第9話 雫は添い寝をしたがるが……

「……僕は根っから真面目なのかもしれない」


 添い寝の誘いをふっかける雫に、僕は返した。


「罪悪感に重きを置く。平等でありたがる」

「うむ」

「雫の提案、僕は飲めないし、飲まない」

「ダメなのか。私は求めてるのにな」

「そうだよな。相談役は、目の前の悩みを解決するのが仕事なのにな」


 九条のことが頭をよぎっていた。


 しがらみを捨てられたのなら、話は簡単になる。


 ――付き合っていなければ、どうということもない。そんな、ずるい考え方。


 雫にも、九条にもいい顔をしてもいい――というあり方も、ひとつの選択肢。九条の元カレ、笹本の行動を見て、思った。


 そんな器用な生き方を、自分からは選べない。


「隠し通せる自信がない。バレたときにどうしようもない」

「バレたときは、私が責任を取る」

「いわゆる連帯責任だね。恐ろしいよ」


 どこまで自分に許すかが、今後の課題だ。


 一歩ラインを踏み越えれば、正真正銘のクズ男に堕ちる。女たらし野郎へと。


「難しそうな顔をしない。きょうは別のベッドを用意はしておく」

「雫はいいのか」

「せいくんの良心は裏切れないんだっ」


 力のこもったひと言だった。


「寝床の用意だね」

「いざ出陣!」


 寝床の準備前にも、いろいろある。やることといえば、風呂に浸かって、歯を磨くくらいだが。


 雫は女子とあって、もっと時間がかかるといった。


 あらかたやり終えると、またしても暇が生まれた。余計なことで頭がグルングルンする時間だ。


 添い寝はないはずなのに、ソワソワが止まらなかった。


 女子と話す時間は人並み以上に長いのに、触れ合う時間は極端に短い。変な話だが、それが僕の現状だ。


「……お、お待たせ」


 上気した顔で、雫は入ってきた。


 緊張と興奮の入り混じった、甘い声だった。いつもの高いテンションだけじゃない。異性としての魅力が、すべてにこもっていた。


「ああ、そんなに待っていないよ」


 おかしい。心臓がバクバクする。


 相談であれば、心を平穏に保てる。自分自身を、役柄と切り離していられるから。


 いまは違う。相談役として、そして安田誠一郎として向き合っているから。


「じゃあ、私が先陣を切る。せいくんは、後に続け」

「なんだか原作のセリフっぽい」

「テンションぶち上がってるってわけだよ」


 雫の高揚っぷりは、疲れからくる深夜テンションに似ていた。


 ふたりで布団を運び、敷いていく。


 僕は雑魚寝、雫はベッドとなる。


「きょうは一日楽しめたぞ、せいくん」

「こちらこそ。昔を思い出した」

「ちんちくりんでかわいかった頃か?」

「雫はいまでもかわいいよ」


 似合わない、キザなセリフは雫に刺さっていた。


 顔を手で覆い隠して、目線が合わない。小柄な雫を引き立てる仕草になっていた。


 いけない。雫を意識するフェーズに突入している。


「じゃあ、私は寝るからな」


 雫がベッドの中に入る……ことなく、なぜか僕の布団の中に入った。顔と手だけをひょこんと出している。


「さぁ、来る来る。私はいつでもオーケーだからな」

「おかしいだろう、なぜこっちにいるんだ」

「マーキング」

「犬か」


 引っ張り出そうとしても、なかなか離れない。


「さぁ、入った入った」

「添い寝はしないっていったのに」

「私はずるい女なのでな。ハハハ。十秒だけ、そばに居させてほしい」

「十秒だけな」

「っしゃあ!」


 折れない雫を前にしては、妥協するしかなかった。


 そっと、雫のそばに入る。

 

「どう、だろうか?」

「近くて、あたたかい」

「こういうの、初めて」

「同じく、僕も」


 饒舌なはずの口が動かない。自分と雫の鼓動や呼吸に気を取られ、冷静ではまるでいられないのだ。


 十秒ルールを、忘れそうになった。


「ほら、帰る帰る」

「いやだ」

「違反じゃないか」

「ルールは破るためにあるのだ」

「かっこよくいってもダメだよ」


 しぶしぶ抜け出して、元のベッドに戻る。


「ドキドキして寝れそうもない。昔のことでも、話そうか」

「せいくんナイス提案!」


 そういうわけで、馴れ初めからいままでを、軽く振り返っていた。


 出会ったばかりの頃を語ると、雫は恥ずかしそうにしていた。


「私の厨二病時代は暗黒期。軽々しく触れないで」

「左手に暗黒龍が宿っていたのを、よく覚えているよ」

「あーもう、せいくんの意地悪っ! 沸騰して蒸発して大気中に消えてしまいそう!」

「大丈夫だよ、雫はいまでも厨二病は治っていないから」

「違う! いまは高二病!」

「いずれにしても、いろいろ大変そうだ」


 なんて、雫をからかってみたり。


「次は私のターン。ドローしたカードは、せいくんの敗れた恋について」

「そんなもの、なかったはずだ」

「ここで、先輩の人にデレデレだったはず、を発動」

「昔の話。恋していたんじゃなく、慕っていただけだよ」

「そして、あの人、いまでもフリーらしいって、風の噂で聞いたでアタック」


 マジか、と正直揺れてしまう。


 純粋にかわいいと思っていた先輩がいた。恋したいとは考えなかった。それだけだが、フリーと聞くと、揺れざるを得ない。


「でも、私だけしか見せない!」


 ベッドから転がり込んで、こちらの布団に入る。


 ギュッと布団を頭側に引っ張って、すっぽり布団の中に収まった。


「いけない、全然見えない。雫だけだ」

「これで、物理的に私だけになった。せいくんを、ようやく独占できるね」


 しばらく、心臓が高まりっぱなしだった。

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