13 ひよこの川流れ
ペペッシュ!
賊の一人の叫びに、答えがあった。
「ペペーーーーッシュ!」
「黙れ、ひよっこ!」
叫びと共に天井から飛びかかって来たかたまりに、賊の最後尾にいた男は、背筋を凍らせた。
自分も同じものを叫んでおきながら、意味不明の雄叫びを上げて、小型の魔物が現れたかと思ったのだ。男は正体不明の黄色い魔物を前に、無我夢中で腕を振り回した。
その名をお前ごときが呼ぶなと怒り、自分こそが「ペペーーーーッシュ!」と無駄に叫びながら天井付近の横穴から飛びかかって来たのは、ご存知、呪われしひよこだ。
怒りに任せて行動すると、
ひよこは羽ばたきで身をかわそうとしたのも束の間、男の手の甲に跳ね上げられるようにして、奥へと吹っ飛ばされた。
黄色と薄紺色のふかふかしたかたまりが回りながら飛んで来た別の男も、突然の騒ぎに慌てふためいた。先ほど見かけたキマルツバカケのひな鳥だとは思いもせず、薄暗い中に突如現れたそれを、魔物の名で呼ぶ。
「ケサランパサランだああーーあ!」
幸運の印でもあるという、雪の日の前に空から降って来る無害な魔物を、どうしてここまで恐れなくてはならないのかは男の事情を聞くしかないが、その名は聖剣泥棒たちの恐怖を決定付ける。
確かな魔物の名前を聞いた。それこそがすでにその場に、魔物がいるとの断定になった。
ケサランパサランと叫んだ男が闇雲に振り回した腕に当たり、慌てて洞窟から逃げ出そうとした次の男の眼前へと、ひよこが吹っ飛ぶ。
魔物が出た!
その言葉は町や村に暮らす人はもちろん、旅慣れた者や冒険者にとっても緊急事態発生、身を守る行動を取れの合図だ。だから賊は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
必然的に、その真後ろにいた次の次の男は、無防備にひよこに襲われた。羽ばたいて向かってくる
もちろん、いくら相手が魔物とはいえ、やられっぱなしでは済まさない。顔をひっかかれた男は、ひよこの両脇をつかんで、悲鳴を上げながら後ろへ投げ付けた。
魔物の正体に気付いた五人目は比較的、他の四人よりは冷静に対処した。剣を抜いたのだ。しかし、ひよこへの対応はそれで良かったが、背後の飼い主へ見せるものではなかった。
即座に振り抜かれた蹴りが、男の脇腹を襲う。
「げふうっ!」
洞窟の壁に叩き付けられ、剣を握ったまま崩れるように倒れて、気絶した男は動かなくなった。
放り投げられたひよこはというと、剣を避けようと羽ばたいたことで、蹴りを見舞って左に屈み込んでいたマアルーンの頭上を、勢い余って越えてしまった。
マアルーンの背後から少し離れたそこには、豪脚の蹴りを喰らった衝撃から、ようやく起き上がった三人の賊がいた。
ただし二人は、魔物襲来に正体の確認もせず、ひよこへ背を向けて洞窟の奥へと駆け出したところだった。
残る一人、聖剣泥棒のお頭だけが、飛んでくるひよこがしっかり金貨に見えていたようで、手に入れようと腕を広げた。
密猟者の右手には短剣が握られている。捕まえたら即、それをひよこに突き付けて、今度はマアルーンの背の聖剣も、寄越せと脅す気なのだろう。
「剣聖っ!」
黙れと同じ怒りの口調で、マアルーンがひよこを呼ぶ。宙で身を返したひよこの元へ、マアルーンの片手剣が飛んで来た。
「ぴゅぎいいいいいいいっ!」
刃が飛んでくる驚きと恐怖で鳴きつつも、ひよこの剣聖はその足で、こちらへ向かってくる剣の柄を取った。
剣聖とは、手にした剣を意のままに、時に無意識でも、己の腕と同じく扱える天賦の才である。
