7 思い出のサンドイッチ
「ねえ、ねえってば。聞こえてる?」
急に物語の世界から引きもどされ、目の前の現実に追いついていけない。本から上げた顔を、まん前から、女の子が見つめていた。
お姫さま? 本の中から来た?
ひざの上の本と目の前を、何度も行ったり来たりする。
お月さま色の髪。泉みたいな青い瞳。まつげばしばし、にっこりの口。
あ、知っている子だ! この子のこと、知ってる。
父上の元配下が連れて、おじい様のところへよく遊びにくる子だった。
お前もいっしょにと、おじい様に何度かさそわれたが、断った。
引退した元家来の老人は、おじい様の親友であるそうだが、言葉は乱暴だし、態度も横暴だ。
おじい様とおんなじなのに、めずらしい色だと、がしがし頭をなでるし、ちびでやせっぽっちではいかんぞと叱られて、あんまり良い思い出がない。
だからほとんど話したことはなかった、この子とは。
というか、他のだれとでも。
「ねえ、あっちでごはん食べないの? だから、やせっぽっちなの?」
ほら、この子も同じだ。あの人の孫なだけある。
「君、好き嫌い多いって、じいちゃんに聞いたなあ。あたしも嫌い。トビサンマのお腹、にがいもん」
あんなもの食べるのか? お腹もって、正気か?
「あ、パン好き? あまいのあげるよ。いる?」
女の子は左手に持っていた白い丸パンを差し出す。雑に半分にしたパンの中から、ナッツクリームとミルククリーム、白ぶどうジャムがはみ出ていた。
どれだけ詰めるんだ。パンも一番大きいやつ持ってきてるし。
「いらない。そんなの、いつも食べてる」
「むう。ぜいたく。これだから、ぼっちゃんはー」
ぶつぶつ言いながら女の子は、自分の右手を見やった。
「そうだ。こっちなら食べる? 絶対おいしいよ! あたしのとくせいだもん」
差し出された右手にもパンがつかまれている。
こっちも雑に切り開かれた、こんがりとした丸パンに、ぶあついハムとなにかのお皿の付け合わせだったらしい野菜がいろいろ、揚げ物用のさわやかなジュレがはさまれていた。その奥には、たまごのソースがたっぷり混ぜられたマッシュポテトが見える。
この組み合わせ、別々にお皿にのってることはあっても、一度に全部は意外と見たことない。
じっと、そっちを見つめていると、ひとくちかじられたサンドイッチが、ぐいと鼻先に突き出された。
「はい、どうぞ。あたしは、こっち食べるんだ」
食べかけ? ひどくないか。
女の子にサンドイッチを持たされる。ひざの上に広げた本が汚れてはこまる。両手が使えないので、ひざを合わせて、無作法に本を閉じた。
ごめんなさい、本と物語の神様。
「んんーーーー! うまいっ! おいしいっ!」
ベンチのとなりに許可もなくすわった女の子はすでに、あまいものをぬりたくった白い丸パンをかじっていた。大口を開けてほおばり、にこにこしている。
仕方ない。ひとくち味見してやろう。
においにさそわれたわけじゃない。本に夢中でお昼をわすれていたせいだ。そこに食べものが来た、それだけ。
かじられてないところをかじった。
「ね? おいしいでしょ?」
感想をもとめられて、女の子の顔を見る。
……なんで、そんな、笑顔? なんで、ぼくに、笑顔……。
わけがわからない。ぼくが、なにかしたか?
わかんないけど、うなずく、二度、三度。口に入っている時は、話してはだめだと言われているからだ。
まだ笑顔だ。にこにこっとしたまま、ぼくを見ている。
なんでだろう。返事が足りない?
とにかくうなずく。たしかにおいしい。とくべつせいだからな。
女の子も、やっとうなずいた。
「よかったー。好きになってくれると、うれしいなあ」
うん、うん。
目をはなせない。うんうんと笑顔へ、何度もうなずく。
「お腹いっぱいだと、うれしいもんね!」
もくもくと、またパンを食べ始めた女の子につられ、サンドイッチをどんどんかじる。
こんなにいっぱい、一度に食べたのは初めてかも。たしかに、うれしい。お腹いっぱいだと……この子といると。
「あら! こちらにいらっしゃったんですね、ペペッシュのお嬢様!」
侍女が庭のすみのお気に入りのここに現れ、ちょうど食べ終わった、ぼくらの方へ駆けよってきた。
「お探ししてましたのよ、大旦那様に、ペペッシュ様が」
「じっ、じゃなかった、おじいちゃ、じゃない。おじいさまと、ギンおじいさまも? もう! 二人ともすぐ、かけっこさせたがるんだから! 食べてすぐは無理!」
文句を言いながらも女の子はベンチから立った。ふわふわのスカートをはたく。パンくずが、しばふに落っこちた。
「今日は、とくべつ。アリさんに、おすそわけね」
侍女が「かわいい!」と声を上げた。くすくすと笑い、それを、きょとんとして見上げている女の子に話す。
「大旦那様が聞いていらしたら、絵に描かせて永久に残したいとおっしゃっていたところでしたわ。今のお姿と、お言葉」
おじい様、ほんとうに、この子が好きだな。
「おぼっちゃまも、奥様とお客様たちがお探しですよ。ご本を読まれるのでしたら、また後にと伝えますが?」
お腹いっぱいだし、いまはここから離れたくない。せっかく、いい気分なのに。
だまってうなずくと侍女は「ではまた後で、お迎えに上がります」と一礼して、女の子を連れて、広間へともどって行く。
「まったねーーーー!」
ペペッシュのおじょうさまは、手をふって、生けがきの向こうに去って行った。
また来るらしい、ここに。
いつもと違う白いドレスに、おろしてふわふわに仕立てた、きれいな髪。お姫さまみたいだな、この本の。
ひざの上の本を見る。黒い表紙には白いインクで、すごくきれいな、お姫さまの絵が描かれていた。
そういえば、この本。おじい様が買ってきてくれたんだっけ。
よろこぶよな、おじい様。だって、いつも言ってるもんな。
「ペペッシュの。わたしにくれぬかな? マアルーンのお嬢を孫の花よめに」って。
ぼくに、って。
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