15 英雄のご帰還
「ほれ、えさ」
小脇に抱えたひよこへ、クッキーが差し出される。
抵抗がまったくなくなったわけでもないが、水につかってふやけ気味のそれを、腹ペコのひよこは、くちばしで受け取った。
ムッキークッキーなる商品名が、手書きのような丸い文字で印刷された白くてつるつるとした袋から、マアルーンも三枚ほどつかむと口に放り込んだ。
「ミルクにひたしても、おいしいんだよね」
元のイモムシがクリーミーだから。
と続いた説明に、ひよこが危うく、くちばしの中のものを吐き出しそうになる。
「ぷきゅう……」
どうにかこらえて、えさを飲み込んだひよこは、駆けるマアルーンの足元を見た。豪脚にしては軽やかに、ゆるい駆け足で進んで行く。
「さすがに泳ぐと疲れるなあ。今度は走りに遠泳と、崖登りでも組み合わせてみようかな?」
鉄人にしかこなせない過酷な特訓法を考えつつ、マアルーンは川上を目指して駆けて行った。その行程は、ついさっき頭に思い描いた訓練とそう変わらない。
大小の岩の上を飛び渡って崖の上へ、藪をかいくぐって林を駆け、森から丘へ。クラインバー渓谷に新たに架けられた、頑丈な橋のたもとへと向かう。
そこには、泥棒たちを警護兵に引き渡している鎧の騎士と翔り鳥の姿があった。
「マアルーンさん! ご無事でしたか!」
エレン・エイブンが耳に心地よい低音で、喜びをあらわにマアルーン・ペペッシュの元へと歩んできた。その後ろから、ゆったりとした足取りで、翔り鳥のリーダスと、無類のキマルツバカケ好きもやって来る。
「おう。ふたりとも怪我はねえな。ご苦労さん、よくやってくれた」
ギルドマスターのオウレン自ら現場にやって来るのは、めずらしい。大好きなキマルツバカケを貸し出しているとはいえ、依頼したことはそれを受けた冒険者にゆだねるのが、ギルマスのやり方だからだ。
「ちょっと気になるんでな、来ちまった。疲れてるとこ悪いが、すぐに聞かせてくれ。その背中のやつについて」
エレンが拾っておいてくれたのだろう。マアルーンの片手剣を、オウレンが差し出す。それを受け取り、マアルーンは小脇に抱えていたひよこを、背中の鞘の中身の代わりに差し出した。
「背中のやつもですけど。こっちが重要みたいだよ。この、ひよっこが」
無類のキマルツバカケ好きである。中身はこんなでも受け取らないこともない。
オウレンは、キマルツバカケのひなに身を変えた、勘当された宰相家の子息を両手で受け取った。
水浴びのおかげか、余計にふわふわになったひよこを見つめる。
「まあ、そうだろうな。ほれ」
オウレンが後ろへ、剣聖のひよこを渡した。
「ぴゅぎっ」
ひよこは悲鳴を上げた。ふわふわの羽毛を問答無用で、くちばしでつままれ、キマルツバカケの成鳥が首から下げていたかごの中に押し込められる。
かごのふたが即座に閉められ、そこへご丁寧に、ギルドマスター自ら掛け金を下ろした。
「お前も盗まれたら大変だからな。王都に戻るまでは、ちょっと我慢してろよ」
「ぴきゅぴきゅきゅ!」
かごの中身は飼い主の元へと戻せと抗議の声を上げる。人さらいも同じの扱われ方に不満を持ち、暴れて鳴くひよこに、群れの
「ペペーーー、っぎゅ!」
かごのふたを思いっ切りつつかれた衝撃に、うるさいと評判のひよこも黙る。たぶん、ふたを押し上げようとしたところで、頭にがつんと一撃が加わったのだろう。
「ありがと、リーダス。さすがだね」
「黙れ」を代わってくれたキマルツバカケのリーダスに、マアルーンは呪われしひよこには向けない笑みと会釈でも礼を伝えてから、オウレンをにらみつけた。
自身の背中を指差して。
「これのこと、知ってたんですか? この渓谷にあるって」
柄の悪い愛弟子の刺すような視線に大げさに頭をかきつつ、オウレンは答える。
「いや、お前たちを送り出した後で聞かされたんだよ。クラインバー渓谷ってことはもしかすると、英雄絡みの事件になるかもしれないってな」
受付のフロンランから後で聞かされた話は、オウレンにとっても初耳だった。
剣聖の称号を得る者が現れるまでと、王室に秘蔵されていた至宝の剣は若き日の前宰相に授与された後、幾多の武勲を残してきたが、いつの間にかその姿は失われていた。
聖剣のかつての持ち主とは幾度も言葉を交わしてきたオウレンだが、その腰に武器を下げている姿を見ることは、ほとんどなかったように記憶している。
「お前さんのことは引き受けたが、こっちのひよこのことは俺の担当じゃないからよ。そんなやばいものがこの渓谷にあったなんて、思いもしなかったわ。教えといてくれっての」
