Bパート はじまる、ゲーム

第17話

 日曜日は曇り気味だった。

 七見は小町と並んで立ち、檻の向こうにいる、手の平に、ぎりぎり乗らないほどの大きさがある、白い生き物たちを眺めていた。

 私服の七見に対して、小町は高校の制服だった。七見は檻の前に提示してある紹介文を見て「ミナミオポッサム」と、読み上げた。その声は、まるで、はじめて言葉を しゃべった人のような、奇妙な存在感があった。

 対して、檻のなかには、鼻の長くとがったネズミめいた生き物たちが、ぼんやりと木のあちこちに宿っている。

 小町は「これが、オポッサム」と、つぶやきながら、檻の向こうの小さな生き物たちへ視線を向け続けた。

 都心から、やや遠い休日の動物園には、多くの来園客でにぎわっていた。ベビーカーを押して歩く者や、あちこちの動物たちに気を散らして歩く幼子の姿も多い。

 そして、ふたりのように、人のつがいになってやってきた者もいる。

 七見は安価な既製品の黒い襟付きシャツ姿の私服だった。しかし、小町は高校で出来ていた学生制服姿のままだった。そんなふたりのその取り合わせの影響もあり、かつ、どうしても小町の外貌は人の眸をとらえてしまう。彼女には性別も無差別な視線が集中した。少なくとも、遠すぎ過ぎ様に、誰もが見てしまう。

 そして人は、彼女を目にすると、彼女のことを、よく見たいと思ってしまうらしい。

 こうして横にならび、七見はそれを痛感した。まるで、すごい兵器みたいに、みんな彼女への好奇心を抑えきれず、逆らえず、彼女を見る。まずは、一瞥、それから、凝視。

 ふと、小町は「オポッサム」といった。「これが、オポッサム」と、一言感想を、繰り返す。

「うん」七見は隣でうなずいた。「ぼくは初オポッサムだ」

「わたしも」

 オポッサムを見るふたりを、檻の向こうからオポッサムたちの数匹が見ている。

 そんなふたりの後ろ姿を、通り過ぎる来園客の一部が見ていた。私服と制服ではあったが、互いの距離感から、連れ合いだと判断可能だった。そして、その差異ある衣服の取り合わせもまた、ひとめを引いてはいた、しかし、なにより、小町の際立った外貌が、視線の大きな原因だった。動物たちより、人間に見られてしまっている。

 七見は檻へ視線を向けながら、さあ、どうしたものだろうか、という様子があった。次に小町へ向け「どうしても、見てみたかったんですよね、オポッサム」と問いかけた。

「はい」小町はうなずき、続けた。「なぜか気になりました、オポッサム。そしたら、この動物園にいるってわかって、ぜひ、この目で見てみたくなって」

 微笑み、七見を見る。

 対して、七見は空へ視線を向けた。朝から曇っており、そろそろ真昼を迎えようとしているが、まだ曇っている。青空が見える気配は一向にない。

「放課後にお茶を飲む約束だった」と、七見はつぶやいた。「それが、一緒に帰るだけになり、それがついには日曜日、一緒に動物園へ行くってことになった」

「はい」

「ずいぶん化けましたね、約束。約束が成長してゆき、日曜日に動物園へ行くことに」

「こまらせてしまいましたね」小町はからかい、くするぐるように告げる、微笑みは維持されていた。「悪気はありません」

 七見は小町の浮かべる、乳白色に光りのような微笑みに対抗する手段をみつけることができず、そのまま空へ向かって「なんというか、なかなかロケンロールな展開です」と、言い放った。

