8 鎧の騎士とひよこ好き

 




「ペペーーッシュ!」



 森の中に、少しかすれた声が響いた。それへ返す、おなじみの言葉はない。



「あたしのよ。こいつを乗用にって、登録も済ませてるから」



 頭からすっぽりとフードをかぶったマアルーンは、腕輪に繋がった紐を思いっ切り引っ張り、全身鎧の騎士に抱かれたそのひよこが、自分のものだと主張する。


 かけどり、キマルツバカケの呪われたひよこにして、宰相家から勘当されし若君は「ぴぎゅ!」と詰まった鳴き声を上げた。

 首輪が引っ張られ、ひよこは甲冑の固い腕の中で、がくりと首を折る。しかし、すぐにその顔を上げ、くちばしを思いっ切り開いて、いつもの叫びをまた飼い主に聞かせた。


 今度はさらに、大きな声で。



「ペペーーーーーーッシュ!」


「呼ぶな、馬鹿が!」



 マアルーンの制止もむなしく、全身鎧の騎士にも、さすがにしっかり聞こえてしまったらしい。騎士は「ペペッシュ?」と、兜の下で小さく唱えた。


 かつんと鎧を、ひよこがつつく。その名をお前ごときが呼ぶなの抗議は、誰にも聞き届けてもらえなかった。

 金属の鎧をひよこのくちばしがつついたところで、騎士の痛手になるはずもない。



「さっさと放しなさいな。だいたい首輪が付いてる時点で、それが誰かの所有物だってことぐらい、わかるでしょ?」



 マアルーンの親切な指摘にも甲冑の騎士は、ひよこを抱えた腕を緩めようとはしない。むしろ何かを怪しんでいるのか、首を微かにかしげ、腕に力を込めた。


「ぴぃ! ぴゅぎい! ぴー!」


 首輪を引っ張られ、ひよこが叫び、むさくるしい甲冑の腕から逃れようと頭を振る。首輪から繋がった銀色の細い紐が大きく揺れるのを、騎士は見つめた。




「レイゼンスター」




 予想外の一言に、マアルーンも当のレイゼンスターも、動きを止める。




「まさかですが……これがうわさの、銀嶺ぎんれいの君なのですか?」




 問いかけに答えはなかった。予想外の指摘に、マアルーンもひよこも、動きを止めたまま微動だにしない。

 ふたりの注目を一身に集めた全身鎧の騎士は、ひよこを優しくあやすように持ち上げると、高い高いの、高いの姿勢で掲げて言った。



「なるほど。オウレン殿がよく、銀嶺の君やマアルーンさんのことをお話になるはずですね。レイゼンスターの若君は、キマルツバカケのひなであったのですか」



 低い声で穏やかに話す鎧の騎士は、どこをどう納得したのか、ひよこをそっと、飼い主に返した。マアルーンの両手に乗った、ひよこになった人へと語りかける。



「レイゼンスターの若君は変わった方だとは話に聞きましたが、キマルツバケのひよこに姿を変えるとは、また、思い切ったことをなさいますね」



 兜の中で小さく笑うのが、金属をへだてていても分かる。

 馬鹿にされているのだと判断し、マアルーンの手の中で、ひよこは羽毛をふくらませて翼を広げ、騎士へと飛びかかろうとした。


 それを飼い主が下へと放り投げる。


「ぷぎゅむ!」


 マアルーンは、紐と首輪で危うく首を絞められかけた、絞首刑寸前の幼なじみを無視して、話を再開させた。



「あなた、うちのギルマスと知り合い? っていうか、もしかして、保護活動の仲間とか?」



 答えようとした鎧の騎士の背後から、やぶを揺らす音が上がった。



 そちらに青い瞳を向けたマアルーンは、息をのんだ。すぐにその顔は、花が咲いたかのような笑みをたたえる。

 無邪気な姫君の笑みへとうなずくと、鎧の騎士は口元に人差し指をあて、静かにと忠告した。そして藪へと振り向き、声をかける。



「さあ、おいで。クロウノス。ここは安全ですよ、いらっしゃい」



 呼びかける低い声に安心したのか、ぶるると鼻息が答えた。



 藪を押しのけるようにして、そこへ現れたのは、クロヨロイサイの子どもだ。

