第24話

 考えることは似通うものらしい。

 ミナミノは顔から双眼鏡を外す。

 そこはタワーマンションから離れた場所にあった。営業を終え、明りの消えたスーパーマーケットの二階の駐車場。そこに設置された縦二メートルほどの高さの看板の縁に立っていた。縁の幅は三センチにも満たない、不安定な場所だったが、彼女自身の身体は極めて安定していた。夜風に吹かれ、赤い短髪の先と、スーツの端々だけが、震えるように揺れる。

 建物自体の明かりはすべて消えているので、地上からミナミノがそこに立っていることに気づくのは難しい。

 このスーパーマーケットは、依頼人である『海の老人』と呼ばれる、あの老人の支配下にある末端企業が経営している。駐車場には、充実した機材と、長期滞在するに困らない、設備がそろったトラックが停車している。彼女の基地だった。ここをミナミノはこの町での拠点としてあたえられていた。

 彼女はいま、ひとりで動いている。

 決して目立たず、最小限で目的を達成するために。それには、ひとりが一番だった。これまでもそうだった、うまくやれた案件は、必ずひとりだった。他はあてにならない、期待は無駄だった。いいことがない。

監視対象の少年である七見が、小町のもとから遠ざかるのを確認する。

 現在、光るバトンを所持している少年の友人である七見。その七見が所持する、スマートフォンにとより、彼の現在地は常に捕捉している。

 京一の現在地の把握ではなく、その友人である七見の方を捕捉している。

 なにしろ、京一のスマートフォンは捕捉できない、理由は不明だった。京一がスマートフォンを所持しているのは確かだった。彼が、近隣の公園で、スズメの写真をスマートフォンで撮影していたことも、視認している。

 だが、京一の居場所がスマートフォンからは捕捉ができない。特殊な機器を使用しても、できない。それを使えば、端末の位置情報の機能をオフしても、捕捉からは逃げられないはずなのに、できない。

 奇怪なことが起こっている。

 それは、あの光るバトンによるものなのか。

 現代文明を無力化する妖気でも放っているのか、あれは。

 と、ミナミは考えて、頭を振り払う。ありえない、非科学的な、と、典型的な否定言語表現を持ち出し、深みにはまることを回避した。

 いずれにして、バトンを所持する京一を、電子機器によって二十四時間ずっと捕捉することは不可能だった。だが、京一は、多くの時間を、友人である七見と行動をともに過ごしている、頻繁な接触がある。ならば、七見を捕捉しておくことが、京一の行動、位置を把握することにつながる。

 とうぜん、七見の身辺に関しての調査は住んでいる。あの少年は、役者をやっていること以外、これといって、特出すべき、異質な人物ではない。

 京一についても、調べは済んでいる、こちらも不可思議な経歴などは微塵もない。

 これまでに、社会的な問題を起こした記録はない。車がまったく通らない横断歩道でも、信号が赤なら待つような少年である。

そして、京一は七見とともに、役者の世界に身を投じている。その活動資金を得るため、フードデリバリーのアルバイトにいそしんでいる。京一の方は、あのバトンを肌身離さず、この夜も、バックを背負って、自転車でこの町のどこかを駆け抜けているはずだった。

 ミナミノはスーパーマーケットの看板の縁に立ち続けていた。上からは、下を歩く人の姿も、車のもよく見えた。しかし、下からは、光のないところにいるミナミノのことは、やはり、見えないらしい。下では、若い男女が楽しそうに通り過ぎてゆく。ここに彼女がいるとも想像していない。

 と、ミナミノは、肉眼を下界から外し、顔をあげた。

 依頼人である、あの海の老人はこう命令した。

『決して、バトンを強襲して奪ってはならぬ』

 バトンを持つ相手は、この国の一介の高校生に過ぎない。

 強引に襲って奪うのは、かんたんだった。

 無論、襲って奪うという蛮行は、よろしくはない。そういう、品の無い仕事は避けたい。だが、彼女は、腕に自信はあるが、業界に身を投じた者としては、新参者だった。まずは、多少の納得できない依頼内容だろうが、厭わず務め、達成し、名をあげることは重要だった。そのためには、魂の一部を犠牲にする覚悟はある。そもそも、魂を切り売りする世界であるとも認識はある。

