9 一時のおやつ




「おい、もう帰って来たのかよ……って、あれ? エレンじゃねえか。よく来たなあ!」



 階段上に姿を現したギルドマスター、オウレン・ドレッドは、マアルーンの背後に見えた大きな影に気付き、笑顔になった。



「ええ、またこちらの方へ用がありましたので。少し顔を見せにと」



 鎧の騎士エレン・エイブンは、顔を見せにと言った割に兜を外さない。

 だがそれが、いつものことのようだ。兜の中身を知っているのかは分からないが、エレンと顔見知りであるフロンランも軽くあいさつを交わしただけで、全身を甲冑で覆った騎士を奥に通した。

 オウレンは受付奥の階上から、王都所属の可愛い弟子でなく、西方域から来た旧知の仲である客を手招きする。



「ほら、上がれよ。お気に入りのお茶、用意するぜ」



 手招きにあずかり、エレン・エイブンも師長の執務室へとマアルーンに続いた。その固い腕には飼い主にはだっこしてもらえない、ふてくされたひよこが乗っている。

 癖のある中身をしたひよこと違って、マアルーンに思う存分なでなでしてもらい、すっかり彼女にもなついたクロヨロイサイのクロウノスは、先にエレンがギルドの裏手の飼育施設へ連れて行っていた。



 飼育場へは何度もキマルツバカケを見に通っているマアルーンも、騎士と子サイに同行した。

 王都の人ごみを歩くためにと頭からかぶせていた防音用の布製の覆いを取ると、クロウノスは柵の中で、顔なじみのキマルツバカケたちに歓迎された。


 ついでに呪われしひよこをマアルーンが仲間に紹介してやったのだが、嫌味な幼なじみはここでも嫌われ者らしく、かけどりたちからは見事に無視されてしまった。

 どうやらキマルツバカケたちもマアルーンに同じく、中身の厄介さに気が付いたようなのだ。

 ひよこであってひよこでない者を、しばらく見つめると彼らはみな無視を決め込む。黄色の丸い模様が乗った紺色の頭をかしげ、燕尾服えんびふくを着こなしたような背を見せて、柵の内へと遠ざかって行ってしまった。



「ははは。そいつは残念だったな。うちのも無視か? あれは結構、面食いなんだが好みと違ったか。まあ、俺には負けるしな。レイゼンスターの若君さんよ」



 キマルツバカケ好きで彼らにも好かれるオウレンの言葉に、エレンもマアルーンも声を出して笑う。ますますふてくされたひよこはソファーのすみっこから飛び降りて、じゅうたんの上をちょこちょこと歩き回った。

 部屋を闇雲に歩き回るのは幼なじみがいじけた時の癖だと思い出したマアルーンだが、今の姿のそれはどう見ても、お腹を空かせてエサを探し回っているようにしか思えない。



「ほら。おやつあるから、これ食べれば?」



 マアルーンが差し出した皿の中身に興味をそそられたか、ひよこはテーブルに近付いて来た。

 エレンがマアルーンから皿を受け取り、ひよこの前へと置いてやる。鎧がたてる鈍い音に若干びくつきつつも、ひよこは皿の中へと頭を向けた。



 途端に、ぎょっとして、ひよこは後ろへ飛び退く。



 皿の中身は、すでにおなじみの、非常食だ。

 今度はやわらかめではなく、固焼きでクッキーに仕立ててある。可愛らしくハートや星、猫や犬の顔の形になってはいるが、茶色の生地に緑の点々はまさしく、昼に吐き出したあれだった。


