第50話 丘
翌朝、指示された。
「死んだと思ったら、死んでください」
そして合戦撮影実行が発表された。甲冑に着替え、足軽たちが、ぞろぞろと、テントから吐き出されてゆく。
朝陽がまだ上りかけだった。
途中で、槍を手にした。歩む草原は、朝露にまみれ、足首から下は、たちまち水につかったようになる。
撮影場所の草原まで、足軽たちがばらばらの足取りで向かう。それぞれに、それぞれの種類の傷がついた甲冑姿で。
空のにじんだ明るさもあって、ゾンビの群れのよう見える。七見はそう思った。
そして、自分のその中にいる。
撮影場所となる草原に着く。そこからは城が見えた。城下町も見える。
石と木造で出来た、遥か彼方の時代の町が遠くにみえた。少なくとも、遠目からでは、本物の町に見える。城と町の周囲は草原だけだった。近代文明の欠片も見切れていない。
現場につくと、整列をうながされた。並んだ甲冑は、昨日の撮影で、みな、新品の感じがなくなっている。
膨大な数の兵が平原に揃うと、撮影スタッフにこう告げられた。
「開始の合図だします。合図が聞こえたら、こちらの黒い甲冑側は、あの城の天守閣を目指してください、誰の統制はいりません、どんな演技をしてもかまいません、なにがあっても、あの城の天守閣までたどり着く気持ちでお願いします」と、スタッフも上流から流し込まれた指示をそのまま伝えている印象だった。「赤い鎧の方が、こちらの黒甲冑の方の進軍を阻止します。ここでも演技の指定はありません。そして、戦って、死んだと思ったら、そこで死んでください、死を演じてください」
勝ち負けの決まっていない演技をしろという。それも、死んだかどうかは、演者の判断にゆだねる。
異質な指示だった。
「この物語は、この戦の結末によって決まります。天守閣を目指す赤い軍、天守閣を守る黒い軍。どちらから、誰が主演になるかも、この戦によって決まります」
無茶な計画だった。
だが、あまりにも大規模で、本物に見える城と町のセット、無数のスタッフたち、途方もないカメラの数を目の当たりにし、とうてい、ここまでのことを無策で実行しているとは思えなくなる。そういう光景の中に身を沈めていると、誰もが奇妙は感じつつも、冷静さは薄らぐ。
七見がテントを出て、一時間後、草原に途方もない人数の兵士たちが並ぶ姿が完成した。年齢もばらばらだった。まだ、ほとんど兵がそろっていないころから、そこにいた七見には、それが自動的に組みあがってゆくパズルにみえた。軍が完成してゆく。思惑も決意の種類もちがう俳優たちが、ひと固まりになってゆく。
朝陽は光を増していた。露にまみれた草原が、より煌めいていた。まばゆく、緑の海にも見える。
その緑の海を渡って向こう側に、赤い軍勢があった。その背後には町があり、城があった。
つくられた戦前の中に身を添えて、七見は槍を立てて、じっと待つ。
ふと、風が吹いた。
そして、気づいた。すぐそばに、陣笠の下へ鳳凰のような眼の兵が立っていた。こつぜんと、いつの間にかそこにいる。無数の兵たちと同じ格好をしていた。だが、自前の鳳凰のような眼のせいで、陣笠で隠していても、隠しきれていない。
七見は京一の隣に立った。同じ、黒い甲冑側だった。その甲冑は、他の兵より、遥かに破損がひどい。刀で斬られたような傷、胴には槍で一度、貫通されたような穴があり、火縄銃がかすったような跡もある。顔にはいくつかの傷があった。メイクだとしたら、相当優秀な者がほどこしたものだった。
七見は、しばらく、その横顔を見ていた。
やがて七見は「ここで死んだらさ」といった。「ぼくは役者をやめるよ」
京一は表情を微塵も変化させなかった。動かさない。陣笠からわずかにはみ出た前髪だけが、風に揺れている。
「だって、ここで死んだら、役者として死んだことになる」
言って七見は少し笑った。
これまでの生涯で、いちばんアイディアのように話す。
京一はそのまましばらく瞬き以外の動きを止めていた。だが、やがて、自身の甲冑の中へ手を入れる。
光るバトンを取り出す。
まばゆい朝陽の中では、その光は、光の中に埋没していた。
京一が「きみが持つか」といった。
「それは、はじめに京一くんが見つけて手にしたものだし、戦火に投げ込まれたナイフみたいなものだ、きみが最後まで面倒みたまえ」
「ああ」京一はうなずいた。「まとめて、おれが面倒みよう」
いって、京一は光るバトンをふたたび懐へしまう。七見は苦笑して「そんなもの撮影現場に持ち込んでる時点で、役者失格だけどね」といった。
「俺の心臓の熱いところが結晶化して、体内から直にこぼれ落ちたのだ、と言って誤魔化す」
「妖怪だね」
「しかし俺は一度、落ち武者になったこともある、監督公認で。ならば、きっと、妖怪になる資格も充分ある」
「どうしようもない過去だ、それ。まあ、その過去の近くに、ぼくも一緒にいたけどね」
いって七見はまた苦笑する。
それから深呼吸した。
風が吹いて、草原が東から西へと波立つように動いた。
草原の向こうには、赤い軍が見える。その向こうには、町があり、城がある。
戦が始まる前の光景の中だった。
七見は「きみと話していると、どこにいても、学校の教室で話しているみたいだ」といった。「もし、銀河の端っこの星に行ったとして、きっと、きみとなら学校の教室で話しているみたいな感じだろうね」
七見は鼻をすすり、肩の力を抜く。
「ぼくが役者を続けていた理由は」七見は遠くを見た。「子役時代に、好きな子役の女の子がいたんだ。だから、このままずっと芝居を続けていれば、またいつかあの女の子に会えるんじゃないかと思ったんだ。あの子ともう一度会うためには、同じ世界の留まる必要があった、だからさ」
京一は黙って聞いていた。
やがて、七見は「それがこんな、今日、死って死ぬかもしれない戦場に立つに至るまで、演じ続けた理由だよ」といった。
すると、京一は「なら、きみは偉大な生命」と、いった。
「意味はわからないけど、礼を言う」
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