第12話 九条の熱いマーキング

「見ての通り、雫からのメッセージになるね」

「否定しないんだね、文の内容」


 九条がソファから立ち上がる。スマホを掴み、まじまじとこちらに見せつける。


「誠一郎くんは、相談相手にも軽々しく手を出せるチャラ男なんだ。素晴らしい相談役だね」


 皮肉にも程がある。片頬がぴくぴくと吊り上がっているのを見ると、胸がキュッと締まる。


 説得するにしても、状況を拗らせたことは無視できない。


「僕は、誰もが認める清純派。雫は誇張する癖がある。おおかた、九条の誤解なんだ」

「なら、本当はなにをしたのか、説明できるよね。清純派は嘘をつかないもん」


 次の言葉がすぐに出ない。発言を重ねるたび、着実に墓穴を掘り続けている。


 本当のことをいわないと終わらない。そんなの承知の上だ。伝えた際の反応を恐れている。


 追随を許さぬ圧迫感。


 目先の恐怖が、姑息な逃げを選択させている。


「人を傷つける嘘をつくのは、よくない」

「勘違いしているみたいだけどさ」

「なんのことだろう」

「野上さんとなにをしたか。聞いたら嫉妬するし、場合によれば傷つくかも」


 一拍置いて、九条は続ける。


「それより嫌なのは、不要な嘘をつかれること。姑息な発言は、もっと傷つく」

「九条を傷つけるなんて、相談役失格だね」

「わかってくれたね。じゃあ、三カウント以内に吐いて。さん、に、いち――」


 こちらのペースを考慮せず、九条の流れに持っていく。


 もはや、ここまでだ。


「……雫と、不本意ながら一晩中添い寝をした。そして、朝食をアーンで食べさせた」

「あっは、本当に吐いた」

「ご命令とあらば。良心もさすがに堪えた」

「ふふ。いってくれてありがとう。これでまた、誠一郎くんを信じられる」


 でもね、とトーンを低くして挟み。


「けどね、事実をいったからといって、許すとも限らないんだ」


 ふたたび、ハイライトを失った目になる。


 距離が狭まり、囁き声での会話が始まった。


「他の子にやったんだったら、私でもできるよね」

「そ、それはっ……!」


 こうなることを危惧していた。


 一度許したことを、引き下げるのは難しい。


「誠一郎くんは、誰にでも対等にしてきた。添い寝もアーンも事故だったといわれたら、信じる。その分、あの子だけずるいって思っちゃう」

「それをいうなら、クリスマスデートは九条だけの特別だった」

「クリスマスは一日だけで、誠一郎くんの体はひとつだけ。仕方ないよ。添い寝とアーンは、いつでもできる」


 自分自身は優遇されることを望み、他人が優遇されると対当を望む。


 それじゃあまるで。


「ダブルスタンダードもいいところだね」

「そう? 私は独占してほしいから、対等という言葉さえ武器にするだけ」


 やはり、重い。厄介な重さだ。


 雫の、真正面からハンマーで殴ってくる愛とは違う。


 九条は、じわじわと沼に引っ張って、足元が動かなくなる感覚に近い。


「他の子にされて、私にはない。そしたら、誠一郎くんのすべては独占できないよ。四六時中そばにはいられないけど、できるだけ上は目指したいんだ。いずれは、正妻の余裕も手にしちゃって。そしたら、他の女が寄りついても大丈夫だよね」


 さらりとすごいことをいってのけたな、九条。


「この感じだと、ふたつのノルマを終わらせるまで……」

「帰るつもり、ゼロだから。収穫がないと悶々としちゃう」


 これまた半強制だ。九条の圧は半端じゃない。


 まずは添い寝。


 雫としたのは、あちらから勝手に始まったもの。


 今度は、ガチガチに意識してやる、まったくの別物だ。


「さすがに途中で切り上げる。ただ隣で転がるだけ。それ以上はないと思ってほしい」

「頑張って、抑えるね」

「じゃあ、自室いくか」


 九条を案内する。自室は、机とベッドとクローゼットくらいしかない。シンプルそのものだ。


 僕はひとり暮らしである。ここれでは、九条とふたりきり。割り込むものはなにもない。


「スマホの電源、落としておいて。雫とか、他の女の着信で、私との時間を途切れさせたくないから」

「徹底しているね」

「最善を求めたいから」


 九条からの指示で、僕から先に入ることになった。一日ぶりに自分の布団を使う。いつもの匂い、そして雫の匂いも混ざっている。


「じゃあ、入るね」


 体を端に寄せる。すっと忍び込んだ九条は、思ったより存在感があった。雫と比べ、身長が大きく、オーラも強い。


 大人びた印象で、つい体が硬くなる。


「体、ごつごつする」


 自然と体に手を添えられていた。


「中学のとき、運動やってたからかな」

「男の子って感じ、好きかも」


 なんだか落ち着かない。付き合いが短いというのもあって、心を許しきれていないのか。予測不能な九条を、無意識に警戒しているのか。


「でも、野上さんの匂いがちゃんと主張している」

「やっぱりそうか」

「これじゃあ、誠一郎くんを独占できないね」

「気持ちの問題だよ。いまはしっかり、九条に独占されているよ」

「不十分なの。だから、ちゃんと上書きしないとね」


 抵抗する暇さえ与えなかった。体をしっかりと密着させ、体を擦り付けてくる。


「なんのつもりかな、九条」

「マーキング。念入りにやらないと、上書きされない」


 身体中がそわそわする。熱いものが込み上げてきそうで、むず痒い。


「止まらない、止めたくない。誠一郎くんの香りが、私にもしっかりついてくる……」


 目がとろんとして、正常な判断ができていない。九条の目に渦巻きがあるようにすら幻視した。


「やめだ、九条。元の世界に戻ってくれ」


 すこし力を入れて、引き離す。これはマーキングどころではない。ただの暴走だ。


「はぁ……ダメだ。私、一度エンジンがあったまると、止まれないんだ」


 九条は呼吸を整え、正気を戻していた。


「アーンはもう大丈夫。ちゃんとお互い、匂いがしっかりついた」

「急に激しすぎる。命の危機すら感じた」

「ごめん。誠一郎くんの匂いを、本能で求めちゃった。いけないね」


 いままでの、真面目で清純な委員長のイメージが、完全に崩れ去った。もう、戻れない。


「しばらくは、こういうのはダメだ。その先も当然。度を超えた愛情表現は、下手をすると暴力になる」

「気をつけます。抑えられそうにないし、きょうは帰るね」


 支度を終えると、九条は笑顔で去っていった。


「気をつけてね」

「また今度。良いお年を!」


 スキップとさえ見紛える、軽々としたステップだった。

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