「それ、どういう意味ですか」

「つまり」問われて、七見は答え、しかしすぐに「まあ、いまの表現は失敗作なので、追及しないでください、見逃してください」

「はい、見逃します。ひとつカシです」

 しれっと、いって小町は小さな風に遊ばれる髪を指先で抑える。

「あの、小町さん」七見が呼びかけると、顔を向けて来た。「オポッサム以外も見ますか、この惑星には、オポッサム以外にも、刮目すべき生命の仲間たちがいるので」

「もう少し、オポッサムでお願いします」

 そう返され、七見は檻の向こうの生き物たちへ「よかっね、諸君。オポッサム諸君。この人の中で、人気だぞ、きみたち」と、教えた。

数匹のオポッサムのうち、一匹が木の檻の向こうからふたりを見ていた。

 すると、小町が「カシを返してもらっていいですか、七見くん」そう言い出す。

「ああ、考えていたより、早くカシを返す日が来たぞ」と、七見は述べる。視線はそのままオポッサムだった。「なんですか」

「京一さんのこと、教えていただけますか」

 京一さん。

 京一くんのことは、さん付け。

 で、こっちは、七見くん。

 京一は、京一さん。

 くん付け、さん付け。

はたして、この差異は何を意味しているのだろうか。七見の表情に、微細な気がかりが浮かんだ。

しかし、いまそれは捨て置き、七見は小町へ顔をむけた。

「ぼくが彼について知ることは、そんなにないですよ」七見は考え「情報源としては乏しいと思います」そう返す。

「京一さんは、お金は好きでしょうか」

 急にそれを問われて、七見には数秒の硬直が発生した。それからゆっくりと腕を組もうした。だが、けっきょく、しなかった。とどめて、両手から力をぬく。

 すると、小町がいった。

「ほしいものがあります。あの方がもっている、光るバトンです」

 バトン。

京一の表情から、頭のなかで、それをつぶやいたのが察せた。

「あれをどうしてもほしいんです」

 ああ、交渉の仲介人を頼まれているのか、いま。と、七見はそれを理解した。

「お金は充分に用意できます。あなた達はアルバイトしていると聞きました、俳優の仕事ために、いろいろお金がかかるから、ふたりはアルバイトしているって。もしも、京一さんからあのバトンを譲っていただけるなら、それに、七見くんからもこの件に協力していただけるなら、わたしたちは、貴方たちの俳優のお仕事を、つよくお手伝いできると思っています」

 微笑みは絶やされず、小町がそう続ける。

 ふと、ふたりの隣に、若い女性二人組の入園客がやって来て、たのしそうに檻の向 こうを観だす。

 無関係な他者の出現で、呪いがとけたかのように七見は「彼は好きだと思います」と返した。

 小町を見返すと、微笑んでいるだけだった。かたちだけは、今朝から変わらない微笑みだった。ただ、少しこれまでと質が変わってみえる。自然体でそこに立っている が、手に顎を添えている感じというべきか。

 つまり、演技をしている。とも思えた。

 人の演技なら、七見は幼少期から、大勢の人々を、ずっとそばで観察して来た。つくられたものは、どうしてもわかってしまう。

 あるいは、七見自身がわかると思っているだけか。

 そんな思考の流れを経て七見は「京一くんは」と、しゃべりだす。「いえ、京一くんと一緒に、ある撮影現場を歩いていたとき、ぼくが道で落ちている小銭をみつけました。それで、彼へ、『そこに誰かの財産の一部が落ちている』って言いました。すると、彼はその場にしゃがみこんでそれを拾いました。その彼の挙動は、なぜか自然と、刑事が事件現場の遺留品を拾うような雰囲気になってしまってて、いえ、彼が事件を調べているというより、彼自身が事件みたいな人のクセに。それを拾い上げた彼の手にあったのは五円玉でした」

 話しているうちに、となりにいた女性の二人組は去ってゆく。

 七見はその動きに、視線をとらえたふりをしつつ、言った。

「しかし、よく見ると寛永通宝でした」

 目を合わせてそう告げた。

すると、小町が片言のように「かんえい、つうほう」と、その部分をオウム返しする。

「江戸時代のお金です」七見は、ふっと、視線を外して言う。「そのとき参加していたのは時代劇の映画のエキストラだったです、ぼくら」

 小町は、数秒ほど、この話をどうとらえていいのか迷った様子だった。その証拠に、微笑みが薄まっている。

 それでもやがて、微笑みを戻し「つくりもの、ですか」と、問い返す。

 母親が幼子の、つたない話を聞き、ひろげるような口調だった。

「いいえ、後で小道具さんへ届けたら、小道具ではなく本物でした」

 七見がそう言うと、小町の口が横一文字になった。

「ぼくたちが参加したのは時代劇の撮影です。セットも衣装もぜんぶ、つくりもの世界です。つくられた世界で演技をする、つくりものの中で演じるんです。すべてつくりものの世界なのに、京一くんはそのなかで本物を掴んだ」

 彼の話しをしていると、七見はみるみるうちに、落ち着きを得てゆく。やがて、ここまでの小町の発言に対する動揺も消えてしまった。

 京一はここにはいない。しかし、彼の話しをしているだけで、まるで京一が隣にいて、同じ場所で鼓動をともにしているかのような心になる。

「彼は、そんな生命体なのです」

 しめくくりに、京一は肩をすくめて告げた。

 小町は少しの間、黙って見返していたが、やがて「生命体、って呼ぶんですね」といった。「京一さんのこと」

「あの人は、現象に近いところもありますし」

「現象」と、小町はいって、七見を見た。それから、視線を外し続ける。「その言い直しは、わたしのなかに、ある意味あたらしい混乱を招きます」

「しかたないです、京一きんは、呼吸する事故、みたいな存在ですから」

「その言い方もまた、別次元へ誘われた気がします」

 そう返され、七見は、はは、と短く笑った。すると、小町は、ごく微量に、むす、っとした。そして、それを、すぐに消した。

 かすかな失態とばかりに。

 七見は息を吸って吐き、いった。

「あのバトン、欲しいんですか」話を振り直す。「あの、光ってるバトンが」

 小町はすぐには反応せず、微笑みを浮かべ、その微笑みを保ったまま、ゆっくりと息を吸って吐いた。じっくり秒数を消費したうえで「はい、必要なのです、わたしたちに」と答えた。

 あの、なんでアレが欲しいんですか。

 アレはなんなんですか。

 と、七見が、これは聞いていい質問なのか、否か、判断に迷った。

間が生まれ、さきに小町が口を開く。

「あのバトンを手に入れる使命があるのです、わたしにも」

 そう言われ、七見は小町へ顔を向ける。そういわれても、けっきょくは、ふわ、っとした内容の発言でしかない。だが、彼女の様子から、その使命というものが、彼女がいま、ここにいる理由に、つよい要素となっていることは七見にも察せた。

「七見くん」

 そこへあらたまって名を呼ばれる。

「あなたは、お芝居を見破るから」

 と、いった。あきれたような、あきらめたような、どちらとも受け取れる印象の言い方だった。

 そして、小町はその先の言葉を続けない。少したって、ようやく、七見はいまが愚痴に近い吐露だったことを悟る。

 そこへ、小町が言う。

「お金はあります、たくさんあるのです」

 先の提示した情報を、思い出させようとするかのようにいった。

「うちは親族で不動産業をやっています。この国のいろんな場所に大きなビルもマンションも持っています、あなたの住むこの街の駅前に建ったばかりのマンション、あれもうちの一族の持ち物です。この品性のない説明は、お金があるということを誇示するためにしています。わたしたちには、あなたたちふたりへ、充分にお支払いできるお金はあるのです」

 芝居を抜きにしたとしても、大胆ともいえる情報開示に、七見は、つい、じっと小町を見てしまう。

「お願いです、七見くん。貴方から、彼にバトンを譲っていただけるよう、もしくは、手放すよう、動いていただけませんか」

 そう頼まれ、七見は考えた。そして「本人に直接、伝えればいいじゃないですか」と、もっともな疑問を投げかけた。「ほしいと」

「メカニズムは不明ですが」と、小町が前置きして話す。「あのバトンを手にした者から、お金で買って直接で手に入れようとすると、かならず失敗するのです」

 奇妙なこと言われ、七見は少し間をあけて「呪われるんですかね、あのバトン」と、いった。

「ええ、きっとそうです」

 あっさり肯定して、小町を続ける。

「しかも、お金で買おうとすると、かならず、その後、四年間、あのバトンはこの惑星から行方不明になります。四年間姿を消し、四年後には、わたしたちの在りかを知らせるように、ぜったいに現れます」

「なんだろその周期、世界的なスポーツの祭典のリンクしているのか」

「真剣に話しています」

 小町にいわれ、七見はわずかに気まずそうな顔をして「ごめんなさい」と、あやまった。

「しかも、バトンが行方不明の四年間の間、わたしたちの一族は、さまざまな意味で、不調に陥ります」

「なぜ」

「不明です」そう返し、さらに「どうしてそうなるのか、その理由を人が知るとは永遠にないと思っています」

 そう言われ、七見は「きみがそういうなら、そうなんだろうって思えます」と、受け入れた。

「ふしぎな話で、ごめんなさい」

 不意に、謝罪される。

「でも、このふしぎな話に、わたしたちの血は振り回されているんです」

「そうなんですか」

「ただ、手に入れればいいはずなのに、どうしてもわたしたちは手に入れることができない。難しいとも思えないのに。それでもわたしたちは一度も手に入れることができない、あのバトンを。お金はあります。でも、お金で買おうとすると、やはり、ふしぎと手に入れることができない、もしも、強奪、無理に奪っても、それでも、ふしぎと手に入れることができない」

「あの、だとすると、それはいったい、どうやって手にいれればいいのでしょうか」

 と、七見は訊ねていた。

「いまの持ち主が、偶然にバトンを落としてしまえばいいのです」

「偶然に、落とす」

「わたしたちはそう予測しています」

 予測。

そう表現し、そして、小町はそれ以降の言葉を続けない。

根拠の所在は無なのか。

「七見くん」

 名前を呼ばれ、すぐに我へと還る。

「京一さんが、偶然、バトンを落とすように、お手伝いをお願いします」

 微笑みはない、小町は真顔だった。

 事情を知らない周囲の人々からすれば、若いふたりが神妙なやりとりをしているように見える。ひとりは学生服で、もうひとりは私服のため、やはり、その様子もあって、どうしても人の目をひいてしまう。

 七見はしばらく黙っていた。そのうち、檻の方を見た。

「オポッサム」

 と、つぶやいた。

 とたん、小町がきょとんとした。そこへ、七見は「京一くん」と、ここにいない者の名前を口にする。「彼は、今日」

「今日」

「野球部の試合に助っ人へ行っています」

 少し間あってから「助っ人」と、小町といった。

 七見は空を見た。まだ曇っている。

「野球部のキャプテン、直々からの頼みらしいです。試合には出なくていいので、ただベンチで座っててほしいって。彼があのヤバい生態の鳥、みたいな眼をしてベンチに座ってるだけで、相手のチームに多大なプレッシャーを与えることができるからって」

 小町の願いに対する回答はせず、七見はただそれを話する。

 とりあえず、京一関連の情報を流し、いまを乗り切る。

じつに、下手な話の誤魔化し方だった。

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