第20話 グラウンド
こうして、野球部の練習試合は再開される。
そして、逆転した。
相手のチームが、みごと、すぐ逆転した。
「たしかに逆転だ」ベンチで水巻が足元にたまった少量の砂を、靴でもてあそび、円をつくりながら言った。「京一くんの醜態で、逆転だ」
水巻はめくり式のスコアボードを見る。四対二で勝っていた試合が、最終回を迎え、四対六となっている。
とうぜんだった。京一の守備はザルだった、無能だった。相手がそこへ打てばかならず、京一が守備をしくじり、ボールが抜ける。
「ぼんこつ」
マネージャーの美佳子がつぶやき、スコアノートにも、ぽんこつ、と書き記す。野球部の歴史として、記録したかたちだった。そして、ぽんこつ、という文字だけでは気持ちがおさまらなかったのか、文字のよこに、妙なイラストを描く、その下に、ぽんこつくん、と名をづける。確実にダメそうな、顔のキャラクターだった。手にはグローブを持ち、ゆるいフライを取り逃がしている。そんな不要な躍動感まで込めてかかれている。
それでも味方チームの健闘により、最終回の表の守備を何とか六点に抑えることに成功した。
「敵に知られた」と、マネージャーの美佳子が言い切る。「京一くんが野球は素人だってこと」
「ちがうよ」そこへ水巻が顔を左右にふった。「京一くんは、素人、以下。むしろ、ただの邪魔、お荷物、負債、酸素を減らすだけの生き物」
好き勝手に言い放つ水巻を、他の部員たちが困惑した表情で見ている。
そして、すぐそばには、愚弄の対象である京一がいる。
すると、京一は水巻へ顔をむけて告げた。「野球のルールはおぼえた」
「わあ」聞いて水巻は「会話の流れを無視しての、発表ときたもんだ」と、いった。
すると、マネージャーの美佳子が「そういえば、あなたどなた」と、あらためて水巻に身元を問う。「急にベンチ入りしているし、しかも、私服で」
「かわいい服でしょ、小学生用の服だけど、わたしが着れば、魔法のようにオトナコーデさ」
「うん」
と、美佳子は適当に半の死、ふたたび問う。
「あなたの顔は見たことある、同じ学校だよね」
「わたしもあなたの顔を見たことがある。といっても、いつも眼鏡でマスクなので、正確に顔を見たことがあると、やすやすと言い切っていいとは思ってない」
「理屈っぽい」美佳子は言って、グラウンドと空を見た。「でも、嫌いじゃないねえ、あなたみたいなオンナ」
そこへ京一がグラウンドを見据えながら言う。「野球によって、生まれた友情か」
そして、他の部員たちは、ただ困っていた。この状況を処理できる者がおらず、無法地帯にいる心境でしかない。
いっぽうで、試合は逆転されている、四対六で負けている。
しかも、いまは最終回。こちらの最後の攻撃となる。
監督は不在である。キャプテンの秋崎もいない。
すると、選手のひとりが「また負け試合か」と、つぶやいた。「だめか」
「試合に負けるのはいい」そこへ京一が言い放つ。「だが、いまこの瞬間を投げ出すな」
その発言に、一同は顔をあげる。
「最後まで自分だけは、自分を裏切るな」
京一の声が味方ベンチ全体へ響く。
良い、声だった。耳にしたもの、脊髄に反響するような。
すると、水巻が「京一くん」と、名を呼んだ。「いま、この瞬間に、それが適しているセリフかといわれれば、かなりあやしいけど、なんか、たいへん、よかったよ。うん、雰囲気勝ちだ、雰囲気で勝ててる、勝ててる」
と、褒めと、愚弄を混ぜたものをいった。
「マネージャーさん」京一は美佳子へ顔を向けた。「オレの打順は来ますか」
「………え、ああ、おおう、く、来るよ。三人目だね。だからー、ええっと、あくまで儚い夢のはなしをするとね、ふたりが先に類へ出て、あなたがホームランを打てば、逆転だ、まあ、幻の未来図だけど、実現不可能な内容だけど、ぽんこつくん」
「そうか」
うなずき、京一は敵陣を見る。
すでに守備についた相手チームは、いったい、なにをぐずぐずしているのか、そういった表情をしていた。
「向こうは日ごろ、命懸けで野球を練習している。オレはただ、今日、野球部員を演じるよう、頼まれただけだ。命懸けで野球をしている奴らに、そんな奴が勝つのは困難だ。でも、オレは与えられたこの役をやり切る。野球部の、切り札の役を」
美佳子は話す京一の横顔を見ていた。鳳凰のような眼は、陽に反射して、赤くみえた。しばらく、見上げた後で、彼女はいった。「いや、切り札の役ではないはず」
真っ向から否定する。
そこへ、ヘルメットを装着済みの野球部の部員が声をかけづらそうにして「あの、ぼく、打順なんで、行ってきます」と、バットを持って告げてきた。
その後、味方チームの打順が開始される。一人目が、打った。一塁へ走者が出る。
さらに二人目も打つ、走者が一塁、二塁となる。
「ノーアウト、一塁、二塁」美佳子がペンをぐっと握った。「この場面で、あなたね」
京一を見る。すでに、ヘルメットも、バットも持っている。
「一打大きいのが出れば、逆転のチャンスです。こういう場合、ツーアウトの状況の方が、より盛り上がるけど、そこは置いといて、京一くん」
名を呼ばれて、京一は美佳子を見てうなずいた。
「あ、タンマ、タンマー」
そこへ、気の抜けた声がかかる。
「ただいま」
一同が見ると、監督だった。その後ろには、救急車で運ばれたはずの秋崎がいる。部員はほぼ同時に「あ、キャプテン」といった。
そして、近くの部員が秋崎へ「え、だいじょうぶですか?」と、問う。
「うん、無事だった」秋崎はうなずき答える。「打ちどころがよかったのか、無傷過ぎて、すぐ病院から帰されてさ」
しゃべり方にも問題なさそうだった。
そして、秋崎は「お、ちょうど、ぼくの打順だね」といって、ヘルメットをかぶると、バットを手にとった。「いよーし、一塁二塁、一打逆転のチャンスだね、よしよし」
秋崎は打つ準備が完全に整っていた京一へ、一礼すると、打席へと向かった。
どうなんだろう、これ。という、その場の雰囲気のせいか、誰も発言しない。
あげく、秋崎はその打席で、ホームランを打った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます