12 聖なる剣
洞窟の中はひんやりしていた。濡れたものや、ぬかるみの足跡をたどり、ひよことマアルーンは奥へと進む。
大きな水音が聞こえてくる。近くに滝があるようだ。谷間へと、地下から近付いているのだろう。
「……ここ……間違いな……どうだ?」
水音に混じり、途切れ途切れに声も聞こえてきていた。賊の話すことに耳を傾けつつ、マアルーンは周囲を探った。
飼い主の真似をして辺りを見回す足元のひよこの頭を指でつつき、注目させたらフードを指し示して身を屈め、ひな鳥を中へと乗せる。
奥へと続く洞窟の天井近くにもうひとつ、横穴があった。
そっちへ向かって音もなく、マアルーンが跳ぶ。急な跳び上がりに声を出しかけたひよこだが、浮き上がった体をフードをくわえてこらえたおかげで、黙れと叱られずに済んだ。
押しつぶされたような狭い穴によじのぼり、その中をマアルーンは這った。穴は右へと大きく曲がっている。先に光が見えていた。
フードの中でひよこは身を縮め、黄色い頭が汚れないように、ただでさえあるようには見えない首も引っ込める。
穴の暗がりでクロトゲマルムシたちが丸い体に艶やかなとげが生えた身を丸め、おびえて膨らんだひよこが側を通り過ぎるのを、じっと待っていた。
「……それだ。たぶんな。これで間違いないだろう」
「汚ねえな。ほんとに、これですか、聖剣」
聖剣。
その言葉に、眼下の男たちを視界にとらえたマアルーンだけでなく、フードの中のひよこも、びくりとし、体をさらに縮めた。
マアルーンは少しだけ顔を上げ、横穴から下の空間を見つめる。
壁際に苔むした岩があり、そのてっぺんに何かが突き出ている。苔と土砂のような何かに包まれたそれを、賊が取り囲んで見つめていた。
賊の一人が岩に近寄り、突き出たものに顔を近付けて見ている。興味深げに見つめていた小柄な眼鏡の男は、不意に手を伸ばした。
「やめとけ。余計なものに触るな」
お頭の注意に男が手を引っ込める。水滴が落ちて濡れた眼鏡を、引っ込めた手でぬぐい、さらに汚れたそれをかけながら男は後ろへ下がった。
何かを書き付けた紙切れを懐にねじ込み、賊の頭は腕を組む。
「剣聖にしか抜けないらしい。聖剣ってやつは」
マアルーンの背で、ひよこがぴくりと跳ねた。
驚いて膨らんだ羽を、ひよこに身をやつしたレイゼンスターの若君が静かに元へと戻す。そのままじっと、ひよこはフードの中に座っていた。
剣聖にしか抜けない。
この馬鹿こそ、ひよここそ、剣聖。
こいつと聖剣……このたくらみ、一体なに?
とにかく見つからない方が良さそうだと判断して、マアルーンは息をひそめ、下を見守った。右手の明るくなった方からは落ちていく水の轟音が途切れることなく聞こえてきている。
賊の頭は滝の反対方向、洞窟の入り口と仲間の方へ振り返り、予測を語った。
「やっぱり、最低もう一頭はいるな。この岩に聖剣ってやつが、どんだけ深く刺さってるか分からねえ。このかたまりごと持っていかねえと」
お頭が指図を始めた。ここにいる八人全員で一度外へ出て、二手に分かれてゾウを探す。爆薬で横と下を削り、壁と床から切り離したら、ゾウたちを使って岩を運び出す、という手筈だ。
マルミミミドリゾウは小型のゾウで、
この洞窟にも水を飲んだり、岩壁に含まれる養分を食べに来たりと、中に入るくらいはわけもない。マアルーンも、牙や大きな歯で壁の土をかじり取った跡を、あちこちに見つけていた。
この森に天敵のいないゾウ達は意外と人を怖がらないため、縄に繋ぐことさえ慣れたら、岩を引かせることも可能だろうと連中は考えたらしい。
鎧の騎士エレン・エイブンは今までこの手の保護活動を数多く請け負ってきたと、マアルーンは聞いた。今頃、外でゾウを見張っていた二人は他の三人と同じく、茂みの中にでも押し込まれているはずだ。
