第21話

 こうして、野球部の練習試合は再開される。

 そして、逆転した。

相手のチームが、みごと、すぐ逆転した。

「たしかに逆転だ」ベンチで水巻が足元にたまった少量の砂を、靴でもてあそび、円をつくりながら言った。「京一くんの醜態で、逆転だ」

 水巻はめくり式のスコアボードを見る。四対二で勝っていた試合が、最終回を迎え、四対六となっている。

 とうぜんだった。京一の守備はザルだった、無能だった。相手がそこへ打てばかならず、京一が守備をしくじり、ボールが抜ける。

「ぼんこつ」

 マネージャーの美佳子がつぶやき、スコアノートにも、ぽんこつ、と書き記す。野球部の歴史として、記録したかたちだった。そして、ぽんこつ、という文字だけでは気持ちがおさまらなかったのか、文字のよこに、妙なイラストを描く、その下に、ぽんこつくん、と名をづける。確実にダメそうな、顔のキャラクターだった。手にはグローブを持ち、ゆるいフライを取り逃がしている。そんな不要な躍動感まで込めてかかれている。

 それでも味方チームの健闘により、最終回の表の守備を何とか六点に抑えることに成功した。

「敵に知られた」と、マネージャーの美佳子が言い切る。「京一くんが野球は素人だってこと」

「ちがうよ」そこへ水巻が顔を左右にふった。「京一くんは、素人、以下。むしろ、ただの邪魔、お荷物、負債、酸素を減らすだけの生き物」

 好き勝手に言い放つ水巻を、他の部員たちが困惑した表情で見ている。

そして、すぐそばには、愚弄の対象である京一がいる。

 すると、京一は水巻へ顔をむけて告げた。「野球のルールはおぼえた」

「わあ」聞いて水巻は「会話の流れを無視しての、発表ときたもんだ」と、いった。

すると、マネージャーの美佳子が「そういえば、あなたどなた」と、あらためて水巻に身元を問う。「急にベンチ入りしているし、しかも、私服で」

「かわいい服でしょ、小学生用の服だけど、わたしが着れば、魔法のようにオトナコーデさ」

「うん」

 と、美佳子は適当に半の死、ふたたび問う。

「あなたの顔は見たことある、同じ学校だよね」

「わたしもあなたの顔を見たことがある。といっても、いつも眼鏡でマスクなので、正確に顔を見たことがあると、やすやすと言い切っていいとは思ってない」

「理屈っぽい」美佳子は言って、グラウンドと空を見た。「でも、嫌いじゃないねえ、あなたみたいなオンナ」

 そこへ京一がグラウンドを見据えながら言う。「野球によって、生まれた友情か」

 そして、他の部員たちは、ただ困っていた。この状況を処理できる者がおらず、無法地帯にいる心境でしかない。

 いっぽうで、試合は逆転されている、四対六で負けている。

 しかも、いまは最終回。こちらの最後の攻撃となる。

 監督は不在である。キャプテンの秋崎もいない。

 すると、選手のひとりが「また負け試合か」と、つぶやいた。「だめか」

「試合に負けるのはいい」そこへ京一が言い放つ。「だが、いまこの瞬間を投げ出すな」

 その発言に、一同は顔をあげる。

「最後まで自分だけは、自分を裏切るな」

 京一の声が味方ベンチ全体へ響く。

 良い、声だった。耳にしたもの、脊髄に反響するような。

 すると、水巻が「京一くん」と、名を呼んだ。「いま、この瞬間に、それが適しているセリフかといわれれば、かなりあやしいけど、なんか、たいへん、よかったよ。うん、雰囲気勝ちだ、雰囲気で勝ててる、勝ててる」

 と、褒めと、愚弄を混ぜたものをいった。

「マネージャーさん」京一は美佳子へ顔を向けた。「オレの打順は来ますか」

「………え、ああ、おおう、く、来るよ。三人目だね。だからー、ええっと、あくまで儚い夢のはなしをするとね、ふたりが先に類へ出て、あなたがホームランを打てば、逆転だ、まあ、幻の未来図だけど、実現不可能な内容だけど、ぽんこつくん」

「そうか」

 うなずき、京一は敵陣を見る。

 すでに守備についた相手チームは、いったい、なにをぐずぐずしているのか、そういった表情をしていた。

「向こうは日ごろ、命懸けで野球を練習している。オレはただ、今日、野球部員を演じるよう、頼まれただけだ。命懸けで野球をしている奴らに、そんな奴が勝つのは困難だ。でも、オレは与えられたこの役をやり切る。野球部の、切り札の役を」

 美佳子は話す京一の横顔を見ていた。鳳凰のような眼は、陽に反射して、赤くみえた。しばらく、見上げた後で、彼女はいった。「いや、切り札の役ではないはず」

 真っ向から否定する。

 そこへ、ヘルメットを装着済みの野球部の部員が声をかけづらそうにして「あの、ぼく、打順なんで、行ってきます」と、バットを持って告げてきた。

 その後、味方チームの打順が開始される。一人目が、打った。一塁へ走者が出る。

 さらに二人目も打つ、走者が一塁、二塁となる。

「ノーアウト、一塁、二塁」美佳子がペンをぐっと握った。「この場面で、あなたね」

 京一を見る。すでに、ヘルメットも、バットも持っている。

「一打大きいのが出れば、逆転のチャンスです。こういう場合、ツーアウトの状況の方が、より盛り上がるけど、そこは置いといて、京一くん」

 名を呼ばれて、京一は美佳子を見てうなずいた。

「あ、タンマ、タンマー」

そこへ、気の抜けた声がかかる。

「ただいま」

 一同が見ると、監督だった。その後ろには、救急車で運ばれたはずの秋崎がいる。部員はほぼ同時に「あ、キャプテン」といった。

 そして、近くの部員が秋崎へ「え、だいじょうぶですか?」と、問う。

「うん、無事だった」秋崎はうなずき答える。「打ちどころがよかったのか、無傷過ぎて、すぐ病院から帰されてさ」

 しゃべり方にも問題なさそうだった。

 そして、秋崎は「お、ちょうど、ぼくの打順だね」といって、ヘルメットをかぶると、バットを手にとった。「いよーし、一塁二塁、一打逆転のチャンスだね、よしよし」

 秋崎は打つ準備が完全に整っていた京一へ、一礼すると、打席へと向かった。

 どうなんだろう、これ。という、その場の雰囲気のせいか、誰も発言しない。

 あげく、秋崎はその打席で、ホームランを打った。

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