第20話

 マネージャーの美佳子を先頭として、所属校の野球部員たちは救急車を並んで見送った。

 監督も救急車に同乗した。

そして、見送りながら美佳子が言う。

「彼、運がなかったのよ」

 眼鏡にマスクを顔につけ、風に髪を揺らしながら。

「運?」横に立っていた野球部員たちが問い返す。

「だって、わたしがリップぬろうとして、マスクを外したとき、不意にくしゃみして、その勢いで眼鏡がとんで、そんなわたしの素顔を、外野フライをキャッチする瞬間に、見てしまったんだもの」

 遠ざかる救急車の赤い光と、サイレンを眺めながら言う。

 それを聞かされた野球部員は、みな、反応しなかった。内実は、適切な反応の仕方を、みつけられなかったといえる。

「わたしの素顔に見とれたの、あの人」マネージャーの美佳子は、眼鏡に光を反射させて断言する。「ごめんなさい」

 もはや、遠ざかるに遠ざかり、光もサイレンもきこえなくなった救急車へと向けて謝罪する。

 その場にいた野球部員は黙っていた。対処に、窮し、やはり、沈黙を持ってこれを乗り越えようとする。

「あの」

 そして、その沈黙を破ったのは、相手チームの監督だった、三十代前後の男性で、色つやの良い顔に、困惑をとらせている。その後ろに相手選手たちもいた。

「練習時代、これ中止だよね、監督さんも一緒に病院いちゃったし、そっちは八人しかいないし」

 と、実質、彼女がこの場を仕切っていると判断したのか、マネージャーの美佳子へ問いかける。野球は九人いないとできない。しかし、キャプテンの秋崎が負傷して、救急車で運ばれたいま、チームは八人しかいない。

 野球は、九人必要。

 すると、マネージャーの美佳子は、眼鏡の向こうから、じっと相手チームの監督を見返した後、それから味方チームの面々を見て、それからその場を離れる。

 歩いてたどり着いた先には、野球部のユニホーム姿の京一が座っていた。

「キョウイチくん」

 名を呼ぶと「はい―――」と良い返事をした。

「救急車を呼んでくれてありがとサン、おかげでキャプテンもマジ昇天しないで済んだ、わたしの魅力により」

「いいんだ」京一はうすくうつむいた。帽子に先で目が覆われる。「オレは、ずっと、ここでは無力だった」

「うん、敵の選手へストレスあたえるために、ベンチにただいて欲しいってお願いしたのは、うちだからね」

「オレが気に病むことはない」

「うん、それ、自ら言う種類のセリフではなかろうて」と、マネージャーの美佳子はあっさりと指摘し、指先で眼鏡をくい、っと上へ押した。「で、新規契約の話があるの」

 京一が顔をあげる。帽子の下から、鳳凰のような眼が見えてくる。

「野球、してみないかしら」マネージャーの美佳子は、グラウンドをみつめていった。ベンチに座る京一を見ていない。

 そのグラウンドではいま、試合中断が長引いた影響で、数匹の鳩が歩いてうろついている。

「やろう」

 と、京一が回答した。

「たとえ、球がこの心臓を貫いたとして、バットは離さない」

「期待している種類の言葉のたとえじゃない、けど」マネージャーの美佳子は、視線をグラウンドへ合わせたまま続けた。「わたしのために、戦ってくれるのね」

「ちがうがな」

 互いにグラウンドを見据えたまま会話する。

 やがて京一はベンチから立ち上がる。そのすぐ隣には、別の人物が座っていた。

 水巻だった。私服姿で座っている。灰色のセーターの右下には、白鳥の絵柄が縫い込んである。下は黒いスカートだった。

 その水巻へ、京一は問う。「そういえば、なぜ、きみがここに」

「書き込みで見た。あの人が書いた書き込み」と、水巻はマネージャーの美佳子を視線で示す。「みんな、観においでーって、書いてあった」

「みんな」

京一はつぶやき、観客を探す。しかし、誰もいない。

 鳩しかいない。

「人気ないのね」水巻が、オブラートにすら包まずいう。

 京一が「ゆるしてやれ」といった。

 マネージャーの美佳子は、きこえないふりをしている。

「いってくる」

 と、京一はヘルメットをかぶり、バッドを手にした。

 すると、水巻が「京一くん」と、名を呼んでいった。「わたしを甲子園に、つれてって」

「無理だ」すぐに答え返す。「オレは野球部員じゃないから」

 とたん、水巻は「オポッサム」といった。

「オポッサム」京一も反射していう。

 それからバッドを握り直し、グラウンドへ足を踏み入れる。ベースボールキャップのツバの影に沈ませていた、鳳凰眼で打席を見据える。

 すごい選手にみえる。

 しかし、この人は野球部でもなんでもない人。

 と、それは、その場にいた味方全員が知っていた。にもかかわず、どうしても、すごい選手にみえる。

「逆転を目指す」

 と、京一はいった。

 そこへマネージャーの美佳子が告げた。「ううん、いま、うちのチームがリードしてるから、逆転は無理」

「けれど逆転をする」

 京一は躊躇せず言い切る。周囲で聞いていた他のメンバーの表情に、つよい怯みが生まれた。

 こいつ、だめだ。どうして、こいつは、我々と同じ高校に入学できたのか。

 もしかして、合格採点システムに、致命的な誤りが。さかのぼって、受験システムへの不備への疑いまで達する。

 マネージャーの美佳子がさらに続ける。「あと、いまうちの守備の最中の回だし、京一くんの立つ打席は、ないよ」

 それを伝える。

 すると、京一は背中をベンチの人々へ伝えた。

「しかし、人はみな、いつだって生命という打席に立っている」

 そして、マネージャーの美佳子はいった。「素敵だけど、黙れ」

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