 イモムシとアブラムシ入りの、あれである。


 ただし、これもまた誠に美味しそうな香ばしい匂いをさせていた。一度その美味しさを知ってしまった手前、ひよこは、あらがいがたい空腹に襲われている。

 虫を食べるか否かでどうしたらいいかと迷い、お腹に関してはすっかりひよこが板に付いてきたレイゼンスターの若君は、部屋の面々へと顔を上げた。



「ぴぎゅっ!」



 ひよこは驚きから、くちばしを開きっぱなしにした。ひなの悲鳴に飼い主が、迷惑そうに目線を寄越す。



「なによ? あんたの分はそこに真っ先に取り分けたじゃない。もう足りないの……って、まだ入ってるけど。もしかして、これは割ってやんなきゃダメだったか?」



 マアルーンは固いクッキーを噛み砕きながら、お行儀悪く、ひよこへ聞いた。

 エレンは兜のあごの辺りから、すばやくクッキーを中へ差し込み、邪魔なはずの装備を脱ぐこともなく器用に、お気に入りだというお茶にも舌鼓を打っている。

 ギルドマスターはさらに手慣れた様子で、重ねて持った二、三枚を一度に口へ放り込んでいた。



「どうした? 若は食ったことないんだっけ? 冒険者なら常備食なんだぜ、これ。ああ、そうか。陛下が買い占めてるんだったわ、これ」



 語りながら豪快に音を立てて噛み砕いたクッキーをお茶で流し込み、オウレンは続ける。



「こいつは栄養のかたまりなんだよ。陛下は民間に委託して製造させたこれを自分で買い占めて、俺らや兵士、医療院とか救済施設、慈愛の家に無償で送り届けてるからな。貴族や金持ちが金を積んでも口には入らないんだったわ」



 それを聞いて、宰相家の元嫡男も思い出したのだろう。ひよこは「ぴゅぴゅぴい」と鳴きながら、ギルマスの話に何度もうなずいていた。



 救済施設は職や家、家族を失った者たちを一時的に預かり、世話をする場所だ。

 慈愛の家は乳児や孤児、老人たちに健やかに暮らしてもらうための、どこの町にもいくつかある家庭的な施設である。

 医療院は医者や治癒術士によって病や怪我を癒し、社会復帰するまでの面倒を見る、重要な所だ。

 冒険者や兵士とその家族も、これらの施設を利用することが多い。ここで世話になった者たちが巣立ち、施設への恩返しと役に立つためにと、試験を通るか採用さえされれば比較的簡単になれる職業である冒険者や兵士、そして医療関係者に志願することも大半だ。



 食べものを好きなだけ買う余裕などない人はもちろん、施設に勤務する職員、冒険者として薬などの素材集めに従事する者たちの体を支えるのが、この非常食であり常備食だ。

 特に日持ちがすると重宝されているのが、おやつにもなる固焼きフィナンシェ、通称ムシムシバーと、ムッキーと呼ばれているクッキーだった。

 他にも、ムーシパイ、ムシップリン、ムッシュークリーム、クロックムッシー、クラムシチャウダー、お好ムシ焼き、茶碗ムシなど、手軽に食せるお菓子や具だくさんの軽食が主に知られている。

 そのまま煮て焼いて揚げて良し、乾燥させて粉にしても良し。イモムシを原材料にした食品は、今ではかなりのメニュー開発が進んでいた。



「オウトドイモムシは、すごい生き物だからな。イモムシのまま、一生を終えるまで成長し続ける化け物だ。その成長速度と力強さ。何千匹に一匹の割合だが、成虫のオオオオゾラアゲハになった時の一度に産む卵の多さで、ものすごい繁殖力をしてるってのは有名だ。この大陸の地上の生き物のほぼすべてが、大小のこいつを捕食することで命をまかなってんじゃないかってやつだからな。しかも、美味い」



 もう一枚、クッキーを口へと放り込み、オウレンは今度はしっかり味わって、そのありがたさを堪能たんのうした。

 代わってエレンが兜越しからでもなぜか分かる穏やかな笑みをたたえて、青ざめてもそうとは分からない黄色のひよこに伝える。



「サトウアブラムシも天然の甘味料としてだけでなく、あちこちの草花から蜜や水分を吸って蓄えた成分で、オウトドイモムシには足りていない栄養素を持っている重要な食材なのですよ。このふたつを合わせることで、完全栄養食が出来上がるんです。あと必要なのは、少々の塩と水をたっぷりですね」



 深く優しい低い声音は、眠気を呼ぶらしい。予定外のお茶を楽しむ意外と暇なギルマスのオウレンは、ひとあくびした。



「そんで。頼んだ仕事、なんか進捗しんちょくがあったか? 釣れたのは、俺のダチだけだったみたいだけど?」









 

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