第29話

 エントランスホールの天井は高く、床も壁も大理石風で仕上げられていた。観葉植物の配置のバランスも見事であり、充分な余裕をもって設置された応接席もある。高級ホテル並みの光景が展開されていた。

 空調の完璧だった。酸素の質が、町と違う。徹底的に、強く殺菌された空間めいている。

 水巻はエントランスホールの高い天井を見上げていた。やがて、あご下を露呈させたまま「鼻血がでそうだよ」と、いった。

「京一くん」

 いっぽうで、先に進んでいた京一が七見へ呼びかける。

 京一はエレベーターの前へ立っていた。

七見が近づくと、そこに張り出されていた張り紙を視線で示す。

『申し訳ありせん、只今、全エレベーターはメンテナンス中のため使用できません。大変ご迷惑をおかけしますが階段のご利用をお願いします』

 と、その文面に対し、あとは、ひたすら謝罪文が書いてある。

 エレベーターは全部六つある。それが、すべて、停止状態らしい。

 七見はエントランスホールへ視線を向けた。そこには在中のスタッフがいるべき場所があるが、誰もいない。

 そもそも、エントランスホールに、住民の姿がまったくなかった。外部者である三人がいるだけだった。

 偶然、この時間帯に住民がここにいない、遭遇しないだけ。それは考えられた。

 しかし、スタッフの姿もない。

 偶然性は感じない、制御されて、人払いをしているような印象を受ける。

「階段をご利用ください」と、京一は看板の文面を読み上げる。「そうか」

 その隣で水巻が「小町さんちは、一番上の三十階という伝説を聞いている」といった。

「しょせん階段だ」京一はそういって、非常階段と書いてある扉へ視線を向ける。「あがってゆけば必ず終わりがある」

 それから扉へ向け、あける。すると、洗練された外観や内装に反し、どこまでも階段が上へ、そして、地下へと続いている。

 そこから見上げても最上階が見えるわけでもない。しかし、三人はそれを見上げた。

 やがて、水巻が「どっちか、わたしを背負ってあがってもいいだぞ」といった。

「背負ってもいい」京一が顔を向けて応じた。「しかし、万が一、階段で躓いたとき、危険な投げ技風に、脳天から階段へ叩きつける可能性があることは承諾してほしい」

「どうしようもねえな」水巻が言い返す。「受け身をとる自信はあるけど」

「京一くん」

 と、七見が呼びかける。

「七見くん」

「小町さんのこと、どう思う」

 脈絡のない問いかけだった。いちばん、大きく反応したのは水巻で、きょとんとして、まず七見を凝視し、それから、京一へと視線を移した。

「可憐な人だと思う」

 京一は迷うことなくそう発言した。

 そこへ七見が重ねて問う。

「きみは、恋はしているかい、あの人に」

「恋はしていない」京一はゆるぎなく、淡々と答えた。「ただ可憐な人だと思っただけだ。なにぶん、オレはよく、出会った人を可憐に思う傾向にあるだけだ」

 その回答も、京一は微塵の揺らぎもなく述べる。

 求めた問いを得た後で、七見は「そうなんだ」といって、わずかに笑みかけ、しかし、つぎにはわずかに表情へ影を落とし、その影を振り払うように、顔をあげた。

「どうする、この階段をあがるかい、京一くん。小町さんは、この塔みたいな建物のいちばん上だよ」

「待っているはずだ、行こう」

 京一はいって、また上を見上げる。

 ふたりのやり取りを水巻がじっとして見守っていた。

 七見な京一の横へ並び「苦労かけるね」といった。

「上へ向かおう、七見くん」

 京一はそうだけ返した。

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