手でなく足でも、それは活かせるようだ。ひよっこ剣聖は両足でつかんだ片手剣を軽やかに、その身をふわりと舞うようにしてひるがえすと刃を振った。
短剣が、賊のお頭の手から飛ぶ。あっけにとられたその顔へ、ひよこが着地する。握った片手剣の重みも加わり、真正面で顔に一撃を喰らったら、後は後ろへ倒れるしかない。
濡れた床で足もすべり、聖剣泥棒のお頭は仰向けに倒れた。倒れた勢いで、空っぽの両腕が大きく上へと振られる。
ひよこはお尻をぶたれた。マアルーンの豪脚ほどの威力はない軽いものだ。
だが、賊を倒して悦に入っていたひよっこ剣聖には、油断があった。
「ぴゅぎいーーーー!」
驚いて一声鳴いたひよこは、剣を離し、跳び上がっていた。跳んだ先には、聖剣を失ったただの岩にもたれるようにして、成り行きを呆然と見守っていた残りの二人がいた。
二人は手を伸ばす。
一人は翔り鳥のひな欲しさから。
もう一人は、転んだ時に度の合わない安物の眼鏡を失い、何が顔へと飛んで来ているのか分からず、恐怖から腕を振り上げた。
重なってひよこに向かう二人の腕が同時に、逃げようと身を返したキマルツバカケのひな鳥の、背中に当たった。
「ぴぎゅっ!」
ひよこは飛ばされた。軽い体は水の
「あの馬鹿っ! ふざけんな!」
聖剣を背に悪態をつき、マアルーンは駆ける。
「マアルーンさんっ!」
洞窟を駆けて来るエレン・エイブンの声と、鎧が立てる音が聞こえた。
何があったかを伝えている暇もない。ひよこを追って、マアルーンも、滝へと飛び込んだ。
全身へ叩き付けられる水の重さ。落下は一瞬だ。渓谷の崖下までは、そんなに高さはなかったらしい。
川へ落ちたマアルーンは、すぐに水をかいて浮上した。水面に顔を出す。
ひよこは? いた!
「ぴ、ぴゅ!」
川面に黄色い頭が見えた。流されるひよこを追って、マアルーンは泳ぐ。流れに乗り、身を返して岩を避け、水をかいてすすむ。
「ぴゅぎいーーーぎゅ、ッ!」
先から、ぷつりと途切れた鳴き声がした。
大きく下へと水をかき、上半身を川から出して、マアルーンは、かろうじて先へ見えるひよこを怒鳴りつける。
「鳴くな馬鹿! 溺れる!」
軽くて流されやすいものを泳ぎで追うのは無理だ。川幅が狭い場所に差し掛かり、流れも速くなっている。このままでは追い付けない。
追い付くには!
川の真ん中の岩に向かってマアルーンは流される。そのまま流れに乗る。勢いをつける。マアルーンは仰向けになるように水に浮くと、岩へと足を突き出した。
岩に付いた豪脚を支えに、水の流れの力も借りて体を起こし、川から飛び出す。大きな岩を駆け上がり、向こう側へ走る。もう一度、川へ。水面につけた右足が沈むより早く、左を出す。
左、右、左、右、左、右、左、右っ!
ほら見ろ、走れる!
「この、馬鹿が! やれるって言ったでしょうが!」
速い流れに起こる波をものともせず、マアルーンは豪脚で川面を駆けた。浮き沈みするひよこの幼なじみへ一直線、突き出た岩を跳び越え、水の上を駆け、走る。
特訓の成果だった。
こんなこと出来るはずないと幼なじみに邪魔されて、顔から水に落ちた幼いマアルーンは、それでも諦めずに練習を重ねて来た。こんなに速い流れがあるところでは使ったことがなかったが、今日が一番上手くやれている。
袖を引っ張られ顔から湖にはまった時に、もうひとつのことにマアルーンは気付いていた。泳ぎの練習もしなきゃと。
それにくっ付いて練習というか、水遊びをしていた体の弱い幼なじみは確か、犬かきまでしか出来ないはずだ。
ひよこが犬かきを出来るかは聞いたことない。
川に沈み、ひよこの姿が消えた。少し離れたところへまた、浮き上がる。
流れを読む。
次は……そこだ!
