4 試合か果たし合い




 するどい一撃で、マアルーンの体は吹っ飛んだ。



 対戦相手の重い一閃を、かろうじて受け止められたマアルーンの剣が、しびれた指先から離れる。石の床に硬い木の剣が落ちた音が闘技場に、無情にも響いた。

 これまでの激しい攻防でマアルーンの握力はなくなっていた。これでもう一度剣を握っても、次は軽い一撃だけで同じことになってしまう。



 だが、まだ、負けではない。

「剣を使え」など、剣聖の方が有利になるに決まっている条件を出すような、卑怯者に負けるわけにはいかない。




「いい加減、降参したらどうだ、ペペッシュ?」




 余裕たっぷりな冷ややかな声が、マアルーンに告げる。




 まだ、負けじゃない。なぜなら、この試合は……。




 剣を落としたまま地に伏せていたマアルーンは、わずかに体を起こすと、一歩踏み込み、駆け出した。


 まるで、キマルツバカケの低空飛行のよう。胸が地面に付きそうな低い姿勢での走りから一挙に身を起こし、可憐な少女が飛び上がる。祖父譲りの豪脚は、マアルーンを一瞬で宙へ運んだ。



 武器を捨てての起死回生の動きに、誰もがあっけにとられた。

 特に、勝敗は決したものと思っていた幼なじみは呆然と、背中に翼でも生えたかのように天に舞うマアルーンを見上げる。

 彼女が起こした風に、先ほどの一閃で切り結んだ時に受けたのか、束ねた紐が切れて自由になった、銀嶺ぎんれいの君の銀の髪がなびいた。



 我に返り、剣聖は斜め下から摸擬刀を振う。だが、もう遅かった。

 刃が届く範囲の外、それこそを避けて飛び上がった天使はすでに身を返し、跳んだ勢いそのままに、幼なじみの長い腕より内、ふところに到達していた。



 するどく力強いマアルーンの蹴りが容赦なく左肩をえぐり、首筋を打つ。

 ペペッシュの背を抜かしてやったと数年前にほざいていた、レイゼンスターの若君の立派な体躯が見るも無残に、銀色の髪をひらめかせながら城内の石壁へ吹っ飛んでいった。




 そう、この手合わせは、場外に出た方が負けなのだ。




 壁に打ち付けられ、床に落ち、四角く囲った線の外に転がり、幼なじみはみじろきもしない。

 しかし、それをまったく気にする素振りも見せず、マアルーン・ペペッシュは闘技場の観覧席へ堂々と顔を上げ、宣言した。



「場外です。あたしの勝ちですよね? 手加減無用は、あいつのめい。責められるいわれはないはず」



 臆することなく見つめてくるマアルーンの澄んだ瞳から視線をそらし、レイゼンスター家の当主セレンは、闘技場の端を見やる。鍛え抜かれた豪脚で息子を討ち取った配下の令嬢の査定を目くばせと微笑みで、階下に立つ友に頼んだ。

 オウレンも宰相へ目を上げ、うなずき返す。冒険者協会の責任者はマアルーン・ペペッシュへ、試験結果を告げた。



「ああ、もちろん合格だ。このくらいの思いっ切りがなきゃ、冒険者なんか務まるか」




「い、よっしゃあーーーー! やったああああああぁぁぁぁ!」




 力の入らなかったはずの拳を強く握り、雄叫びと共にマアルーンが跳び上がる。

 およそ貴族の令嬢にはふさわしからぬ姿だったが、この勝気で柄が悪いのに可憐な娘が冒険者になることへはもう、誰も反対しなかった。



 頑固に反対し続けていた奴は、床に転がったまま皆に放置され、意識もない。当然、なんやかんやと理屈をこねて彼の幼なじみをこれ以上、不当に引き止めることも出来なかった。


 疫病神が寝ている間に、これ以上ないほど速やかに、事は動いた。


 見守っていた立会人たちも拍手を贈って、マアルーンの冒険者特別採用試験の合格と旅立ちを祝福する。

 ペペッシュ家の家長でマアルーンの父が、深くため息を吐いた。残念だという意味ではない。肩の荷が降りた、その安堵に尽きるのだ。

 夫の楽になった肩を妻が叩き、娘の好物を詰めた弁当の包みを持ち上げて見せる。夫婦は互いへうなずくと、娘の旅立ちを外まで見送るため、席を立った。



 それこそ翼でもあったかのように、晴れて自由となったマアルーン・ペペッシュはこの日、家族へ別れを告げ、お弁当片手にすぐにも冒険へ出掛けた。

 さっそく初心者向けの依頼を受注し、冒険者としての最初の仕事をやり遂げに、王都近郊の森へと向かったのだ。


 休憩に開いたお弁当の中身は、祖父の好物でもあった玉ねぎとたまごのトーストサンドに、マアルーンが大好きだからと、ここぞというお祝いの時に作ってくれる白ぶどうのジャムとミルククリームのサンドイッチ。

 実はこのふたつが、好き嫌いが多い中でも数少ない好きな食べ物であるという偏食の幼なじみのことが、ちらりとマアルーンの頭に浮かんだが、サンドイッチを先にひとつ食べ切ったところで、それもすっかり、きれいさっぱり消え去った。



 これでようやく、王都の外へと出られる!



 そんな新米冒険者の心情を映したかのような晴れやかな空の下、真に軽やかな足取りのおかげで、依頼はあっという間に済んだ。袋にそれぞれ六つ分という大量の薬草採取が課せられていたにも関わらず、最初の依頼は数時間も経たずに完了したのだった。



 マアルーンは、旅立った。

 祖父の親友で赤ん坊の時から可愛がってくれた大好きな恩人の孫ではあっても、今のマアルーンには何の思い入れもない疫病神である。別れのあいさつをするはずもなければ、自身の蹴りで気絶させても、それを見舞うどころか目覚めを待つこともない。

 結局、悪夢にうなされて銀嶺の君が目覚めた時には、マアルーン・ペペッシュは遠いところへ、王国の端の寒村まで、豪脚で駆けって行った後だった。





 そこから二年。ほぼ会うこともなかった。

 森の中で再会し、おなじみだったやり取りを二年ぶりに交わしたと思ったら、嫌味な相手は呪われて、ひよこになっていると来ている。



 こいつ。どこまで迷惑かけるつもり?



 こちらに薄い紺色の背を向けるひよこをにらんで、マアルーンは足を組んだ。組んだ足先をぶらぶらと、いら立って振っている。今にもブーツのつま先で、ひよこを天井へ蹴り上げそうだ。



 さっさと呪いを解く方法でも探して、家へ送り届けて、迷惑だろうけど親に引き取ってもらわねば!



 ソファーに転がったまま、ふて寝を決め込むひよこをマアルーンがにらみつけている間にも、事態は着実に、彼女の意図しない方へと動いていた。


 嫌味で最悪なレイゼンスターの若君に、ひよこになる呪いをかけた犯人は彼女のすぐ側、そう遠く離れていないところへいたからだ。








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