それに役立たずの呪われしひよこと違って、キマルツバカケのリーダスもいる。本物の
じゃあ、少し様子を見ても大丈夫かな。
マアルーンは洞窟の入り口へと連れ立って戻って行く賊を見送り、充分、声や足音が聞こえなくなってから、床へと下りた。
天井から滴る水で苔が厚く生えた岩に突き出ているそれは、所々が茶色く、大部分が灰色だった。
水の中の成分で石のように土砂が固まったらしい。茶色のところはさびかと思ったマアルーンだが、よくよく見ると、そこも土が混じった石のようなかたまりだった。
「たしかに、剣の
じっと鼻先まで近付けて、それを見る。その青い目を下へと向けたマアルーンは、命じた。
「抜け」
姫様のご命令である。ひよこは「ぷぴゅ!」と一声、返事はした。
ふたりは見つめ合う。
「いいから、さっさと抜け。ひよっこ剣聖」
ひよっこ呼ばわりされた剣聖は、ひよこの羽毛を膨らませた。ふわふわになった姿にも、姫様の険しい視線は和らがない。
勝手に膨らんだ羽がおびえからもきているものだと気付き、呪われしひよこは慌てて、その身をすぼめた。すーっと音がしそうなほど静かに、黄色と薄い紺色の羽毛を寝かせる。今度はひよこらしからぬ、しゅっとした姿になった。
マアルーンは黙り込み、飼い鳥をただ見つめる。しばしの後、観念したか、元通りのふわふわになったひよこは苔むした岩を、ちょこちょこと上った。
マアルーンは手出しをせず、両の腰に手を当ててながめている。ひよこは深く、ため息をついた。
「ぴゅううううう」
「どうした、剣聖。あんたしか抜けないらしいわよ。腐っても剣聖のはずだよね。レイゼンスターの若君さんよ?」
マアルーンの言葉にまた微かに不服を表して羽を膨らまし、それでも剣を、その柄らしきものを片足で握る。ひよこの剣聖は冷たい石のかたまりに戸惑いつつも、じわりと濡れたそれを握る足に、力を込めた。
バキリと、甲高く音が鳴った。
ひびが、指と爪が触れたところから広がっていく。
「ぴいいいいぃぃーーーー」
ひよこは小さく長い、叫びを漏らした。それは突然のことに驚いて出た悲鳴のようでもあったが、気合を入れ直して自身を鼓舞しているのかもしれなかった。
握ったものにこびりついていた苔や土砂のかけらが、はがれ落ちる。岩に落ち、そこから転がり、かけらは洞窟の床に散らばった。
それらが立てる音が、轟く水の振動の中へ確かに聞こえる。もうすぐ特別なことが起きそうな予感をマアルーンに感じさせた。
そこに、別の音も加わった。
マアルーンは顔を向ける。洞窟の入口へと。
「なんだってんだよ、どうかしたのか?」
入口からだいぶ離れて、ようやく賊の一人が、まったくしゃべらないお頭にたずねた。森へと出たところで何かに勘づいたのか、静かにしろと命じてから、指示もなければ一言も発しない。
洞窟の中へと黙って歩むお頭に付いて、七人の男たちは奥へと戻って来た。いら立ちと困惑で強くなった足音が重なり、洞窟の壁に反響する。
考えがまとまったらしい賊の頭が、やっと声を発する。
「やけに静かだったろ? ひよこの方の三人、あいつらどこまで行ってんだ。あんなのを捕まえるのに遠くまで行く必要があるか?」
そういえば、マルミミミドリゾウを任せた奴らの方も妙に静かだったと、男の一人が思い当たる。洞窟に入る前には、茂みの草を鼻で手繰り寄せる音や、そんなゾウにりんごなどをやって気を引く声がしていたはずだ。
別の男が、前を行くお頭に聞く。
「いや、それでもよ。ここに戻ってどうすんだ。岩を木っ端みじんにしちまうのか?」
「だめだ。そんなことやったら洞窟が」
不意に言葉と足を止め、賊の頭は身構えた。急に立ち止まったお頭につられた男たちも足を止めて、前方をうかがう。
