第22話

「で、秋崎のせいで負けた」

 後日、京一は、七見へそう報告した。

 午前中の授業が終わり、昼休憩となっていた。

 青く晴れた空の下、屋上の縁へふたり並んで座り、昼ごはんを広げている。七見は家から持ってきた弁当で、京一は購買で購入したアンパンふたつだった。

 ふたりの横には、水巻が座っていた。彼女も持参の弁当だった。

 昨日、京一が野球の助っ人へ借りだされた件は、七見も事前に聞いていた。野球部員の役を与えられた、という内容だった。

 七見は弁当箱の中から、きれい黄色一色でつくられた卵焼きを箸で掴みながらいった。

「キャプテンがホームラン打ったのに負けたの」

「ああ」

「なぜ、ホームランで負け。そんな魔法みたいな負け方できるだっけ、野球って」

 卵焼きを口運ぶ。

「七見くん」

 と、京一が名を呼んだ。すると、七見も反射的に「京一くん」と呼び返す。

 そして、京一は遠くを見た。その先には同じように、屋上でたのしげに雑談をしながら仲間たちと食事をする生徒たちの姿がある。

 京一は、かなしい目をして語った。

「だって秋崎は、一度、完全に選手交代したのに、また試合に出て打った。つまり、反則負けだ」

「やりきれないね」七見のコメントは早かった。「味方は、誰も気がつかなかったんだ」

「しかし、相手チームは気づいた。野球に対する、愛の強さ、そのちがいで負けたといえる」

「んー、それで負けたといって、いいのかなあ」

 あくまで感想にとどめたものをこぼし、七見は水筒からお茶を飲む。

 京一は、かなしい目のまま、袋の封を切ったアンパンを見つめていた。その鳳凰のような眼でアンパンを凝視しているため、水巻が「ねえ、そんなに睨んだら、アンパンの味、変わちゃうよ」と、根拠のない注意をしてゆく。

 すると、京一はかなしい目のまま、顔をあげた。

「あんこの量が、へっている」

 七見は興味なさそうに「それについての、かなしみなんだね」といった。「その目は」

 そして、七見は弁当から小さなコロッケを箸でつかむ。

京一は「七見くん、まさか、そのコロッケの中身が、あんこだったしないよな」と、聞いて来る。

「それ、なんための質問がわからないから、無視するね」と、七見は、無視することを無視しないで、答え返しておく。奇妙な誠意といえた。

 となりにいた水巻は、ふたりを一瞥もせず「人間になるためのリハビリのやりとりを目の当たりにしている気分だ」と、感想を述べた。

 三人の食事進行とは、無関係に、屋上で食事をとる、他の生徒たちの会話は弾んでゆく。

 そして、ふと、三人の食事には会話の空白期間が訪れていた。それぞれが黙々と食事をする。

 攻撃力のある眸を持つ京一だったが、いまはアンパンへ向けているので、目立つこともない。

七見でいえば、幼少期から子役をし、いまも活動中であることは、校内では比較的知れ渡っているが、無差別にひとめに着くような作品に出ていないことと、彼自身の静寂性を帯びた性格上、黙っていれば、はやり、目立つこともない。

水巻に至っては、特質すべき外見的特徴、および、他者の気を引くようなステータスは保持していない。ただし、京一と七見、という両者とともに食事をしている点において、三者のなかでは、彼女がもっとも目立っていたといえるが、それもしれた注目度に過ぎなかった。

はたから見れば、会話の途切れた食事の光景でしかなかった。

ふと、水巻が「よし、話題を提供してみる」と、攻めの姿勢を見せた。「いっそ、身を切って提供する」

 七見は「きいて驚く演技なら出来るよ」と、先に伝えておいた。「今日もすでに何回かやったし」

 かまわず、水巻は言う。「わたしのパパ、もとプロレスラーだった」

 きいて、七見は「なるほど」と、一度、受け止めて「演技プランの構想をねるから、少し時間をください」そう、中途半端な敬語で返す。

 そして、ふたたび、沈黙の間が流れた。

 やがて、水巻は抑揚のない口調で「ウソでも盛り上がれよ、インチキやろうどもが」と、注意と罵詈合体させたものを放つ。

 そのとき、京一が顔をあげた。

その動きに気づき、七見も顔をあげる。

 最後に顔を向けた水巻の視線の先には、女子生徒がいた。小町だった。

 転校初日いまだに、べつの高校の制服を着ている。屋上に吹く、ささやかな風に髪を遊ばせ、やはり初日以来、変わらぬ微笑みを浮かべていた。

「七見くん」

 と、呼ばれ「小町さん」と、七見は返す。

 小町が昼食を手に持っている様子はない。いっぽう、彼女の訪問により、それまで注目とは皆無だった三人の方へ、他の生徒の視線が集まる。注目度がとたん、増加した。

 しかし、三人への一瞥は一瞬でだった、あとは小町のみを注目する。転校初日を起点として、べつの高校の制服で同校に現れた小町について、生徒の男女区別なく、その印象は、総じて校内の誰よりも可憐だと噂されていた。誰でも等しく、微笑み。ところが、間近で微笑まれた者は、なぜか、じぶんにだけ、とくべつに微笑まれたと思う兆候があった。

 彼女は、またたくまに高い人気を得ていた。むろん、早々に、校内でも彼女に対して嫉妬する者も生産された。だが、嫉妬した者も、ひとたび小町に近くから微笑まれると、落ちてしまい、嫉妬を捨てる。

