第5話 雫は二択を突きつける

 野上雫の相談を受ける場所は、いつも同じだ。


 雫の家である。母が出迎え、雫の自室に案内される。


 そこで広がっていた光景は――。


『我は舞い戻った――還らなかった魔術師を継ぐために』


 タブレットからアニメが流れている。もはや何度見たかわからない。


 雫の推しキャラの名シーンだ。


「くぅぅ、ユーリア様のイケボは耳に新たな生命を宿す! 終焉の世の中に舞い降りた神ボイス、やはり裏切らない!」


 感動を身体中で表現している。大袈裟な体の動きゆえ、劇と見間違いそうだ。


 どうも、一番盛り上がっているところで、家に入ってきたらしい。


 いらっしゃい、くらいはあった。最低限のコミュニケーションである。


 どうも、こちらから話しかける余地はしばらくなさそうだ。話を聞ける体勢を整えよう。


 相談を持ちかけたのは雫の方で、緊急ときたはずだったのだが。


 ……雫の自由奔放さは、昔からのこと。ストレスを溜めることもない。ペースを合わせるだけだ。


 五分もしないうちに、アニメのエンディングが流れる。視聴は中断され、こちらを向いた。


「適当な出迎えで申し訳ない、誠一郎殿」

「大丈夫、雫らしいと思っただけだし」

「あれは私なりの精神統一の儀式だったのさ」

「ほう」

「何十回、何百回見たとも知れぬ名シーンを視聴することで、気持ちを沈める。いわばルーチンなのよ」

「感極まって半泣きしていた人の言葉だろうか」


 おほん、と咳払い。


「いま、精神は整った。結果論では」

「そうみたいだ。すこししたら、相談内容を詳しく聞いてもいいかな」

「お茶とお菓子は用意ができている」


 部屋から出て、お菓子類を持ち込んできた。


 クッキー、そしてティーカップに注がれた紅茶と、上品さ漂うセレクトだ。


「肩肘張らず、ティータイム気分と洒落込みましょう?」

「そうだね。では、いただくとするよ」


 いい茶葉を使っている。クッキーの甘さも申し分ない。いつもどおり、完璧だ。


 雫も顔を綻ばせ、ティータイムを満喫していた。


「さっそく、友達の話かな」


 クッキーを食べ進める手を止めて、雫の語りが始まった。


 おおかた、メッセージのとおりの話だった。


「身近で気にしていなかったのに、いつの間にか意識してしまったらしい」

「友達には悪いけれど、よくある話、だね」

「かもしれぬ。私は信じがたいがな。推している子たちは基本、一目惚れだ。直感ですぐ決まる。そして演者まで愛すのだ」

「雫のふつうとは、真逆なわけだ」

「ゆえに厄介なのだ」


 なんたる茶番劇だろう。


 おそらく、これは友達の話ではない。雫自身の相談である。見抜いた上で、友達に対して答えるように振る舞っている。


「解決策は、なにがいいと思う」

「思っている相手に、気持ちをぶつける」

「もう、いってみたのかな」

「うむ。まだためらっているらしい。最初の一歩が踏み出せないのだと。自信がない、断られるのが怖い、一方的な思い込みだったら恥ずかしい……」

「どんなひと言が、欲しいんだろう」


 雫はしばらく考える素振りを見せると、僕を見つめた。


「誠一郎殿に考えてほしい」

「僕に、か」


 どんな言葉をかけるべきか。イケイケの人間ではない。さりげないひと言などかけられない。思ったままを、伝えるだけだ。


「……心の声に、抗うことはない。もっと素直に、直球で生きてもいいんじゃないかな」


 浮かんでいたのは、誰かさんの真っ直ぐな姿だった。人にどう思われるかを気にしない、遠慮をしない態度が必要なのではないか。


 そう、思った。


「やはり誠一郎殿は別格だ。モヤモヤに染まり切った心を、さっぱり洗い流してくれる」


 ひと呼吸置いてから、雫はふたたびこちらを見据える。


「察していたかもしれないが、この相談はまったくの嘘だ」

「友達の話、という点で」

「そのとおり。私の、誠一郎殿に対しての悩みだ」

「遠回しにいわないで、まっすぐ来なよ」


 自分の仮説が、事実に移ろうとしていた。


「誠一郎殿、いや、せいくん!」

「はいっ」


 懐かしい呼び方に、虚をつかれた感じだった。


「よければ、私を友達以上に思ってほしい。要するに、カップルとして扱われるのを期待している!」

「いずれ僕と付き合いたい、ということかな」

「そうとも! 男に二言はなし! いや、女でも二言はないし!」


 懸念していたことが、事実になった。


 九条の告白を保留しているいま、雫の気持ちを受け取るべきか否か問題。


 幸いにも、口先では「友達以上に思って」くれとある。こちらも保留にするのが定石だろう。


 もし、九条から告白を受けていなければ、僕は雫の願いを素直に飲んでいた。


 小柄で童顔な雫は、側から見てかわいい部類に入っている。限界オタクを拗らせているところでさえ、かわいげがある。


 長い付き合いゆえに、その希少さやありがたさが薄れていた。じっくり見ると、意識してしまう対象ではないだろうか。


「あ、あまりジロジロ見るな! 心臓がビッグバンを起こして文明をリセットしてしまう!」

「スケール壮大すぎる!?」


 意味のわからぬことを口走っている様子でさえ、いい。雫はかわいいのだ。


 僕の前には、難しい選択肢しか用意されていない。保留は、問題の先送りにしかならない。わかっている。わかっていても、時には妥協が必要なのだ。


「改めて、雫」

「はっ、はい!」

「気持ちはとてもうれしい。君みたいにかわいくて、面白くて、一緒にいて心地いい人はいないと思う」

「そんな、褒めないでくれ」

「しかし、いま僕はとある極秘任務を抱えているんだ」


 怪訝そうな表情を浮かべられてしまった。雫に伝わりやすい表現だと思ったのだが。


「相談役として、一番の難題を抱えている」

「え、そうすると告白は却下なの?」


 いったんタイム、と雫を抑える。


「現在、綺麗な不発弾を抱え込んでいる状態にある。もしいますぐ恋を始めたら、それこそ不発弾がビッグバンを起こしかねない」

「……やばい相談相手に当たってしまったのか」

「正解。雫の気持ちを受け取りたいのは山々なんだ。さしあたり、保留というずるい言葉を飲んでほしい」


 無茶なお願いだ。僕は卑怯な人間だ。姑息な手段で、大事な雫を煙に巻こうとしている。


「……かまわない。せいくんは、誠実な人だもん。相談役をやるくらいだよな、多くの人の利益を優先する。でもね」

「ああ」

「雫は素直になることにした。だから、ずるい人になる」

「ずるい人?」

「保留は禁止。だからさ――私と金輪際縁を切るか、甘々に私を溶かすかの二者択一。さあ、選んで」

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