第22話 光り放つ
その夜、七見が受けた最後の届け先は、駅前に近年完成したタワーマンションだった。
自転車をとめた七見は配達用の鞄を背負い、マンションの麓まで近づく、そこへ小町が立っていた。
学生服のままだった。マンションの正面玄関の向こう側から放たれる煌々とした光を背景に、立っている。
微笑まれ、偶然ではない、意志を持って、そこで待っていたのがわかった。ここに彼女が住んでいることは知っているとはいえ、完璧に、タイミングをはかったように、不自然にそこにいた。しかし、不気味さが微塵ない。
やはり、小町が口元へ添えた微笑みによる効果が大きい。その微笑みは、相手の懐疑心をたちまち氷解させてしまう、効能があるようだった。
そして、他の住民の姿はなかった。巨大で、光り放つタワーマンションの麓に、彼女しかいない。そこにいる知的生命体は、小町と、七見だけだった。
風のない夜だった。通りを行き交う車の音は途切れず聞こえるが、それでも静かに感じる。
「こんばんは」
小町はあいさつをし、胸元で小さく右手をふってみせた。一瞬、相手に逢瀬の待ち合わせかと、錯覚をまねきかねない動きをみせる。
「それ、うちが頼みました、七見くんがいま運んで来た料理」
そういわれ、七見はスマートフォンで確認する。
「注文した人の名前は偽名を使いました」小町が振っていた手を静かに下へおろす。「あなたを驚かそうと思って」
そう告げられ、七見はスマートフォンから視線を外す。小町を見返した。こちらの表情は無に保ったままにした
それから、七見は一メートルほどの距離まで近づき「こんばんは」と、あいさつをした。「小町さん」
「それが今夜、最後の届けものですよね、あなたの」
指摘され、七見は少し間をあけてから「そうですよ」と認めた。
「知っていました」小町はいって少しバラけた耳元の髪を指ですくって整える。「ねらって、注文しました」
「器用、ですね」
「情報はつつぬけるものです」
「そういうの、隠さないですね」
「わたしたちのこと、少しはこわくなりましたか」
試すように言う。ただ、嘲笑いではなさそうだった。いじわるに、くすぐる、そういった感触にちかい。
七見は「わたしたち」と、小町の発言の一部をひろう。「わたしたち、ってことは、小町さんって、きょうだいとか、いるんですか」
「いいえ、母とふたり。でも、心強い親戚は、たくさん」といって「素敵なひとたちです」と、自然とそう口にした感じだったが、作為的な捕捉にもきこえる。
七見はほとんど口を開かないまま、ひっそりと深呼吸した。意識して、じっくりと心臓へ酸素を送り込む。
「配達に来ました。受け取ってください。シナモンロールと、ラテ」
「仕事優先なんですね」
「いまやるべきことは、これですから」
小町は互いに手を伸ばせば届く距離で「ここまで運んで」と、いった。七見は、背負っていたカバンを肩から外し、商品を取りだすと、小町により近づき、手を伸ばして渡す。
すると、小町から七見へ距離をつめて受け取って来た。靴先が、靴先にふれるほどの距離だった。
正面から向かい合う。目が近い、互いのまつ毛の形までわかる距離だった。小町はそのまま、七見の目を見続け、やがて「ありがとう」といった。
箱を持つ手に、手もかさなっている。冷たい手だった。
渡すと、七見はその距離のまま「演技ですね」といった。
「本気かもしませんよ」と、小町が少し笑う。
七見は少女の背後に聳えたつ、タワーマンションを見上げた。そして「ここに、ぼくたちを招くんですね、日曜日」訊ねた。
「七見くんのご協力のおかげです、お礼を言います、あなたがいてよかったです。そう、母もお礼を言っていました」
「わな、なんですよね」
「はい、わな、です」認めながら、小町はシナモンロールが入った箱をあける。中には、微塵の崩れも綻びもない、シナモンロールとラテが入っている。「七見くんなら、信頼できると思って、巻き込みました」
箱の中を見つめ、そういった。
「ほんらい、わたしは、こんなふうに露骨に誰かに言ったりする人間ではありません」
対して、七見には、それをどう反応すべきか迷っていた。
だが、答えを出すより先に小町が言う。
「けど、あなたは、演技を見抜くんだもの」
すると、七見は「強敵でいようとは、していますから、あなたの」と宣言した。
「七見くん」
「はい」
「小さい頃から、役者さんをやっているんですよね」
「はい」
「好きなんですか、演じるが」
「なんか、会話の種類が変貌しましたね、テイストが、しゅわ、っと変わった」