 代わり、濃い陶酔へと移行さえする場合がある。

 魅惑へ囚われそうになり、そして、小町には、華があった。咲いた華だった。

 その小町が、校内で、妖怪チームめいた扱をされ始めている三名のもとを訪れる。

 ちいさな事件だった。

 小町は微笑み「ごめんなさい、お食事中ですね」といった。

 そして、応じたのは水巻だった。「はらぺこなのさ」といって、続けた。「どっこい、わたしはダイエットなどしない」

 脈絡ない宣言を放つ。すると、七見は淡々とした口調で水巻へ「わんぱくだね」と、心を込めずにいっておいた。無視するのも不憫だし、という意志を見せつつ、小町を見上げる。

 七見たちは屋上の縁に座っているため、小町とは視線が上下関係なった。

「何か用事かな」

七見が訊ねた。

「はい」

小町がうなずく。

 京一は、そのやり取りを黙って見ているだけだった。

「京一さんにお礼がしたくて」

 そう、小町がいう。すると、水巻が、ぱっ、と京一を見た。京一は至近距離で水巻と目が合うと、やがて「やあ」とあいさつした。

 水巻も「やあ」と返す。

 小町が提示した話題は、京一へのお礼の件だった。しかし、彼女が微笑んでいるのは、眼下の七見へ対してだった。京一への窓口として選んでいる。

 使われようとしている、消費しようとされている。それは七見も理解した様子で「だって、京一くん」と、そっと小町から視線を外してそういった。

「ストーカー、追い払ってくださった、お礼まだでしたから」

 京一は「気づかいは不要です」と、いった。「オレは何もやっていない」

 すると、七見は「きみの、何もやっていない、ってセリフは、どこか、無罪の主張に聞こえるんだよね」と、感想を述べる。「いつも」

 そこへ水巻ものっかる。「そうさ、何もやってない、ってヤツは、だいたい、やってるのさ」

 好き勝手にいって、弁当へ箸を差し込み、小さなハンバーグを掴んで、口に運ぶ。やや無理をして食べたため、リスのようの頬が膨らんでいた。

 小町はまた微笑んだ。

「仲がいいのですね」

「七見くんとは来世も一緒さ」京一が言い切る。

 すぐに七見は「キツい」と、一言で返す。

水巻は乱暴に口へ放り込んだハンバーグの咀嚼に苦戦しているため、無言となる。

「うちの、ご招待しようと思って」

 そういって小町はスカートの裾を手で抑えながら、水巻の隣へ腰を下ろす。

 いぜんとしてハンバーグを咀嚼しながら、水巻はすぐ近くになった小町の横顔を凝視する。

 四人が横並びになり、ひとり別の学校の制服姿の小町は、列のなかでは際立っていた。彼女ひとりの存在が周囲からの注目度を高く維持し続けている。

「母からもアイディアがあって、京一さんへ、お礼に、お料理を用意したいって」

 微笑み、小町が告げる。京一はアンパンをみつめたまま「大きな話なだ」といった。

「母は、料理が上手なのです。わたしも、お手伝いはしますけど、でも、まだまだです。母には、勝てないんです」言って、微笑み直し「それで、あの、七見くんもご一緒にいかがですか、ぜひ」そう続けた。

 七見は答えず、静かに視線を外す。あさっての方向を見て「んんー」と、うなった。

 作為のある間なのか、否か、という微妙な頃合いで、小町が水巻へ向け「ねえ、よかったら、あなたもどうぞ」と誘う。

「う、わたしもかいな」

 ハンバーグを飲み込んで水巻はいった。

「ええ、せっかくなので」

「ちなみに、どこにお住まいで」

「駅前のマンションです。少し前に完成した」

 最近、駅前に完成したのは、タワーマンションだった。この町で、唯一、天を突くような高さの建造物だった。

 その情報を与えられ、水巻は目を細めて「ああ、あの塔」といった。

「はい」小町は、ふふ、とちいさく笑って「そうですね、塔、あの塔です」そう答える。

 水巻は「駅前か、なら」いって、思考する表情をみせた。「電車賃が、かかない。ねえ、京一氏、電車賃がかからないでごはん食べれるよ」

 京一はただ見返すのみだった。そのまま、水巻がいった。

「あの塔さ、わたし、いちど、中を拝見してみたかった」願望を口にし、その流れで「内見予約します」と、勝手に決定した。

「わかりました。では、今週の日曜日は、どうですか、みなさんのご都合は。京一さんや、七見くん、もしかしたら、撮影とかあったり」

「急に入る場合もあります」と、七見が答える。「売れていないので、足りない小道具と似たような立場なので」

「そっか」小町はそういって、少し声を小さくした。「じゃあ、先日の日曜日は、わたし、運がよかったんだ」

 一緒に動物園へ行った件を、京一と水巻が知っているのかどうかを試すような発言にもきこえる。

「ぼくは、たのしかったです」

 七見は躊躇なくそう答えて笑った。

 何かを演じる者同士の真剣での斬り合い。にも見えた、だが、そうではないようにも見える。

 小町は微笑み直した。そしてあとは何もいわず、小さく手をふって、三人のもとを離れてゆく。屋上の出入り口まで歩みその様子を、他の生徒たちは自然と見送る。

 七見も見送っていたが、視界から小町が消えてしまうまえに、京一へ顔を向けた。

「京一くん」

「七見くん」

「バトンは」

 問いかけると、京一は空になったアンパンの袋をたたみ、制服の上着のポケットへしまいながら答えた。

「オレの心臓ちかくで、光っている」

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