第13話 相談役の始まり

 すべて飲み込みそうな、薄寒い感覚。九条が与えたものだ。


 九条は沼のイメージであると、より強く思った。


 淡々と侵食していく愚直さを、僕は持ち合わせていない。周りのサポートに入るだけで、自分を前に押し出すことはない。


 そうなったのはいつからだろう。


「昔から、かな」


 かつてのことを、思い返す。


 幼い頃、両親は離婚した。親父がよそで相手を見つけ、蒸発したらしい。母は仕事に出てしまっているので、ほとんど会わない。会いたくない、というのが本当のところだろう。


 だいたい、母方の実家にお世話になった。周りは大人ばかりで堅苦しく、子どもらしさを前面には出せない環境だった。


 大人によく思われるため、気にかけてもらうためにはどうするか。無意識に考えるようになっていた。


 興味を持ってもらい、話を聞いてもらう。そのために、まず自分が話を聞く。たどり着いた結論はそれだった。


 最初はギスギスしていた関係も、次第に改善された。成功体験がひとつできると、積み重ねが始まる。


 相談役の真似事は、ずっとやっていた。友だちにも、自分から話すより、積極的に聞き役にまわっていた。


 人の話を聞き続けて、相談役になった理由。


 それは、自分が周りに影響を与えたいというもの。結局は、自分のためのおこないでもある。


「……理由なんて、たいしたことではないんだけどね」


 頭をブルブルと振って、思考をリセットする。


 雑念はいらない。相手に安心を与える、誠意ある対応こそ、相談役に求められるのだから。


 ……なんて、九条や雫の「特別」に応えてきた人間がいえるセリフでは、到底ないのだけれど。


 ピコン、と着信音が鳴る。


 またしても、相談相手からのメッセージが来た。通知欄に目を通す。


 相手は白石。大人しい子で、九条の元カレにちょっかいをかけられている。


 前に、解決方法を軽く伝授したところだ。


『白石:先日はありがとうございました。安田さんのおかげで、すこし気が楽になったように思います。自分を強く持って、ずるくあれ。いい言葉ですね。やっぱり、相談役の肩書きは伊達じゃありませんね……(続く)』


 自分を強く持つ。そして、ずるい人間になる。


 これは白石、そして自分にも欠けていることだ。九条や雫のことが、念頭に無かったといえば嘘になる。


 他の相談同士が、似通った要素を持っているなんてよくある話だ。今回も、経験を応用させてもらった。


「白石さん、相変わらず丁寧な文を書くなぁ」


 徹底した「です・ます調」は、お淑やかな白石さんらしい。


 文だけで人は判断できないが、白石さんはヤンデレとは程遠いだろう。なにごとも静かにこなすような安定感すら、勝手に感じている。


 愛すべき、ちょっぴり病んだ女子たちとは違う。いい意味で、心の平穏を乱されない。


「あれ、まだメッセージが続いているのか」


 アプリを立ち上げ、続きを読んでいく。


『せっかく、相談に乗ってもらったので、なにかお礼をさせて欲しいです。なにか奢らせてください』


 生真面目な人だ。


 僕は、相談への対価を、図々しく求めるつもりはない。ひと言でも「ありがとう」がもらえるだけで、プライスレスの報酬である。


 奢りのような過度なお礼は、原則断ってきた。後腐れをしないようにしたいからだ。


 よって、いつも通り丁寧に跳ね除けたのだが。


『白石:だとしても、すこしだけでいいから、会ってお礼をしたいんです。図々しいかもしれませんが、ご検討ください』


 白石は撤退を選ばなかった。要求を曲げずにきた。


 そうときたら、断るわけにもいかない。白石の満足に繋がるのなら、一度くらい、短時間であればかまわない。特別サービスだ。


「……僕が変わりつつあるな」


 ルールや原則を曲げることなんて、あまりしなかったというのに。


 一度ラインを破ったら、後に響く。まさにこのことか。


「変わったとしても、やることは同じだ」


 白石の提案を飲み、日程調整に移る。


 食事をするのは、ひとまず年明けということになった。


 あさっては、もう大晦日だ。三十日、つまりあしたから、白石には家族での用事があるらしい。


 大晦日から三が日にかけて、僕は母方の実家でお世話になる。実家といっても、自宅からさほど離れてはいない。


 初詣にいく神社だって、どちらの家であろうと決まっている。地域最大級の神社に、ここら一帯の人間は集まるのだ。


 中学の頃も、よくクラスメイトと遭遇したものだ。会う人に限って、絶妙な距離感であることが多く、毎度苦しい時間になっている気がする。


 初詣はどうだろうか。想像がいろいろと膨らんでいく。


 来年もそつなく相談をこなせるように、願いたい。


 お願いまで相談に関することか。やはり自分は、なんだかんだいって相談役という役柄を愛しているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る