気の置けない友人でもある現宰相へ愚痴をこぼしつつ、オウレンは頭をぼさぼさにした手を下ろすと、弟子を見やった。
マアルーンは、澄んだ瞳をまっすぐに向けて来る。可愛げよりも勝気さが映るその青い目に、師匠は己の困り顔を見た。
亡き祖父から冒険者としての心構えを学んだマアルーンに改めて教えることはないが、志望者としてその身柄を請け負うことになったのは、オウレンが冒険者協会の王都本部を預かるギルドマスターでもあるからだ。
国を救った英雄から、尊敬する冒険者の先輩にして師匠から、孫娘を頼むと直々に頭を下げられては断るわけにもいかない。断る理由もない。
頭を下げたその人が亡くなってすぐに、英雄の肩書まで得た少女だ。マアルーンが将来有望な冒険者であることは間違いない。
オウレン・ドレッドはそうしてマアルーン・ペペッシュを、キマルツバカケ好きだけでなく冒険者としての弟子にもしたのだが、師匠だからといって何もかも知っているわけでもなかった。
冒険者としては半人前で終わったと、オウレンはよく話している。愛鳥のため、翔り鳥たちのためにと早々と引退した自分は半端者だと言って、はばからない。
ギルドマスターの職も前任者から押し切られて無理やり任せられてしまっただけで、自身が適任だと思ったこともなかった。
「悪いな。俺も、ここでそんなもんが眠ってるとは本当に知らなかったんだよ。お詫びにお茶とおやつは用意しててくれてるから、そいつで機嫌を直してくれ」
「ぷぎゅくう!」
それでは機嫌を直せないと、かごの中から叫ぶ一羽を無視し、一行はクラインバー渓谷を後に王都へと帰った。
対岸の森からは、マルミミミドリゾウの鳴き声が聞こえる。穏やかに鳴き交わすその声は、今晩の寝床はどこにしようかと相談しているものだ。
ミツリンゴにつられて人間のひと仕事に駆り出されそうになった若いゾウも、その中へいることだろう。
夕刻の水辺に集まるゾウたちのみやげ話には、森のことや美味しい葉っぱの在りかについてが多いのだが、今日は彼の救出劇に、喝采の鼻シャワーが贈られた。
キマルツバカケの踊るような蹴りと、鎧の騎士の、羽交い絞めからの背面落とし。
森の中ではそうそう見られない胸躍る話題に夢中になるのは、ゾウも人も変わらないのである。
国を救った英雄の活躍に、胸をときめかせる者は多い。
だが世に知られたその物語には誰にも明かされていない話もまた多いのだと、この度の聖剣の発見が教えてくれた。
洞窟での出来事を報告し、今回の急な依頼の受領証を受け取ったマアルーン・ペペッシュが、ひよっこ剣聖にとっても重要な、かつての英雄たちと聖剣にまつわる隠された話を聞くことになったのは、それから数日後のことだ。
賊たちの取り調べもあって時間をもらいたいとなったその数日間に、マアルーンが何をしていたかといえば、それは新たな特訓に他ならない。
湖の上をひた走って、途中から水泳。岸辺まで泳ぎ切ったら、湖岸から一気に急斜面となって山まで続く崖をよじ登り、流れ込む渓流の小さな滝から再び水へと飛び込んで、泳いで出発地点に戻る。
その繰り返しを見て、どうしておもしろそうなどと思えたのかは知らないが、湖の別の場所に新たな娯楽施設が出来た。
『あなたも豪脚の英雄体験!』
そんな
水上を何もなしに走るなど出来ない人々が、そこは浮かべた木の橋に内容を変えてはいたが、特別製の遊び場は大人気だ。
船上に設けられた滑り台から湖に飛び込んだり、船側に持ち手を作り付けて壁登りをしたりと、年中水遊びが出来る穏やかな湖へ、大人も子どもも大勢が押し掛けている。
そちらでは人々の歓声が始終にぎわいを生むのに対し、真の特訓の方へと付き合わされるひよこの断末魔が響き渡る対岸は、肝試しにうってつけだと別の評判を呼んでいた。
犬かきならぬ、ひよこかき。遅いとつかまれ、先への湖面と放り投げられる、呪われしひよこ。
くちばしと足を使って、よちよちと斜面を登り、やっと飼い主に追い付いたと思ったら、また遅いと崖の上から水面に放たれ、必死で羽ばたく。
過酷な訓練の途中で、恐怖と怒りでひよこが唐突に上げる鳴き声が、湖岸や森を恐々進む見学者の肝を冷やしていた。
豪脚の英雄マアルーンでしか成しえない過激な特訓は、この先、王国の水辺の催しの定番となりそうだ。
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