 魂のすべてを売る気はなかった。いいや、けっきょく、最後はすべて売ってしまうかもしてないが、それでも、そういう気概を保とうは決めていた、魂のすべてを売り物にしない。むろん、思い通りに生きられないのかもしてない、しかし、思い通りに生きるようとすることは、捨てない。

 などと、そこまで考えて苦笑する。

 しょせん、小悪党に過ぎない自身が、何を心で意気込んでいるのだろうか。

 嘲笑する。

 それからひとりつぶやく。

「ハツラツとした高校生なんか、ずっと監視しているから、青空みたいな思想が感染したんだな」

 そう、あえて嘲笑できるような、陳腐なセリフを口にして、より嘲笑する。

 自身のすべてへ言い聞かせる。滑稽と思え、そうやって乗り切れ。

 演じろ、そういう人間を。そういう世界が舞台だと思い込んで。現実には、すべて終わってから戻ればいい。

 思い、それから息を吸って吐く。

 海の老人の言葉を思い出す。

『あのバトンは、その持ち主が偶然に手放さなければ、次の者は手に入れることが出来ない』

 最初にそう言われたときは、やはり、まったく理解不能だった。

 なにを言い出したのか。しかし、見返した海の老人の眼光は強く鋭く、只ならぬ迫力があり、奥底には闇色の沼がある。

 本気だった。茶化ではない。狂っているわけではないのだ、海の老人の思考は、彼の完全な管理下にある。

『偶然がいる、奪うのではなく、偶然、あの少年がバトンを手放すように仕組め、それがおまえの役目だ。少年が、バトンを手放したとき、わしがそれを拾う。わしがこの手で拾う必要がある。おまえが拾って、それをわしに渡しても、意味はない。そんなことをすれば、あのバトンはふたたび、この世界から姿を消す』

 ミナミノの最初の理解では、こうだった。

 かりに、おまえが、あのバトンを少年から強奪したとする。

 それを、わしに、高値で売るような真似はするな。

 脅しか。

 いいや。

 やがて、ちがうとわかった。

 京一が、偶然に落としたバトンを、直接、この老人がその手で拾わなければいけない。そうしなければ、バトンは老人のものにならない。

 それがバトンを手に入れるための、ふかしぎな強制ルールの説明だと、把握した。

「非科学的な」

 思い返しても、ミナミノはやはり、そういってしまう。

 とんでもない話だった。しかし、これは、駆け出しの自身としては、大きな案件ではある。

 ただ。

「ふしぎ案件」

 ふと、そう命名してみる。

「まあいいよ」と、誰へということもなく、ふわりと許容の言葉を口にした。「ヘンな依頼だって、やってやるさ、やってみせるさ」

 夜の闇へとけこませるようにいって、ふたたび深呼吸した。

 それから、この町に唯一、建っている、タワーマンションへ視線を向ける。

 ついさっきまで、七見と、小町という少女が、正面口で会話をしていた。もう、そこにふたりの姿はない。

 ミナミノは、タワーマンションへ向けていた両目を細めた。警戒すべき者へ向ける目だった。

 しかし、妙だった。不可思議だった。

 七見があのタワーマンションの敷地に入ったとたん、捕捉していた彼の位置情報が途絶え、消えた。

 もしかして、あのタワーマンションには、何か特殊な装置、仕掛けがしてある。でなければ、こちらの捕捉を剥がせるはずがない。

 ミナミノはそう推測しつつ、高さ二メートルはある看板の縁から、飛び降りる。

 着地した際、微塵の音もたてなかった。

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