 子どもとはいっても、もうすでに小型の馬、いや、若い雄牛ほどはある。ふるると鼻で鳴きながら、かけけものの子どもは親代わりの騎士の元へと歩み寄った。


 ひよこはその迫力に震え、マアルーンの足にすがり付いて隠れている。ふわふわにふくらんだ羽毛が長靴の両脇からのぞいていた。

 ひよこが思わず隠れるほどのクロヨロイサイの子の体躯と堂々たる足運びからでは想像が付かないくらい、草を踏む足音は静かだ。ゆったりと動かした太い足が、鎧の具足にぴたりと寄り添う。



「まずは手を出して、匂いをかがせて上げてください。安心しますから。それからなら、頭や背中はなでても大丈夫ですよ」



 鎧の騎士が他の誰かと自分の話をしているのを分かったのだろう。子どもの内は視力が弱く臆病なクロヨロイサイの子、クロウノスは、騎士の側にそっと立ち止まったまま、少しだけ鼻を上げた。



 わざと微かに音を立てフードを取ったマアルーンは、サイの子どもの側へと歩む。歩みながら、生まれて初めてこの目にした、クロヨロイサイの子を見つめた。



 鼻先と体の両脇には小さく、角と、それによく似た突起が生えかけている。王都の家の花だんでよく見かける、兵隊ラッパスイセンの花のような形をした大きな耳が、くるりと動いた。水色のつぶらな瞳は、その澄んだ光までもがマアルーンのそれに似ている。

 黒みをおびた体を覆う、見るからに固そうな皮膚。それとは反対に、やわらかくなめらかな湿った鼻先。サイの子は、ほんのりとした桃色が愛らしいそのやわらかな鼻で、穏やかな森の香りを楽しんでいるように空気を吸った。



 王国の西方の森と草原地帯に暮らす、この国最大の陸上動物は、地域の象徴として旗にもその姿が掲げられている。

 堂々たる巨体とそれだけで甲冑のごとき皮膚に、さらに武骨な鎧をまとった姿は、有能な騎兵の象徴でもあるのだ。


 そんなクロヨロイサイに実際に騎乗出来る者は限られていた。翔り獣として知られているが、とても臆病で、信頼した者以外には心を開かないからだ。

 背中に乗るだけでなく、サイが特に警戒する背後を預かることが出来る者は、片手に余るほどしかいないのではなかっただろうか。

 ましてやその子どもに、こうして触れる機会を得るなど、さらに希少な体験であることは間違いない。貴族はもちろん王族であったとて、おいそれと許されるものではないのだ。



 こんなにめずらしい子に、この王都の森で出会うことが出来るなんて思わなかった!



 最高の体験を目の前にして笑顔がやめられないマアルーンが、そっと差し出した手を一息匂い、クロヨロイサイの子は鼻をそのまま、ぴとりと手のひらへなすりつけた。



「わあ、かわいい。くすぐったい!」



 マアルーンが驚かさないようにひそやかな声で喜んで笑うと、クロウノスもふるふると、鼻息で笑うように音を立てた。マアルーンが鼻から頭へとなでてやると、ふるるんと甘えた声を上げる。

 保護者の騎士も兜の下で笑顔でいるようだ。一段明るくなった低い声が、マアルーンと我が子に告げる。 



「すっかり、マアルーンさんがお気に入りの様子ですね。こんなにすぐに人に馴れるなんて初めてです。良かったですね、クロウノス。こんなに可愛らしい、お友達が出来て」



 話しながら籠手こてをはめた分厚い革の手袋で、クロウノスの背をなでてやる。

 さすがに親代わりのなで方は心得たものらしい。サイの子は自分と同じ色味の鎧で身を固めた騎士の手に寄りかかるようにして、体を押し付けた。


 穏やかな木漏れ日と、さわやかな風に包まれた平和な森の光景。

 なでる方もなでられる方も至福の時間を過ごす足元で、ひとり取り残された呪われしひよこが、かなり不満げに、誰もなでてくれない羽毛を膨らませていた。








 

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