第37話

 その日のフードデリバリーのアルバイトを終わらせ、七見は自転車でいつものコンビニエンスストアへ向かう。

 到着して店の前へ自転車をとめる。京一の姿はまだなかった。

七見は少し迷うような表情を浮かべてから。店内へ入った。無糖の炭酸ジュースを買い、無人レジへ向かう。だが、ふと、足をとめ、また紙パックの飲料水が並ぶ棚へ向かい、珈琲牛乳を手にとった。

 そのふたつの会計をすませて店の外へ出た。

 そして、炭酸ジュースを店の前で飲んでいると、やがて、京一も自転車でやってきた。

 学校の昼休み時間以来の再会だった。

「京一くん」

「七見くん」

 名前を呼び返しつつ、京一はヘルメットを外した。配達用の大きなリュックサックを背負っていても、京一の背は真っすぐに伸びている。まるでなにも背負っていないかのように、真っすぐだった。

「鳩はどうなったの」

「最後は、太陽へ向かって飛んでいった」

「なんだか、物語の最終回みたいな感じだね」

 苦笑し、自分の自転車のカゴに入れていた、珈琲牛乳を京一へ差し出す。

 京一が鳳凰眼で見返すと、七見は「きみは、いつもこれだろ」といって、うすく微笑んだ。「買っておいた」

 いつとは違う動きをする七見を前にして、京一は少し間をあけた後で、珈琲牛乳を受け取った。

「ありがとう、七見くん。おれは、これを七見くんだと思って、生涯大事にする」

「できるものならやってみなよ」と、七見はまた苦笑しながらいって、ジュースを飲む。しかし、ふと、本当に実行しかねないと不安になったのか「いや、やらないでいいよ、一生大事にしてないで、いま飲んで」といった。

「きみがそう望むなら」

 応じて、京一は珈琲牛乳の側面から張り付いたストローを剥ぎ、吸い口にさす。

 そのまま、しばらく、ふたりは店の前で並んで、言葉なく飲み続けた。

「あと後」と、京一が声を発した。「事務所から連格が来た」

「事務所から連絡。ああ、もしかして、この前の映画の出来レースのオーディションのこと」七見は問いなから、指で喉をかく。「そういえば、再来週の連休に撮影なのに、まだ、ぼくには連絡が来ていないな」

「おれは、今週の日曜から、それとはちがう映画へ出させてもらえるらしい」そういって、京一は息継ぎするように続けた。「ちょっとした役をもらえた」

 そう聞かされ、七見は数秒ほど動きをとめ、それから七見へ顔を向けた。

「すごいな、それって、向こうから、きみに出てくれって、つまり、京一くんを指名を」

「資料を見た監督が、急遽、オレを呼んだらしい」

「台詞も、あるの」

「台本をくれるらしい」

 前を向いたまま京一は答える。目の前あるのは、見慣れたコンビニの駐車場があるだけだった。

 七見は「そうか」といった。「すごいな、よかった」

 その言葉へ、笑みを添える。それからペットボトルのお茶を飲む。

 それから、口をそでぬぐい「役者の活動をはじめて三か月なのに、すごいよ、京一くん」といった。「映画に出られて、しかもセリフもあるなんて」

「セリフを言うのは、はじめだ」

 と、京一はいった。

「京一は、うん、そうだね」七見はうなずいた後でいう。「この数か月、ふたりで行った現場は、エキストラだけだったし」

 七見はふたたび、ペットボトルのお茶を飲んだ。

 そして、ふっ、と少し笑った。「そうか、セリフがあるのか、そうか。ああ、そういえば、ここのところ、ぼくは言ってないな、セリフ」

「七見くん」

「京一くん」

「七見くん」

 と、京一は相手の名を呼び、呼ばれ返し、さらに名を呼んだ。

「京一くんはさ」そして、七見が声を強くして、返した。「どうして、役者をやりたいと思ったんだっけ」

 横顔を見て問う。そして、答えるまえに、七見はしゃべっていた。

「気がついたら、いつの間にか、ぼくと一緒にやってたし。いや、というか、ぼく、きいたっけか、きみが役者をやりたい理由。きいてない気がするんだ」

 話している間、ずっと京一を見ていた。京一の方は、途中から七見へ顔の半面を向けた。

 だが、七見はすぐに「でも、理由がないと、やっちゃいけないわけじゃないか」と、問いかけを引き下げるようにいった。「人に説明できる理由がないと、演じちゃいけない、そんなことはないしね」

 京一は黙って見返し続けていた。様子を変えない。

 そこへ七見はいった。

「それにさ、たとえ、他の人がどんな理由で演じても、そのときたどり着いた演技がすべてだ」どこか、自分のなかにある何かを、他所へ逃がすような感じがある。「理由が絶対の頼りならないさ」

 しばらく足元を見ていたが、七見は急にお茶を飲む。そして、そのまま飲み切ってしまう。

「ごめんよ、京一くん。いま、ぼくの中はつじつまが合ってないんだ、だから、今日はこれでおひらきでおねがい」

 それからそう告げて、自転車へ手をかけた。

「七見くん」

 と、京一が呼びかける。

「じゃあね」

 七見は小さく答え、すぐに自転車を手で引いて離れていった。

 京一は七見から珈琲牛乳のパックを手にしたまま、押して車輪を回しながら瞬く間に遠ざかる七見の後ろ姿を、真っすぐに見つめ続けた。

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