第19話 撃退される元カレ、笹本

 笹本のことは、九条と白石を通して知っていた。


 遠目から見ても、笹本の人相は悪かった。


 着崩した私服、睨め付ける視線、大股で歩く姿は前時代的ですらある。


 彼を見て、僕はすこし気が緩んだ。面倒な人間に見えて、滑稽な一面もあるんじゃないかと。


「意外と、いけるかな」

「わからないです。はたから見ると、あいつは弱そうなんです。気取っているだけにすら見えます。でも、実際は違うんです」

「見栄を張っているようで、本当に厄介だと」

「はい。小物にしては無視できないんです」


 こういう話を聞くと、九条から伝わっていたイメージとは違ってくる。九条に見せてもらった写真から感じた印象とはかけ離れていた。


「約束の場所がここだから、もうすこしです」

「ああ」


 唾をごくりと飲む。


 遠くに離れていたはずの笹本が、ようやく近づいてきた。


 笹本は白石に気づくと、不敵な笑みを浮かべた。


「琴海ちゃん、久しぶりじゃん。まさか君の方から呼んでくれるとは思ってもなかったよ」

「それは、あなたに話したいことがあったので」

「笹本くんへの告白です、ってかな。ようやく僕を認めてくれるのかな」


 ニコニコとしているところから一変。


 僕に視線が向くと、一気に威嚇する様子を見せた。


「で、隣にふざけた男がいるようじゃそうもいかないらしい」

「……」


 沈黙を保つ。まだ、こちらから話すことはない。


「ダンマリか。で、こいつが彼氏だとでもいうのかな」


 ドスの効いた声で、琴海を詰めていく。


「そ、そうです。私には彼がいるんです。あなたに粘着されるのは心地が悪いです。金輪際、私への接触は控えてもらいたいんです」


 決めていたセリフを、琴海は途切れ途切れになりながらもいいきった。


「喧嘩売っているのかな? 僕が君の彼女になってやろうって話なのに、調子乗りすぎでしょ。彼氏って、弱いお前にできるのか?」


 サングラスの下で、僕の眉はぴくついていた。


 たしかに笹本は顔が整っている。小物ムーブをしてはいるが、強い男であると本能で感じる。


 笹本がたとえイケメンだからといって、白石のことを憶測で決めつけて侮辱していい理屈にはならない。


 超えてはいけないラインを、笹本は平気で超えてきた。


「――なぁ、笹本」

「あっ?」


 笹本は、怪訝そうにこちらを見つめた。


「僕の彼女を、侮辱するな」

「なんだ、事実をいっただけだろうが」

「ただの偏見だ。冗談でも『弱いお前』だなんていうな。好かれたい人間の吐く言葉とは思えない」

「お前のようなチンケな格好をした奴が、白石にふさわしいとも思えない」


 ヘラヘラとはしているが、笹本に勝ち目はない。


「勝手にいっておけばいい。しかし、現実はこうだ。白石は僕の彼女であり、笹本は忌み嫌われているだけのストーカーもどきだ、ということ」

「おい、俺をストーカー呼ばわりとは舐めた口を聞いてくれるな! おい!」


 いけない。つい刺激してしまった。


 相談役であれば、よき交渉役ネゴシエーターを務められると誤認にしていた。


 そんなことはない。


 感情的になってしまたが最後、交渉決裂である。


「なぜ白石に固執する? 僕の彼女は嫌がっているじゃないか」

「俺はな、欲しいと思ったものはすべて手に入れる。前の彼女は違かった。俺より強かったからな。俺の求めるのは、その逆だ」


 要するに、服従する都合のいい対象を求めている、ということだろう。


「君と付き合いたいと望む女性が哀れになるよ。見る目がない、とね」

「随分とコケにしてくれたじゃないか」

「御託は終わりだ、と次にいうつもりかな」

「その調子に乗った口を、二度ときけないようにしてやるよ」


 コキリ、コキリと笹本は拳を鳴らす。


 呼吸を整えつつ、前後にステップを始める。


 臨戦体制だ。


「あ、あの! ふたりともやめてください! あんまりですよ」

「白石さん、これでいいんだ。なぁ笹本」

「なんだ」

「ここであなたがノックアウトしたら、白石さんに金輪際近づかないと約束できますか」

「戯言を。俺に勝てるとでもいうのか。勝手にしておけ!」


 彼のいうとおり、笹本は強い。


 中高と運動部に所属しており、運動神経は抜群だという。


 ただ、喧嘩に関しては未知数。動けるからといって、戦い慣れているとは限らない。


「拳でも喰らっておけ!」


 助走をつけた拳が飛んでくる。


 狙った先は鳩尾だった。まず一発決めて、そのまま有利な体勢にでも持ち込みたいのだろう。


 そんな想定は透けて見えていた。


 向かってくる拳に対して、手の平を構えた。


 衝突。


 ジリジリと痺れる感触を代償に、拳はそこで止まった。


「は?」

「運動神経は一流でも、喧嘩は三流未満らしい」


 一時の動揺で止まってしまった笹本。


 ここぞとばかりに、胸ぐらを掴み、引き寄せる。


 抵抗はされながらもそのまま背中を引き寄せ。


 背負い投げを決めた。


「あっ……ぐっ……」


 勢いは加減したものの、背中を強く打ち付けた。すぐには立ち上がれまい。


 体を動かした際に、サングラスが飛んでしまった。笹本の気づかないうちに、回収しつけ直す。


「やりすぎだったかな。でも、白石さんの心の傷は、もっと深かったかもしれない。まだ、足りないかな」


 痛みが引いてきたところで、笹本は言葉を捻り出した。


「まだ、だ」

「どうか、降参してほしい。僕たちと君のためだ。だから」

「黙れ」


 弱々しく立ち上がる。腰の入っていない拳がきた。先にこちらが鳩尾を狙い、入れる。


 入った。反撃の様子はなかった。


「僕だって、こう殴りたくなかった。降参、してくれるだろうか」

「……する。近づかない。こんな面倒な奴に痛めつけられるくらいなら、他の女を探した方がいい……」


 意外と素直に引いたのは、すこし驚いた。


「ただ、琴海のこと、幸せにしろよ。サングラス野郎」

「もちろん」


 正直、白石に対する態度は最低と思った。


 とはいえど、九条が彼氏に選んだ男だ。完全なる悪ともいいがたそうだ。


 ある一面では救えないタイプ、といったところだろうか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る