第18話

 相手チームの動揺は、試合終盤まで継続していた、揺らいだ心が立ち直れていない。

 理由はひとつだった、味方陣営のベンチにある。その青年。

 その存在感の、めいわくさ。

 ベンチに京一がいるからだった。ベースボールキャップの影からでも、その魔界の宝石めいた眸の、美しさない煌めきが、異様な存在感を放っている。未曾有の最新兵器のように。

 鳳凰のような眼で、じっと、相手チームの打席を見ている。

 ただ、見ているだけだった。まんじりともせず。その他威圧の挙動もない。

 しかし、それだけでも相手チームの打者は、ミスを重ねた。どうしても、京一を視線を意識してしまう。

 いうなれば、相手チームのベンチに、本当に、生きた、なまはげ的なのがいる感じ。

 そうではなかろうか。

と、秋崎はそう分析する。京一の眸に慣れるには、一日二日でとてもはたりるはずがない。クラスメイトである自分がそうだった。正直、いまでもなれていない。なれる自信もなかった。

 ゆえに、秋崎は彼を使えると確信した。京一には野球の経験がない。それでもこうして試合中、ユニホームを着せてベンチに彼を添えていれば、相手のチームの精神を蝕めるのではないか。

 そう予測し、実行した。キャプテンとしての、とぼしい権力を消費して。

 そしていま、試合は七階の裏。

 こちらの守備であり、相手チームは二人目の打席だった。

 四対二。こちらが勝っている。

 秋崎は外野を守りながら、ふと、俯瞰を心掛けて味方のベンチへ視線を向けた。しかし「うっ」となる。味方であるはずなのに、それでも京一を見ると、一瞬、うっ、と呼吸が乱れそうになる。

 無意識のうちに頬に流れた汗は、京一の放つ異世界生命体的存在感によるものか、あるいは、小春日和の日差しに、自前の敏感肌が反応したのか。

 いずれにしろ、汗をぬぐう。

 その間に、相手チームのバッターは三振となる。次の打者へと交代が行われている。

 秋崎は息をつき、秋崎は帽子を脱いだ。風を通し、短く切り揃えられ、頭蓋を包む髪の上へふたたび帽子を被り直す。

 秋崎は野球部に所属している。ポジションはレフトで、二年生にしてキャプテンだった。夏を待たずに二年生の秋崎がキャプテンである理由は明快だった、三年生の部員がひとりもいないためだった。野球部に所属している部員は、二年生と一年生のみで九人だった。野球チームとして、ぎりぎりのメンバー数しかいない。

 監督はいる。そして、マネージャーの浜崎美佳子がいる。同じベンチでも、少しは離れた場所に、彼いる、同じクラスメイトの、京一。

 彼は野球部ではない。しかし、野球部はいま、部員がぎりぎりだった。

 そして、日曜日の今日、午前中は自校の学び舎のグラウンドへ他高校の野球部を招いての練習試合の日だった。

 秋崎たちは日々、練習は行っている。しかし、相手の学校のチームに勝つのは難しい。向こうは県大会、四位である。

 コーチ同士が知り合いであり、そのつながりでこうして練習時代をする。半年前も練習試合をした。そして、大敗を期した。監督はいった「歴史的大敗だ」と。

 その後、監督は、ふふ、と笑った。

 部員は無視した。その大敗の歴史を生成したのは、無策に強豪校と練習試合をさせる、監督に他ならない。

 あなたのせいでしかないから。

 それは誰も口にはしなかった。しかし、顔には出した。露骨に。しかし、監督は気づかない。

 マネージャーの浜崎美佳子だけが「監督、よく考えてください」と、淡々と告げた。「まじ、考えてくださいね」

 あのとき、ぐいぐいといった美佳子を見る。彼女のベンチにいた。糸目の顔に、眼鏡をかけ、マスクを口につけている。野球部のマネージャーだが、野球の練習、試合で巻き起こる、埃が苦手らしい。

 それから秋崎は点数ボードを見る。いまは四対二で、こちらが勝っている。相手のミスにより、優勢に試合を進めている。このまま行けば勝てる。

 勝てば、マネージャーの美佳子が喜ぶはず。

 そう願い、秋崎は京一をベンチに配置した。相手チームに、精神攻撃をするために。

 向こうはずっとこう思っているにちがいない、相手ベンチに、なにか妖怪めいた選手が控えている。妖怪めいたというより、もはや、本物の妖怪で。妖怪選手にちがいない。もし、あれが試合に出て来たらどうなるのだろうか。

 自動的に、不の方へ、想像してしまう。いっぽうで、京一は野球の経験はない。

 むしろ、京一が試合に出ると、相手チームが断然有利になるというのに。穴だった、ざるだった。

 そのとき、打席にたっていた相手チームのバッターが空振りした。味方の投手の甘いコースだったにもかかわらず、バットへボールをあてることができない。

 京一はじっと打者を見ている。

 クラスメイトの秋崎にしても思う、あの視線で、ずっと見られたら、内臓のひとつでも痛んでしまはないか。

 身震いをした。

「卑怯ではない」と、秋崎はつぶやく。「これは卑怯ではない」

 そう言いきかせる。

 勝てばいい、勝てば、マネージャーの美佳子が喜ぶ、はず。

 と、勝手に想像して、秋崎は、その内部で濃密な自己肯定を煮込んでいた。ぐつぐつと、音をたて。

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