第44話 駅
何もない平原の真ん中にあるような駅だった。小さな駅舎があるだけで周辺にもないもない。
改札を通って、無人駅だと知った。駅舎を出て、駅前に立つ。
夕陽の中に沈む景色を見渡す。人家はおろか、道しかない。あたりは草原だった。
人もいないし、車も走っていなかった。自動販売機も、コンビニエンスストアもない。信号もなかった。
七見は駅舎の方を振り返る。そこで、ようやく知った。
そこで電話がかかってくる。七見はスマートフォンを取り出し、しばらく画面を見つめた後、通話ボタンを押した。
耳へ添える。
『七見くん』
「小町さん」
名を呼ばれ、呼び返す。
夕方の駅前には、やはり誰いない。
『よかった、出てくれた』
そう言われ、七見はかすかにうつむき、その後で、少し顔をあげて「よろこんでもらえて、なによりだよ」と答えた。「出るのには、勇気を使ったから」
『かけるほうにも勇気が必要だった』
「勇気のぶつかり合いだ」
『そうね』と小町がいった。すると、向こう側で、苦笑するような気配があった。『なんなんだろうね、この会話』
自分からかけておいて、それを言う。今度、苦笑したのは七見の方だった。
『いまどうしてるの』
「いまかい」
『うん、いま』
「まちがえてたところ」答えて、七見は駅舎を見て、それから夕陽の方を向いた。「まちがいに、気づいたところ」
『まちがえたんだ』
「うん」
『なにを』
「立つ場所」
『わからない、もうひとこえ』と、小町が戯れるようにいう。『もう少し、詳しく』
「駅」
『駅』
「降りる駅をまちがえた」言って、七見は大きく息をついた。「降りるのは、次の駅だった。そして、電車はしばらく来なさそうだ」
『降り方をまちがえたのね』
「うん、まちがえた」
『あなたらしくないね』
向こうで、小町が小さく笑ったのがわかる。
「きみが」と、七見は抑揚のない声で言う。下手な演技のように「果たして、ぼくの何を知っているというんだ」と返す。
『でもね、あなたのうわべはよく知っている。そばにいて学んだ、うわべだけはね。あなたの中身の部分は想像で補って話してる。自家製のあなたが、わたしの中にいるの』
それを聞き、七見は間をあけてから「ふしぎな言い方をされたな」といった。「反応が難しいよ」
『長い話をして、だいじょうぶかな』
「時間はあるよ」
『そっか、電車を待つ時間があるのね』
「待つのには慣れている、子どもの頃から、撮影で」
『わたしの方、命令かな』小町は続くようにいった。『子どもの頃から、命令をよくされていたから、慣れている、命令されるのに慣れている』
お互い、手持ちのカードを出し合うような会話する。それから小町がいった。
『とつぜんわたしが消えて、どう思った』
問われて、七見は「うん、ダメージはあったかな」といった。「ぼくは」
『ダメージがあったのか、でも、あばたはわたしのこと、何も知らないじゃないの』
「きみの演技が好かった」七見はそう答えた。「もう少し近くで見ていたかったし、きみと一緒の演技するのは楽しかった」
わずかに間があいた。向こうで、小町が少し笑う気配があった。
やがて小町はくだけた口調で『なんだ、あなたも狂ってるじゃんか』といった。
「ぼくは正気の演技をしているだけだよ、いつだって、心は内戦状態だし」
『そうやって、ずうずうしく言う』小町はまた苦笑した。『ひらきなおって、ひきょうもの』
「もう、会えないんだよね」
七見が訊ねた。
『そうだね、二度と会えないよ、永遠に会わないよ』
小町はかるく答えた。
『そうそう、あなたがいま向かっている場所は、罠だからね』小さな子どもに注意するようにいった。『それを教えてあげようと思っただけなの』
「うん、わかってる」
『わかってる、って、わかってて教えてあげてる』
「ちょっとした早口言葉みたいだ」
『活舌もいいでしょ』
「うん、欠点がないね」
『でしょ、家族以外ね』小町は数秒ほど、黙ってからいった。『でも、血はとりかえられないから』
それから、わずかに会話が途切れた。
「そろそろ、歩き出すよ。もう夜が来るし、歩きながら話すのは危険だし」
『そうね、終わりね』
「うん、終わりだ」
『最後に、あなたのために演じてあげる』
「なにをだい」
『演技じゃないと、とても口にできないような言葉をいってあげる。それで、ぜんぶ許して』
「うん、いいよ」
『あなたは』
と、小町はいって、言葉がとまった。言うと思っていた台詞が、頭から消えたような間だった。
陽は沈みはじめていた。夜が来る。
向こうで、小町が顔をあげるような気配あがった、
『あなたは、風のように生きていて』
そう言い、しばらくして電話は切れた。
七見は静かに耳へ添えていたスマートフォンを離し、ポケットにしまった。
そして、顔をあげて歩き始めた。
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