第45話

 何もない平原の真ん中にあるような駅だった。小さな駅舎があるだけで周辺にもないもない。

 改札を通って、無人駅だと知った。駅舎を出て、駅前に立つ。

 夕陽の中に沈む景色を見渡す。人家はおろか、道しかない。あたりは草原だった。

 人もいないし、車も走っていなかった。自動販売機も、コンビニエンスストアもない。信号もなかった。

 七見は駅舎の方を振り返る。そこで、ようやく知った。

 そこで電話がかかってくる。七見はスマートフォンを取り出し、しばらく画面を見つめた後、通話ボタンを押した。

 耳へ添える。

『七見くん』

「小町さん」

 名を呼ばれ、呼び返す。

 夕方の駅前には、やはり誰いない。

『よかった、出てくれた』

 そう言われ、七見はかすかにうつむき、その後で、少し顔をあげて「よろこんでもらえて、なによりだよ」と答えた。「出るのには、勇気を使ったから」

『かけるほうにも勇気が必要だった』

「勇気のぶつかり合いだ」

『そうね』と小町がいった。すると、向こう側で、苦笑するような気配があった。『なんなんだろうね、この会話』

 自分からかけておいて、それを言う。今度、苦笑したのは七見の方だった。

『いまどうしてるの』

「いまかい」

『うん、いま』

「まちがえてたところ」答えて、七見は駅舎を見て、それから夕陽の方を向いた。「まちがいに、気づいたところ」

『まちがえたんだ』

「うん」

『なにを』

「立つ場所」

『わからない、もうひとこえ』と、小町が戯れるようにいう。『もう少し、詳しく』

「駅」

『駅』

「降りる駅をまちがえた」言って、七見は大きく息をついた。「降りるのは、次の駅だった。そして、電車はしばらく来なさそうだ」

『降り方をまちがえたのね』

「うん、まちがえた」

『あなたらしくないね』

 向こうで、小町が小さく笑ったのがわかる。

「きみが」と、七見は抑揚のない声で言う。下手な演技のように「果たして、ぼくの何を知っているというんだ」と返す。

『でもね、あなたのうわべはよく知っている。そばにいて学んだ、うわべだけはね。あなたの中身の部分は想像で補って話してる。自家製のあなたが、わたしの中にいるの』

 それを聞き、七見は間をあけてから「ふしぎな言い方をされたな」といった。「反応が難しいよ」

『長い話をして、だいじょうぶかな』

「時間はあるよ」

『そっか、電車を待つ時間があるのね』

「待つのには慣れている、子どもの頃から、撮影で」

『わたしの方、命令かな』小町は続くようにいった。『子どもの頃から、命令をよくされていたから、慣れている、命令されるのに慣れている』

 お互い、手持ちのカードを出し合うような会話する。それから小町がいった。

『とつぜんわたしが消えて、どう思った』

 問われて、七見は「うん、ダメージはあったかな」といった。「ぼくは」

『ダメージがあったのか、でも、あばたはわたしのこと、何も知らないじゃないの』

「きみの演技が好かった」七見はそう答えた。「もう少し近くで見ていたかったし、きみと一緒の演技するのは楽しかった」

 わずかに間があいた。向こうで、小町が少し笑う気配があった。

 やがて小町はくだけた口調で『なんだ、あなたも狂ってるじゃんか』といった。

「ぼくは正気の演技をしているだけだよ、いつだって、心は内戦状態だし」

『そうやって、ずうずうしく言う』小町はまた苦笑した。『ひらきなおって、ひきょうもの』

「もう、会えないんだよね」

 七見が訊ねた。

『そうだね、二度と会えないよ、永遠に会わないよ』

 小町はかるく答えた。

『そうそう、あなたがいま向かっている場所は、罠だからね』小さな子どもに注意するようにいった。『それを教えてあげようと思っただけなの』

「うん、わかってる」

『わかってる、って、わかってて教えてあげてる』

「ちょっとした早口言葉みたいだ」

『活舌もいいでしょ』

「うん、欠点がないね」

『でしょ、家族以外ね』小町は数秒ほど、黙ってからいった。『でも、血はとりかえられないから』

 それから、わずかに会話が途切れた。

「そろそろ、歩き出すよ。もう夜が来るし、歩きながら話すのは危険だし」

『そうね、終わりね』

「うん、終わりだ」

『最後に、あなたのために演じてあげる』

「なにをだい」

『演技じゃないと、とても口にできないような言葉をいってあげる。それで、ぜんぶ許して』

「うん、いいよ」

『あなたは』

 と、小町はいって、言葉がとまった。言うと思っていた台詞が、頭から消えたような間だった。

 陽は沈みはじめていた。夜が来る。

 向こうで、小町が顔をあげるような気配あがった、

『あなたは、風のように生きていて』

 そう言い、しばらくして電話は切れた。

 七見は静かに耳へ添えていたスマートフォンを離し、ポケットにしまった。

 そして、顔をあげて歩き始めた。

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