不審な連中を率いる指示役は声をかけた。
「お前、何する気だ?」
たずねた先は、行き止まりになっている。明るい方には滝が流れ、渓谷の切り立った崖の下は川だ。どこへも行けない滝の裏の開けた場所に、マアルーンは立っていた。
不審な連中を前に堂々と逃げも隠れもせず、腰に両手を当てて、岩の側へ立っている。マアルーン・ペペッシュは苔むした岩へ、岩から突き出たものに右手を伸ばした。
「おい!」
お頭が怒鳴る。それでも手を止めることはない。
マアルーンの指先に、八人の男たちの視線が集まる。岩の上には、光を反射するものがのぞいていた。
こびりついていた石や土のかけらが洞窟の床に散らばっている。岩の上に残ったのが、剣の柄だ。銅に光る柄は、さっきまでの汚れた姿とは違い、滝の向こうから差し込む明かりに輝きを返していた。
それをつかむ。岩に刺さった剣の柄を握り、マアルーンは笑みを浮かべた。
洞窟が宮殿に見間違えるような笑みに、突然現れた姫君へ注目を向ける者たちは、すべてを忘れる。一瞬だけ、聖剣泥棒に現実を忘れさせて、マアルーン・ペペッシュは柄を握る腕に力を込めた。
岩に刺さる剣を引っこ抜く。
もうすぐ抜けるところだったのか、剣はわずかにこするような音を立て、まばゆい刀身を現した。切っ先が岩から離れる。片刃の剣は薄明かりを反射して、洞窟の壁に光を投げかけた。
その剣を放り投げる、男たちの元へ。
するどく甲高い音が辺りに響き渡った。
「ほら、さっさと受け取りなさいよ。それさえあればいいんでしょ?」
マアルーンの言葉に男たちは、互いをうかがった。
立ち尽くすお頭の背後で七人の男たちは、この突然の状況に困惑している。抜かれた聖剣に、外の異変。ゾウの出番は無しでも良いらしい。謎のお姫様に持って行けと放り投げられた聖剣へと、男たちは視線を注いだ。
賊の頭は足元から数歩離れた床に転がる剣へと、わずかに目線を落とす。
聖剣の姿など、誰も知らない。どうせ抜けなどしないから岩ごと持って来いと告げられただけだ。岩も運ばなくていいのなら、この剣だけを持って逃げればいい。
だが、違和感があった。その違和感をどこに感じているのか。それを考えていたのが、いけなかった。
「
一喝。お姫様から発せられたとは思えない怒声。洞窟に反響する怒鳴り声に思わず身をこわばらせ、大の男たちが跳び上がりかける。その一瞬を突かれた。
強く踏み込んだマアルーンは、賊の指示役である先頭の男へ、一歩で駆ける。
身を屈め、右手を伸ばして駆け抜けざまに床から剣を拾い、そこから跳び上がったマアルーンの左足が、相手の太ももをえぐる。
「どわあっ!」
豪脚を浴びた賊の頭は悲鳴と共に、奥へと吹っ飛んだ。後ろの連中を巻き込み、床に転がる。
一緒に倒れた二人は受け止めたお頭が痛みに転がり暴れるのに巻き込まれ、慌てて立ち上がろうとしては、濡れた床で足を滑らせて転んだ。
奴らを跳び越え、壁から壁へ。マアルーンは壁を蹴って宙を渡る。豪脚の姫君は、前後に分かれた賊の只中に立った。
その背を見上げた賊の頭は、違和感の正体にやっと気付く。
「それだ! そいつの背の、それが聖剣だ!」
鞘から拳ふたつ分ほど刀身がはみ出した、両刃の剣が背負われている。
その柄はまっすぐで長く、手を覆う細い金属製のガードは付いていない。放り投げられた片手剣の柄とは明らかに違い、岩に刺さっていたかたまりの形と、ほぼ一緒の姿をしていた。
壁を跳び渡って来たマアルーンにたじろいて身を引いた五人のうちの最後尾の男が、目にも留まらぬ蹴りと、お姫様な見た目に、目の前の人物の名を思い出した。
「ペペッシュ! 豪脚の! マアルーン・ペペッシュっ!」
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