第30話

 三人は無機質な非常階段をあがってゆく。

 七見は小町へスマートフォンで連絡をとってみようとしたが、電波が届かない状態になっていた。それはふたりのスマートフォンも同様だった。

 すると、水巻はつながらないスマートフォンの画面を見つめながら「これじゃあ、ときめき満載の猫動画もみられない」と、いった。

 一階から二階へ、三階と、階段をあがってゆく。京一が先頭だった。その後ろを、いつでも、京一が、そして、京一の服の裾を掴めるよう手を添えた水巻が行く。

 最後をお菓子の入った袋を持った七見があがる。

 階段をのぼりながら水巻が「最上階は、三十階ね」といった。「長い道のりだよ、体力と精神もむしばむね。こいつはもう、励まし合っていくしかないね、わたしたち、上部だけでも」

「がんばれんだ、水巻」と、京一が前を向いたまま言う。「人生そのものを」

 励ましの単位が大きく、水巻は「よし、仲間割れしようか」と、言い返す。

 こうして、三人は三階までのぼったあたりまでは、会話はあった。しかし、それ以降の階になると、まず、水巻が沈黙を開始した。彼女の息がかすかにあがりはじめる。さらに階があがると、七見も沈黙し、少しだけ息があがる。京一だけが、息があがっていない。

 そして、十階まで来たときだった。そこから先は、防火シャッターがおりていて、上の階へあがれなくなっていた。

 京一はシャッターを見ながら「上にあがれなくなっている」といった。

「ねえ」すると、水巻が「こっちのドア、開くよ」と、手で開いてみせる。

「やるな、水巻」京一は視線を落として告げる。「しかも、先頭でドアの向こうへ行くのか、勇気があるな」

「いや、トップは、あなただ」と、水巻が京一へ使命を跳ね返す。「さあ、飛び込め、未知の扉の向こうへ、無謀によって」

「じゃあ、オレがアツいのをもらうぜ」

 正確な意図は不明だったが、京一は前へ出てドアを引き、先陣を切る。

 ドアの向こうは、マンション内の通路になっていた。乳白色の床、壁、天井で、煌々とした明るさのもと、固そうな玄関扉が立ち並んでいる。

 そこに三人の知る顔が制服姿で立っていた。小町、彼女だった。通路の真ん中にいた。

 小町は真顔から微笑んだ。

 待ち構えていたようにそこにいる。さらに、休日にもかかわらず、学生服姿。

 そして、広く明るい通路には、小町以外誰もいない。

「小町さん」と、七見が名を呼んだ。そして、名を呼んだだけに終わった。

 すると、水巻が「制服なのね」と問いかけた。

「はい、午前中に、学校に用事がありました。エレベーターが壊れたと聞きまして、着替えるより先に、みなさんを迎えに来たんです」

 そう説明すると、水巻が「部屋は最上階という情報」といって続けた。「最上から、階段を降りて来たの」

「でも、エレベーター、へんな壊れ方をしているようですね。ここまではエレベーターで降りられました。でも、わたしがここで降りたら、また動かなりました」微笑みながら答え返す。「狂っているみたいです」

 七見は「狂っているんですね」といった。

「はい、狂っちゃったみたいです、ぜんぶ」

 微笑みは維持したまま、小町は応じる。

「でも、わたしは、どう狂っているかはわかっていますから、ここからはわたしも一緒に行きます」

 小町はそう宣言した。

 七見は小町を凝視した後で、京一を見る。

水巻も京一を見ていた。

「さあ、わたしについて来てください」

 三人に告げて背を見せ、先頭に立つ。

 そこで七見が「京一くん」と、名を呼んだ。

「七見くん」

「小町さんとふたりで話していいかな」会話の許諾を求める。「秘密の話なんだ」

「わかった、待とう」

 京一はうなずく。水巻は、そんなふたりのやり取りを、奇怪そうなに観察していた。

 そして、七見は前に進んで、小町のそばへ寄った。彼女も流れを察し、少し離れた場所で足を止まる。京一と水巻からは話が丁度、きこえそうにない距離だった。

 七見は、まるで、よく消毒された病院のような廊下で、小町は向かい合う。

「小町さん」

 呼びかけると、微笑みを添えたまま見返される。それだけだった。

「エレベーターは動かないし、他の人もいない。しかも、きみが直接迎えに来たってことは、これから、事故を起こす気なんだよね」

 七見がそういっても、小町は微笑みを保ち、変化を見せない。

 声も、やはり、京一と水巻には聞こえない音量にしてある。

「小町さんたちが欲しい、あの光ってるバトンを手に入れるためには、京一くんが偶然、バトンを落とす必要あって、そして、偶然落としたら、その場で拾わないと手に入らない、って話だったよね」

「七見くん」

「いまからこの塔みたいなマンションで、何か事故的なものが起こって、それが京一くんにふりかかる。そしたら、京一くんがバトンを落とす可能性があって、きみはいま、ここにいて、拾う」

「わかりやすい、陰謀ですよね」

 と、小町はいった。

「はい、わかりやすい陰謀です」

 七見はうなずいてみせた。

 小町は微笑みのまま、息を吸って、ゆっくりと吐く。いつもの魅力的な微笑みだったが、その動きは、どこか不気味さがある。動くはずのない美しい彫刻が動いたかのような、歪さがあった。

「ヘンな仕組みです」と、小町はいった。「呪われた仕組みです。でも、やらなければいけなくって」

「ぼくは京一くんの味方ですから」

「そう」と、小町は小さくいった。「それで、どうするのですか」

「このまま続行です」

「どうして」

 反射的らしく、むしろ、小町の方がそう問い返す流れになった。

「小町さんがやらなきゃいけないことを、すべて、彼にぶつけてみてください」

「でも七見くん、あなた、京一さんの味方だって」

 そのおかしな発言を指摘する。

 しかし、七見は「京一くんは全力で来ますよ」と、やり取りをせず、先へコマを進めるようにそういった。

「全力」

「では」

 そういって、七見は京一と水巻のもとへ戻った。

 さながら試合開始前の、キャプテン同士の会話のようなシーンを経て。

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