第32話 最上階

 最上階である三十階のフロアは、すべて小町の自宅だった。

 本来は高層階専用のエレベーターがあり、それで上って来るようだった。だが、四人は最後まで階段であがった。

 四人でフロアに立つ。

 京一だけが、髪と顔がぼろぼろだった。全身が黒一色の服だったため、ここまでの襲撃で受けた衣服の汚れ、綻びは目立っていない。

 だが、非常階段の最後にあった扉をあける京一の背は、ひどく真っすぐに伸びていた。

 その扉は、あきらかに、他のフロアとは違っていた。黒い空間に、左右開きに扉があるだけだった。

 最上階のフロアに立ち、京一はいった。

「これがタワーマンション」

 目を細める。

「マンションタワーではないことが、よくわかった」

 はたして、どういう心境でそれをつぶやいたのか、あるいは何を学びによる結晶的発言なのか、あるいは悟りの境地なのか、はたで耳にした他者からは、察するに困難を極めた一言だった。

 そのため、その発言に対して誰も反応しないし、何もいわない。

 いっぽうで、七見は小町を見ていた。

「小町さん」

 名を呼ぶと、小町は髪を揺らして振り返った。

 はじめ、振り返ったその顔に微笑みはなかった。

 だが、すぐに微笑みを浮かべた。

「わたしのうちは、ここです」

 フロアのひとつしかない扉を視線の先で示す。

「母がみなさんを待っています」

「お母さん」

 と、七見がこぼすようにいった。

「ええ、わたしの、お母さんです」

 視線を外し、小町は扉へ向かう。三人に後ろ姿を見せたまま、扉へ近づく。すると、扉が自動的に左右へ開く。とたん、中から白く眩い光が放たれる。

 ほどなくして、三人の目は慣れる。扉の向こうは、拾い玄関がある。先には、廊下が見えた。

 小町を先頭に、三人は中にあがる。京一は「おじゃまします」と、いった。

すると、水巻も「お、お、おじゃまします……」と、続けていった。あまりの高品位な空間に、動揺して、びくびくしている。そのせいか「あ、あ、いえ、お、おじゃまします、って………いったけど、けっしてじゃまはしませんから、まじです………」そう誰かへ向けていっている。

「おじゃまします」

 七見は小町の背中へ向けていった。

 小町の案内で中へ入ると、広いリビングに、長いテーブルが設置されていた。テーブルの先端の、空間のすべてを見渡せる席に、女性が座っている。

 小町に似ていた。

「母です」

 紹介されると、小町の母親は、微笑んだ。高校生の娘がいるとは思えない、外貌だった。それは、外見的な若さだけをよりどころにしたものとは違い、まるで、この最上階から、一度も下界へ降りたことがないのではないか、と思わせるような、神秘性がある。

 そのとき、七見の視線は小町へ向けられていた

 表面上はいつも通りだった。背も真っすぐに伸びているし、表情も微笑みに近い。しかし、母親を紹介した彼女の指先が、かすかに震えていた。

 その震えは、バトンを奪えないまま、京一をここまでたどりつかせたことが影響しているのか。七見はそう考えた。だが、それよりも、感情を刺激されるものについて考えた。

 怯えている小町を見るのは、かなしかった。

「ようこそ」

 小町の母親があいさつをした。

 立ち上がらず、微塵の会釈もない。

 小町の指は震え続けていた。

 小町の母親からは、わたしを自ら動かせるなんて、どうしようもない子ね、という感じがある。隠しているが、七見にはわかる。

 演じて、それで表面で覆っている。

 娘が失敗したから、じぶんがここで決着をつけよう。

「京一くん」

 七見はその名を呼んだ。

 京一が「七見くん」と応じた。

 母親が京一へ対して、何かを仕掛けようとしている。

 小町もそれに気がついた。

 小町の母が問う。

「京一さん、今日、あの光るバトンは」

 ぽん、と問う。

「いえ、あんなものを持って人の家には訪問しません」

 ぽん、と返す。

 静寂が訪れた。

 小町の母親は表情を変えない。変えないというより、固まっていた。

 水巻は、まばたきを重ねるのみだった。

 すると、京一が、小町の母親へ向けていう。

「どうされましたか、小町さんのお母さん、まるで全財産が入った財布を落としたような顔をされていますが」

 その場から、言い放つ。

 その京一の発言を耳にし、小町はそのまま微笑みある表情で、ゆっくりと、七見へ顔を向ける。

 目と目がまっすぐにあった。

 やがて、小町は。

「っ」

 声を漏らす。

 そして笑った。だが、すぐに手で口を覆って、むりやり封じとする。それでも次に全身の震えがやって来た。さらに笑いに腹部にいたみが来たのか片手で腹部をおさえる。まもなく、両手で腹部を抑え出す。口を覆うものはなくなり、笑い声は最上階へ響いた、白い歯を見せて笑い、涙もこぼれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る