「だめなの」と、問われる。「話、かえるましょうか」
七見はわずかに息を止めて、静かに呼吸を再開し「いえ、ためしてみます」と応じた。「ゲーム続行で」
小町は微笑みを入れた。
「作品を観ました。あなたが画面へ映っている作品、ぜんぶ見たの」いって、小町は斜め下へ視線を落とす。
「そんなに数がないですから、出てるの。セリフもないし」
「あなたのお母さんが、小さなあなたを役者にしようとした、お聞きました」小町は詩を口にしているような言い方で問う。「それって、もしかして、あなたのお母さんが、いまのあなたという人間をつくった、ってことかな」
回りくどく、そして、どこか意地悪さを含んだような投げかけだった。だが、小町の独特なしゃべり方の効果か、攻撃性が露呈していない。
「母さんとの仲はいいです」七見は、落ち着いた声で言い切った。「いまは、もう現場までは一緒に来ないですが。うちの家族は、そうですね、ほかほか家族ですよ」
そこまで言って、七見はふと、なにかを思い起こすような表情をした。
「でも、そういわれてみると、どこかのタイミングから、独りになったんだっけ」そういって、七見は考え出す。「母さんから、役者のことは」
「いまは、あなたの意思で、演じているのですか」
問われると、七見は飄々した口調で「どうですかね」と答えた。「不明ですね」
「不明なのか」すると、小町は問いかけではなく、独白のように言った。「ねえ、あなたも、あなたのお母さんの作品なのかしらね」
妙な言い回しで訊ねる。しかし、それは、彼女自身への問いかけにもきこえる。
そして、七見が何かを答えそうになる前に、小町は「そうなの」と、間をうめるように、なんとなくいって「調べたよ。わたし、あなたのこと」と、そう続けた。
七見は「バトンを持ってるのは京一くんだし、ぼくより京一くんのことを調べた方がいいと思うのは、ぼくが素人だからだろうか」と、独り言のようにいった。「いや、ここで提言している、その素人というのも、なんの素人なのか、じぶんで言といて、定義できてないで言っています」
「京一さんの方だって、調べました。あの方には、秘密みたいな秘密がなかった。守るべき情報がない人だった。すべてわかった。わかったけど、でも、やっぱり、あなただ」
「やっぱり、ぼく」七見は瞬きを挟んで「なぜ」と訊ねる。
「京一さんを攻略するなら、あなたを篭絡させるのが、いちばんカロリーが少なくて済みそう」
「カロリーを気にしてたら、会心の演技は遠ざかり、おしいごはんからも遠ざかりそうだ」
「いいのよ」
小町はそっと、視線を外して、微笑みではなく、笑みを浮かべた。その反面へ電灯の明かりともし、もう半面は、濃い闇で覆われる。
「べつに、いいのよ」
「小町さん」
「なに、七見くん」
「そろそろ、ぼくは引き上げます。この仕事の最後は、毎夜おなじみのコンビニの前で、京一くんとの一礼で終わるので。べつにしなくてもいいです、一礼ですが。でも、彼を待たせると、大変なんです。彼は、ぼくとあの、暗黙の約束を果たすために、その生涯を投じてでも、あそこで待っていかねませんので」
「一大事を生産するひとなのね」
「ばっちり、その通りです。好い見切りです」
「褒められちゃった」微笑み、小町は顔を動かし、闇で覆っていた半面を、月明かりの下へ戻す。「やった、仲間になった気分だ」
戯れるようにそういった。それから、小町は続けた。
「『稲里みほり』さん、あの女優さんは、お知り合いなのですか」脈絡なくそれを問われ、七見は見返す。小町はそこで告げる。「あの綺麗な女優さん、稲里みほりは、七見くんと、知り合いだって、調べたら出て来た情報です」
小町の声が、わずかに大きくなる。
七見は、しばらく動きをとめていた。だが、やがて、大きく息を吸って吐く。
「最後に差し込んできましたか、飛び道具みたいなの」いって、また、すぐ嘆息した。「狙ってましたか、去り際の、ぼくのゆだんしたところへ」
そういうと七見は小町を見返す。落ちついた表情だった。
「小町さんは、ほんと、歯ごたえのある人ですね。勢いが、ずっと続いている」
ほとんどつぶやきのようなしゃべり方で、妙な表現を放つ。きかされた小町は、一瞬、きょとんとした。
そこへ、七見は一礼する。
それから、後ろへさがって、夜のなかへ身を沈めて去っていった。
その様子を見て小町はいった。「おかしい人。舞台そでから、はけるみたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます