし剣聖のひよこもいる。

 薄い紺色の尾羽をしたお尻を、ほんの少し床から上げ、ひよっこの剣聖は微動だにしない。お礼にとマアルーンへ届けられたぬいぐるみのひよこをつついた罰に蹴り上げられたお尻をかばい、じっと耐えているところなのだ。


 話にならないひよこは放っておいて、この度の事件の全容がギルドマスターと、続いて、宰相の配下である伝達係より説明された。



「賊の取り調べ結果は、オウレン殿が前述の通りです。補足といたしましては、聖剣を盗掘するために現れた者たちの証言から諸国の商業ギルドへと問い合わせをしたところ、依頼者に該当する商人は存在しておりませんでした。実際の商人が依頼時にだけ身元を偽っていた場合も考えられますが、賊の手段から考えても、初めから犯罪行為であると認識していたのは間違いないと断定されています。レイゼンスター様の見立てでは、この事件の依頼人は闇の魔導士のたぐい、国家的にして悪辣あくらつな組織犯罪である可能性が高いとの分析です。以上、報告を終わりますが……質問はございますか?」



 丁寧な口調で話しつつ、執務室を見回した男の顔を見上げ、椅子に座る面々は押し黙っている。「質問は?」と優しくたずねた割に宰相側近のその青い目は、面倒だから聞いてくれるなと言わんばかりの、するどさをたたえていた。

 誰からも声が上がらないのを確認すると、伝達係のマゼルは部屋の隅に目をとめた。この部屋で唯一こちらへ背を向けている生き物へと、するどいまなざしを向けながら、黙って見上げてくるだけの皆へ再度確認する。



「よし。疑問はないな、お前ら。おい、そこ、ちゃんと聞いてたか?  なあ、おい、若? ぼっちゃん? ひよっこ!」



 ひよこは振り返り、ぎゅっと閉じていたくちばしを開いた。



「ぴぃぴっぴ、ぴぺっぴ! ぺぺーーーーッ」


「うるせえ!」

「黙れ!」


「シュ、ピぴ!」



 がらの悪さがよく似た親子にそろって怒鳴られる。お尻の痛さと雑な扱いを訴えかけようとしたひよこは震え上がり、さらに部屋の隅へと逃げ込んだ。

 散々な扱いを批判しようにも今は勘当された身、宰相家の子息という地位を使うことも出来ない。その上、この親子には元から雑な扱いを受け続けてきている。呪いでひよこになったレイゼンスター家の若君には、今さらどうすることも出来なかった。


 部屋の角で家具の間に隠れるひよこを横目に、マゼル・ペペッシュは久しぶりに対面した娘へも、にらみつけるような厳しいまなざしを向ける。調査と情報収集に国内外を飛び回り、しばらく家に帰れていなかった父はたずねた。



「なあ、マアルーン。話に聞いてた感じから、このひよこ、数日経っても全然っ成長してないみたいだけど。若にちゃんと飯食わせてんのか?」



 娘が飼い主のひよこは、自身の幼なじみの子息でもある。元病弱の体調を気遣うくらいの心配りはマゼルにもあった。

 仕事柄、気を遣って変えている口調を元へと戻した父へ、マアルーンは首をかしげながら報告する。



「なんか、呪いが完全すぎたせいで逆に、ひよこになり切れてないらしいんだよね。成長速度が人間と同じに設定されてるみたいでさあ。成鳥になるのに二十年近くかかるかも、って言われたんだ。ほんと、こいつ、使えない」



 ソファーに身を沈み込ませて、マアルーンが眉根を寄せる。ひどいしかめっ面さえ可愛らしくもある娘の中身をよく知っている父は、自身も眉根を寄せて顔をしかめた。こっちは目付きが悪いせいで、相応に強面になる。

 娘と友人の偏愛ぶりを間近で聞かされていたせいで、人一倍キマルツバカケにも詳しくなったマゼル・ペペッシュは、かけどりの飼育に関する決まりにも精通していた。



「一人一羽だったな。一羽でも無料タダで手に入って良かったじゃねえか。仕方ないとあきらめろ。責任持って、しっかり、最後まで面倒見るんだぞ。いいな?」



「ええええええええ! 全然良くないっ、良くないよ! 父さん、飼育者をセレンおじさまに変えるように言ってよ! セレンおじさまが元々の飼い主なんだから!」



 ソファーから跳ね起き、マアルーンが父親の胸倉をつかんで叫ぶ。

 さすがに、その言い様は宰相家の元嫡男も黙っておれなかったのだろう。家具の影から出て来たひよこは、飼い主に負けじと叫んだ。



「ペペーーーーシュ!」


「黙れよ! わがままひよっこが!」

「うるせえって言ってんだろうが!」



 豪脚と俊足の持ち主が相手では、思わず部屋の中央へと走り出て来たひよこに勝ち目はない。あっという間に飼い主の手に捕まり、小脇に抱えられた頭を、その父親に、がしがしとなでられる。



「おお! こっちの頭も、かなり触り心地がいいなあ。むしろ、すべすべよりかは、こっちだ。ふわふわなのが良いわ」


「むきゅきゅきゅきゅ!」



 がしがしと、亡き人と同じになでてくる無礼者の手をつついてやろうかと首を振るひよこだが、くちばしを飼い主にがっちりつかまれていて上手く動かせない。

 ようやく、くちばしを放してもらえた時には、つつく元気もなかった。生き物の扱いになれた二人に完敗し、ひよこは大きく息をつく。


「ぷひゅううううう」


 大人しくなったひよこの若君を受け取ると、自分が乱した羽毛をなでつけて直してやりながら、宰相専属の伝達係は笑いをこらえるギルドマスターとそのお茶友達の前へと腰かけた。

 今度は代わりに腰に両手を当て、マアルーンが父の背後へ立つ。すっかり大人しくなったひよこを飼い主が見れば、目を細めてマゼルのひざの上に乗っていた。絶妙な力加減でなでられると眠たくなるらしい。



 マアルーンの生き物好きの血は、父親から受け継いだものだ。

 翔り鳥の専門家の弟子となった娘以上の、広範囲で動物好きなマゼルは、その俊足で野山を駆けては傷付いた動物を保護して家に連れ帰り、世話を焼いていた。


 あの頃は可愛かったという少年時代も、冒険者としての修行時代も、国の内外をうろつく目的は生き物との出会いを最優先にしていたくらいである。ひよこ一羽を手なづけるなど朝飯前だ。

 マゼルは、うたたねを始めたひよこを、なでた手のひらで温めてやりつつ、話を続けた。



「とにかくセレンでも、どこのどいつが、こいつと聖剣を狙っているのか、確かな心当たりはないらしい。ただ単に至宝としての価値をってことなら怪しいとみている組織はあるが、それ以外も広く当たってみないといけねえってなってる。聖剣を調べると同時に、宰相家そのものが狙いって線も考えてみるそうだ。息子と父親のそれぞれが、がっつり関わってるわけだからな」



 剣聖の祖父が隠した、聖剣。その孫で、現剣聖の呪われしひよこ。

 厄介な身内に挟まれ、その上、王様を支えて国のまつりごとをも担っているのだ。現宰相セレン・レイゼンスターの苦労は計り知れない。

 しかし、のんきに人のひざの上で昼寝を始めてしまった子息には、宰相の苦労が伝わってはいなさそうだ。父の仕事の補佐を私利私欲に使うくらいである。

 これぞ親の心子知らずだなと思いつつも、寝かしつけた張本人は、ひよこをなで続けている。

 マアルーンの特訓で疲れ切っていたのはもちろん、ひよこ姿にも慣れてしまったのか、宰相家の元嫡男はこの重要な会議の場で完全に寝落ちしていた。



 あちこちで恨みを買っていそうな宰相の子息にして銀嶺ぎんれいの君は、この調子。

 これでひよこに呪った相手が判明していなかったら間違いなく、その呪術師が聖剣泥棒の犯人でもあると疑われているところであった。


 だが、その御方に限っては、恨みでなく遊びでやったことだと誰の目で見ても明らかで、聖剣を狙う黒幕であると疑われることすらない。


 ただし聖剣は今、その御方の手にある。


 この国を建国した魔皇帝の再来と呼ばれる王太子は、趣味で魔術を極めようとしているのだ。ご先祖様が作りたもうた聖剣に興味を持つのも当然なら、その少年以外で魔皇帝の難解な魔法がかかった剣の解析を行える者も、そうそういなかった。



「このまま、ラウの調査を待つしかないってこと? ほっとくとあの子、聖剣、分解するかもよ?」



 王太子を略名で呼ぶのは、父母とマアルーンくらいだ。実の親と同等に王子たちのことを分かっているマアルーンの言葉に、さすがにぎょっとしてしまったオウレンとエレンへ見せるようにして、マゼルが首を振る。



「大丈夫だ。王妃様が、それは絶対させねえよ」


「じゃあ、安心だ」



 マアルーンがうなずいたのは、いたずらが過ぎる天才少年も両親の前ではただの子どもだと知っているからだ。特に母上の言うことを素直に聞くのが、いたずら兄弟唯一の可愛いところだとマアルーンは思っていた。

 ただし、今度のいたずらが王妃様にも止められなかったのは、母上にお得意のお菓子作りをねだった息子たちの勝利である。

 そうでなくては、いくら部屋で組み立てていたお手製であっても、城から魔法砲でひよこを撃ち出すなど、母の目を盗んで出来るはずもない。



「なんにしろ、この国が狙いってのには変わりがない」



 オウレンに皆の視線が集まる。エレンの甲冑が鳴り、ひよこが体を震わせたが、すぐに寝入った。


 呪われし宰相家の子息が持つべき聖剣と、剣聖の能力にその称号は、この王国を守るためにあるものだ。それを襲うということはすなわち、王国に何者かの魔の手が迫っていることを意味していた。


 ギルドマスターは顔を上げた。愛弟子の、澄んだ青い瞳を見つめる。



「気を抜くなよ。分かってるとは思うが、また同じことが起きる可能性もある」



 オウレンにマアルーンがうなずき返す。



。でしょ? 分かってる」



 マアルーンの、いつもとは違う低い声が耳に入ったか、ひよっこ剣聖が目を開けた。







 

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