マアルーンは、跳んだ。
豪脚で踏み込まれた水面が、水柱を上げる。吹き上がる白い波に乗るようにして、もう一度跳んだマアルーンの先。
再び川へ引きずり込まれていたひよこが、必死に翼で水をかき、浮き上がって来た。
両手で頭をつかむ。黄色の丸い模様を川面から引っこ抜くようにして持ち上げ、水面を両足で蹴ったマアルーンは、宙へと高々と跳び上がった。
渓谷の岸辺へと、豪脚の英雄は跳躍した。
「この馬鹿! なんでさっさと、逃げ出さなかったのよ!」
聖剣を抜かせた後、洞窟の天井付近の横穴に、ひよこを隠した。そこからそのまま隙をついて洞窟の外へ、ひよこが先に逃げ出すためのおとりになりつつ、マアルーンが聖剣を背に脱出する作戦だった。
八人くらい、余裕でかわせる。
いっぱしの冒険者として経験を積んだマアルーンの推察は正しいはずだったが、それをこの疫病神が、ものの見事に台無しにしてくれた。
びしょびしょで重い上着を脱ぎ、水を絞る。水たまりの真ん中でマアルーンは、また怒鳴った。
「あんた、剣で斬られてたら、どうするつもり? 剣聖が泣くどころか、馬鹿にされんのよ! もう馬鹿だけど!」
ブーツを脱いでひっくり返し、中の水を出したら、逆さまのまま側の石にのせる。明るい黄色をした髪からしずくを滴らせながら、マアルーンは、同じ色の頭をしたひよこをにらみつけた。
溺れかけたひよこは、ぴっちりと張り付いた濡れた羽毛を振るうこともせず、小さな水たまりの中でじっと座っている。ひと回り小さくなった体が震えていた。
深いため息が、岩場とそれを囲む木立に、こだましたようだった。
木漏れ日の中で大きく身を震わせて、ひよこは側に来た飼い主を見上げる。
「まったくもう」
マアルーンは濡れネズミのひよこを抱き上げた。日射しにかざし、持ち上げたひよこを、上下に振る。
「ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴっ!」
細かく上下に振られたひよこは、翼を羽ばたかせ、しずくを四方八方へと飛ばした。マアルーンも顔にかかったしずくと髪から落ちる水滴を、頭を振って落とす。
「よし。ちょっとはマシになったわね」
飼い主は、ひよこを岩の乾いた場所へ下ろしてやる。渓谷の上から差し込む日射しが、ひよこを包んだ。
「火をたかなきゃ。ここから上流まで戻るのに、この足でも結構かかりそう。ちょっと暖まっておかないと、暗がりの中を濡れたまま走ったら体が冷えるのよ」
マアルーンは岩場から林へ入り、枯葉や枝を探した。湿った岸辺で薪を探すのは苦労する。だが手際よく、陽だまりで乾いた枯葉や枯れ枝を集めては、岩の上の日の当たるところへ運んだ。
「あんたは、そこへいなさい。そこから動くな!」
裸足で岸辺をうろつくマアルーンに付いて行こうとした、ひよこが叱られた。ぷうと小さく愚痴ったが、これ以上怒らせてもならないとも思ったようで、飼い主の言い付けを守り、陽だまりに座り込む。
風雨の中も駆ける、翔り鳥のひなだ。水気を飛ばした羽毛は早くも、ほとんど乾き始めていた。ぽかぽかしてきて、眠くなる。
「ぷひゅうううぅ……」
泳ぎ疲れて眠りに落ちる。ひよこが陽だまりでまどろんでいる姿から片時も目を離さずに、マアルーンはすばやく薪を拾っていった。
ヒイロオカンムリワシにさらわれなきゃいいけど。
……中身がふてくされて腐ってるから、食われないか。
手早く拾い集めた枯れ枝を持って戻ったら、マアルーンはずぶ濡れの鞄をひっくり返して中身を全部出し、乱暴に道具の水気を切った。
転がった道具の中から文様が刻まれた赤い小石を取り上げ、それに息を吹きかけると、枯葉の中へ落とす。
魔法石から火が上がった。薪に燃え移ったら、枯れ枝で石を取り出して横によけ、冷ましておく。ずっと火の中へ突っ込んでおいてしまうと、もったいないことに炎の魔法石は燃えてなくなってしまうのだ。
マアルーンはおこした火の側へ服を広げて乾かしながら、うたた寝するひよこを見て、思い出していた。
前にも、こんなことがあったな。
じいちゃんたちが、亡くなった後、だったっけ。
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