2 ひよこと豪脚





 森は穏やかで、魔物の魔の字もなかった。あるのは薬草水の素材であるつたの花ととげ、ひらひらとそよ風に葉を揺らす草むらだ。


 採取依頼を繰り返し受けてきた数多あまたの冒険者たちが各地の群生地から持ち帰った薬草の種や根を、王都への道のりで落とすことによって、森は今の姿になったのだと伝えられている。

 人の手によって作られた豊かな森には、蝶々たちが優美に行き交っていた。



「この頃、初心者向け依頼、受けるやつ少ないのかな? さっきから誰も見ないんだけど」



 人影の絶えた森に不審なものを感じ、マアルーンは周囲を警戒する。穏やかな森を満たすのは草の香りと、さわやかな風。いつもと変わりない光景だ。



「無限に生えて来るから、結構在庫が増えちゃってるのかも。この依頼も袋一個ずつとか、前に比べたら量少ないし」



 結局、異変は見つからなかった。変わったことといえば、マアルーンの後ろへ呪われたひよこが「ぴゅうぴい」と何やら文句を言いながら、付いて来ていることぐらいである。


 冒険初心者用の採取依頼の多くが安全に達成できるという、誠に平和な森を抜け、ふたりは王都の下町に出た。

 マアルーンは小高い丘の上に建つ王城を見上げる。王都の端の下町の入口の、交易者も多いにぎやかな広場に立ち、背後の幼なじみに忠告した。



「ここは少し物騒なことも多いから、気を付けなさいよ。あんたなんかすぐに」


「ぴぎぃーーーーーーーー!」


「言った端からさらわれたーー! 待ちなっ、置き引き!」




 あたしから逃げられると思ってんの?




 ひよこを抱えて走る輩へ、一歩駆け出したマアルーンが一気に追い付く。その加速は周囲に風を巻き起こした。


 男の上着を背後からつかんで、かかとで急ブレーキをかける。マアルーンにつかまれた男は背中を引かれ、仰向けになった。急に止まって転んだ勢いで、置き引き犯は後頭部をしたたかに石畳で打った。


 騒ぎを聞きつけた警護兵たちや他の冒険者連中が駆け付けて来る。地面に投げ出された男の手から逃れたひよこは、ぴぴぴと鳴きながら小さな翼で、マアルーンの足にすがりついた。



 必死なひよこがしがみつくその足がマアルーンの持ち味で、祖父が取り立てられた一級品の能力、豪脚ごうきゃくだ。



「ぺぺーッシュ……」


「呼ぶな」



 ひよこのなつき方を見れば飼い主は明らかだと、立っているのもままならない男は、すぐに連行されて行った。

「置き引き常習者だと見受けられますね」と話した警護兵は、我らが英雄に敬礼して立ち去る。冒険者仲間たちは口々に「さすがマアルーンだ!」とほめたたえた。


 捕り物を見世物代わりに楽しみ、観客たちは去って行く。旅行者以外の住民たちは、この可憐な姫君にしか見えない彼女が資格取り立ての頃から誰よりもそれに相応しい仕事をしている、いっぱしの冒険者であると知っていた。


 知らないのは、豪脚と名高いブーツの足にすがりつく、ひよこの中身くらいである。



「いつまでそこにいるつもり?」


「ぴぺえ……」



 さらわれかけたのが無神経な中身にも、さすがにこたえたか。ひよこは足から降りる気配がない。

 確かに、このまま後ろを付いて歩かせるのも危ない。されど、いくら姿は可愛らしいひよこでも、中身は嫌味な幼なじみなのだ。



 だっこしてやるというのも、ちょっと。



 という訳で、マアルーンはそのまま、ひよこを足に乗せておいてやることにした。



「いい? あんた、そこから離れるんじゃないわよ。次にさらわれるようなことがあったらそのお尻、思いっ切り蹴って飛ばして、助けることにするからね?」


「ぴゅぴぃーーーー!」



 豪脚の威力のことはご存じなのだろう。ひよこは恐怖で羽毛を膨らませて、か細い声で鳴き叫ぶ。



「うるさいな、黙れって。あんたのその声、可愛いひな鳥には似合わないのよ。そこから降ろされたいの?」


「ぴゅう……」



 情けなく鳴いてすがりつくひよこを足に乗せたまま、マアルーンは冒険者協会の本部、ただ単にギルドと呼ばれる建物を目指した。

 赤茶けた瓦屋根の町並みの向こうには丘。お堀に囲まれた丘の上の白亜の城は、王都であればどこへいても見える格好の目印だ。

 もうひとつの目印、お城と同じような石で出来た白い建物を目指して、商店や露店が並ぶ通りを抜け、ひよこを左足に乗せて、マアルーンは慣れた道を進んだ。


 いつもなら軽い駆け足でさっさと通り抜ける道を、豪脚が歩んで行く。しかし、豪脚の見せ場は再び、すぐにもめぐってきた。


 ひよこよりも遥かに重い、水が詰まった小型の樽をも軽々と蹴り上げるくらい、英雄には余裕だ。マアルーンは前方の人ごみを見て、そちらへ手を振り、声を掛けた。



「それ、あたしに任せて! せーーーーのっ!」



 マアルーンが空いた足で屋台の軒先から蹴った水樽は、幌馬車の荷台から上がった炎の中に飛び込んだ。樽が割れ、水が飛び散り、不注意でつけっぱなしにしていたランプの炎が幌に燃え移った小火ぼやを、一撃で消火する。


 消火と野次馬で集まっていた街の人たちから、歓声が上がった。

 馬車の持ち主が「通りがかっただけだから樽の弁償でもして」と、お礼も受け取らずに去り行くマアルーンを見送る。ありがとうと何度も叫びながら手を振る彼の涙目には、マアルーンの背に天使の翼が見えるようだった。


「マアルーンちゃんって、ほんと、天使だなあ。足癖とがらは悪いけど」


 小火騒ぎの主役と同じことを思った見物人からの感嘆と、それへの賛同の声は、天使のお耳に入らないように小声でなされた。

 見物客たちにも知れ渡っている豪脚に、この二年で磨きがかかっているのは明らかだ。




 それは、緊急の依頼で、無法者の追跡に参加した時のことだ。


 人質を取られて武器を手離さざる負えなかったマアルーンも売り飛ばそうとでも思ったか、ならず者に重い鉄球付きの足枷あしかせをはめられたことがあった。

 だが、そんなものでマアルーン・ペペッシュを止めることは出来ない。鉄球を蹴り上げてぶん回し、無法者たちをまとめて吹っ飛ばしてやった。


 もちろん、天下に名の知れた豪脚ならば、速く遠く駆け続けることもたやすい。

 馬に乗って逃げた無法者の親玉を、足に鉄球を付けたまま追って、鞍から思いっ切り蹴り落としてやったのも、マアルーンの記憶に新しい冒険での一幕である。




 そんなマアルーンの武勇伝は、冒険者として旅立つ前から有名だった。

 なにしろ、あの豪脚の持ち主である。英雄の孫にして、その力を祖父から受け継いだ、国で唯一の存在だ。



 豪脚の力を伝説に押し上げ、名を馳せたのがマアルーンの祖父、カラド・ペペッシュだった。

 諜報や伝達で国王軍を内外の敵から守り、幾多の武勲を立てたことで知られている。孫娘を後継者にと鍛え上げたのも、この人だ。

 そして、宰相家で初の剣聖けんせいの能力をいただいたギンレグン・レイゼンスターと盟友でもあり、彼と共に若き日から国の英雄として活躍した凄腕の冒険者でもあった人である。

 並んで建てられた二人の英雄の像は、王城に至る門前の広場で今日も人々を見守っていた。



 彫像になるほどの祖父に見込まれ、生まれて間もない頃から子守りや遊び相手だと称して特訓を受けて育ったのが、マアルーン・ペペッシュだった。

 わくわくするような旅の話を聞かされて育ち、祖父のような冒険者になるんだと夢を抱いて大きくなったマアルーンに、いくら容姿はそうであれ、お姫様扱いは不要である。

 もちろん、天使扱いも禁止だ。そんなことをしたら天使に悪いとは、娘の性格と祖父譲りの柄の悪さをよく知っている、マアルーンの父の言葉である。



「あ、家に顔出すの忘れてた。まあいいか。面倒だし、後でどうせ帰るし、依頼の報告の方が大事だし」



 鉄球よりも遥かに軽いせいか、足の上に乗ったひよこのことを忘れているらしい。

 呪われし幼なじみはつぶらな瞳でマアルーンを見上げ、ぴーぴーと鳴いて存在を訴え、無視されている状況を地団駄を踏んで抗議する。ブーツの甲を、尖った爪が一丁前に生えた両足で、かつかつと踏んだ。



「なに? 蹴られるのが嫌なら、剣でつつこうか、剣聖さんよ?」



「ぴゅぎ!」とひと鳴きして、おびえたひよこは、豪脚のかかと側にすがり付いた。

 そうして蹴り飛ばされないように身を守りながら、半分閉じた瞳をマアルーンの背に向ける。マアルーンからは見えないのをいいことに、ひよこの剣聖は豪脚の英雄を小馬鹿にしているようだ。



 冒険者らしく片刃の剣を背負ってはいるが、マアルーンが稼業で必要としているのは、この、自慢の脚だ。



 のろまな俊足。

 ペペッシュとは古代文明語で、そういう意味であるらしい。



 何を思って、おじいちゃんがこれを貴族名に選んだのかは知らないが、日々精進だと己におごることのなかった祖父らしくもあると、マアルーンは思っていた。



 それを、こいつには呼ばせたくない。



 マアルーン・ペペッシュが、事あるごとに家族名を闇雲に叫ぶ幼なじみをその都度怒鳴るのは、そんな理由だ。

 やたらに騒いでその名を叫ぶのが特徴の幼なじみが、また鳴き出さない内にとマアルーンは先を急ぐ。それでも一応、ひな鳥が振り落とさないようにと早足程度にとどめてやっている、いつもと違ったマアルーンの姿は、いつも以上に目立っていた。


 可愛いものが可愛いものを足にくっ付けて歩んでいるのだ。これが目に留まらないはずはない。




「やだ! あれ、すっごくカワイイっ!」




 レース編みの模様を金のペンキで塗装した紫の看板の下で、お姉さま方が嬉々として声を上げる。真ん中の、一際背の高い紫のドレスのマダムが、歓喜の雄叫びを上げた。



「浮かんできたわ! 新作の、お守り装備のアイディアが!」



 ごつい両手を握りしめ、頬を染める店主の言葉に、一緒に見物に出て来たお針子たちが拍手を贈る。

 リボンやフリルで飾った、おしゃれ着用のメイド服を着込んだ可愛らしい姿で接客を担当する店員は、店主に満面の笑みを向けた。ここ最近では見ない店主の生き生きとした笑顔に、満足げにうなずく。

 店員は、すかさず店主に画帳とペンを渡した。



「もうすでに売り切れ完売の予感しかしません! すぐ準備にかかりましょう!」



 可愛らしさが正義、それこそが富。


 見た目と違って実用的な格言を糧に生きている店員は、跡継ぎの趣味全開で改装された紫づくしの店の様子に離れてしまった常連のこともあり、売り上げが低迷している職場の起死回生をこの時、確信した。

 店員やお針子たちが師匠と認めた店主の技術は確かでも、店の経営は火の車だ。

 夢見る乙女の心が勝り、観劇や食べ歩き、無計画な資材の調達で散財してしまうという生活面の危うさが店主の弱点であり魅力でもあったが、生きるためには稼がねばならない。


 マアルーンとひよこの可愛らしさに天啓を見た刺しゅう店の者たちは、可愛らしいもので世界を埋め尽くしたいという野望の元、一致団結と互いを鼓舞した。



「えいえい、おおおおーーーーぉぉ!」



 野太い気合の掛け声が通りに響く。

 雄叫びに動揺する人たちには目もくれず、お針子たちが店の奥の工房へと駆ける。店主は紫のドレスと同じ色に染めた豊かな髪をなびかせ、画帳に何やら描き込みながら、お針子たちの後を追った。



 かくして、防御や身体強化、護符の役目を担う魔法陣を始めとする図形を刺しゅうとして刻み付けた、冒険者用の高級装備品を制作するこの店は王都一、否、王国とその外に評判をとどろかせることになる。

 腕や足に巻き付けておく刺しゅう帯に、ひよこや猫、犬、うさぎなどのぬいぐるみを付属させる、おしゃれで可愛い新作の装備品は店員の予言通り、飛ぶように売れた。



 幸運の護符は元から、冒険者と一般人の双方に昔も今も人気があったが、恋愛成就のおまじないを高価な手仕事で可愛らしく刺しゅうする商品のことが広まると、そちらが爆発的に注文を集めるようになった。

 刺しゅう部分も一見すると、ぬいぐるみにまつわる小物や動物の姿が描き込まれているようだが、その中に護符などにも刻まれる文様が細やかに縫い取られている。作りがかなり凝っていて、技術者の持てる熱量がそこにすべて込められていることは一目瞭然だ。


 看板や内装の派手さで一旦離れていった先代の常連たちも、評判を聞くと戻って来て、本業でも再び店はにぎわった。

 なおかつ、凄腕でそこそこ収入のある冒険者と店で出会った人から恋愛成就の効果があったと話が広まれば、もうその人気は留まることを知らない。発注に制作が追い付かないほどだ。




 成功のお礼として、店主が腕によりを掛けた足用装備品がマアルーンの元へと届けられることになったのは、それからしばらく経った日のことだった。

 自分の居場所を取られると思った呪いのひよこが、実寸大のひよこのぬいぐるみをつついているところを飼い主に見つかって天高く蹴り飛ばされたのは、その直後のことである。






 

 

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