第11話 九条は静かに追い詰める

「わっかりやすい。僕は絶賛ピンチですって、顔に書いてあるんだから」


 九条の表情に余裕がなくなりつつある。


 こんな状態の九条だ。素直に状況を話したくはないが、誤魔化すと命すら奪われそうだ。


 私こと安田誠一郎は、雫さんのお家にお泊まりしました。その上、添い寝とあーんもしました。以上です。


 ……なんていえるはずもなく。


「ちょっと匂い嗅ぐね」


 すんすん、と体を嗅がれる。


 近くだと、九条特有の透き通った甘い匂いが鼻腔をつく。頭がくらんとしているうちに、九条は離れていく。


「うーん」


 目を閉じて、香りを吟味している様子だ。


「この匂い、野上さんのだ」

「気のせいじゃないかな」

おさなさが残りつつも、大人っぽさを演出しようと背伸びしている匂い。私、鼻がいいの。ちゃんと、わかるから」

「どうも、誤魔化してもダメらしい」

「問題は、なにをしたのか。教えてほしいんだ」


 距離を取ろうと、後ろにそろりと下がる。九条は一歩進み、同じ距離を保とうとする。


 その繰り返しで、門の中まで入れてしまった。


「このままじゃ埒が明かないから、おうちでゆっくり話そう。入れるかどうかは、誠一郎くんの判断になるけど」

「認めるよ」


 追い返すわけにも、道端で反論するわけにもいかなかった。


「お邪魔します」


 委員長はソファに腰を沈めると、僕に正座を要求した。


「ここ、僕の家だと思うんだけど」

「私は尋問をする、誠一郎くんは答える。そういう立場。ふだんは相談させてもらっているけど、いまは別なの」

「承知しました」


 ピリピリしている九条に逆らうのは、できそうにない。


 いまやるべきは、九条の不信感を取っ払うことだ。それなしには、お帰りいただくことも、はたまた正座を解いてもらうことにも至らない。


「質問はひとつ。朝まで野上さんとなにをしていたか」

「ゲームしたり、昔話をしたり、お菓子を食べたり」

「通話の前後も、きっといろいろやっていたよね。それなら、もっと他にあるんじゃない」


 よく考えてみれば、きのう九条とビデオ通話をしているわけで。その際に、野上と顔を合わせていたじゃないか。


 たった三つの出来事で、空白の時間を埋められるはずもない。


「僕はしっかり事実を列挙した。これ以上が、やっぱり必要なのかな」

「むしろ、私はこの先が知りたいの。いわないと、私はずっと帰らないよ。とくにきょうは予定もないし」


 九条の帰らない、は本当に帰らなそうだ。


 真面目一辺倒の九条。冗談のようなことを、やってしまいそうなおっかなさがある。


「吐けば楽になるんだよ。きのうもいった通り、相談者のみんなと仲良くなりたいんだ。そのために、私は知らなくちゃいけないんだ。これは正義の執行。誠一郎くんも、私の考え、共感してくれるよね。だって、相談役なんだもんね」


 痛いところを突いてくる。


 いまの九条は、頭のネジが何本か吹っ飛んでいると見て違いない。


 だとしても、九条の考え自体を完全否定はできない。


 僕がひとりの相談役である以上、九条の理屈も飲みたいと本能で思ってしまう。


 そんな板挟みになると、九条はわかっていたのだろう。


「九条の考えはよーくわかった。僕だって、無策で黙っているわけじゃない」

「私への、気遣い?」

「どう捉えるかは、九条次第だよ」

「でも残念。私への配慮、それすなわち聞いて欲しくないこと。結局、胸のざわめきは一層強くなるばかり」


 悪手だった。傷つくとかそういうの無視しても、真実を求めているのだ、九条は。


「理屈はいいから、教えて。お願い」

「黙秘権を行使する。借りひとつで手を打たないか」

「相談役って、交渉人ネゴシエーターとしてはまだまだなのね」


 焦って沼にはまっている。九条の掌の中で踊らされている。


 相談役は常にクールに振る舞う。そうありたいし、あらねばならない。


「条件は変更だ」

「誠一郎くんは、どうしたいの」

「元カレ、笹なにがしの現在について、情報を握っている」

「情報通なのね」

「雫の情報の代わりに、君の元カレの情報で手を打たないか」

「いいネタをふっかけるよね」


 正直、こちらも開示するのはためらわれる。なにせ、相談している別の子と繋がりがあるから。


 そんなカードを切りたくなるくらい、僕は焦っていた。牙が僕に向くのを避けたかった。


「でも、お断りしておくね」

「どうしてかな」

「前にもいった通り、昔の男はどうでもいいの。いま必要なのは、誠一郎くんのことだけなんだ。私が住所を特定している時点で、わかっていると思ったんだけどな」


 結局ダメなのか。


 僕の口から、いうしかないか。諦めがつきそうになる。


 刹那、僕のスマホに着信音。


「間の悪い着信ね」

「ちょっと見る」


 発信相手は、噂の雫だった。


「しっ……」


『雫:きのうは感激の嵐だ! なにせ一緒に寝たんだものな! 良い一夜を過ごせた。朝の餌付けは、せいくんのドS要素を勝手に感じて素晴らしかった。今度はせいくんの方から寝てほしい』


 表情と声にリアクションが出てしまった。


「いまのメール、なにか都合が悪いことでも?」

「そんなはず、ないよ。ただの迷惑メールだ」

「じゃあ、見てもいいね」


 目にも止まらぬ速さで、手元のスマホが消えた。トンビに弁当を盗まれた気分だ。


「あっ」

「どれど……」


 雫は、大袈裟極まれりな表現をする。


 勝手に添い寝をされたこと、アーンをしたことを、最悪の形で誤解される文面。


 九条は固まった。


 首だけ動かして、僕の瞳をじぃっと見つめた。


「これ、どういう意味かな」


 ぎこちない苦笑が、嵐の予感を呼んだ。

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